第二話 大エイドのトキオー 夜の吸血事情
大エイドの都市の中心部に位置する不夜城「トキオー」地区。
光と音が交差し、人も魔も入り乱れるこの地は、近年“イケ吸”ブームで大いに賑わっていた。
「“イケ吸”ってなんだよ……イケメン吸うのか」
アルはため息混じりに、街頭スクリーンを見上げた。
そこには、耽美な顔立ちの若いヴァンパイアたちが、女たちの首筋にそっと牙を当てるパフォーマンスを披露していた。
血は吸わない。ただ“吸うフリ”でキャーキャー言われるのが流行らしい。
アルは思った。
何もかも、軽い。
愛も命も、血さえも、ただのエンタメ。
かつて血を分け合うことは契約であり、信頼であり、時に永遠を意味した。
それが今では、写真を撮られるための“ポーズ”にすぎない。
そんな想いが顔に出ていたのか、周囲の若い女たちがアルを見てクスクス笑った。
「ねえ見て、あの人めっちゃ古くない? “ノスタルジー吸”って感じ〜」
「でも逆に、おじイケてる? 渋くてガチ吸って感じで」
「ねえ吸ってくれませんか〜?」
うんざりした顔でアルは手を振った。
「俺の血、そんな軽くねえんだよ」
そんな彼に、まるで空気のように声をかけてきた者がいた。
「……吸ってくれないかねえ、おじさん」
振り返ると、そこには酒に酔った年配の女性が座っていた。
厚手のコートに乱れた髪、よれたストッキング。瞳だけが、異様に澄んでいた。
「……俺は、誰にでも吸いつくほど安くないんだ」
「そうかい。けどあんた、本物だろ。あの“イケ吸”たちとは違う。
あたしにはわかるよ。昔、あんたみたいなのと恋してたからねえ」
アルの胸が、わずかに疼いた。
「……名前は?」
「ナオミ。昔は銀座でママやってたよ。今は、ただの酔っ払いさ」
彼女は笑い、くしゃくしゃのバッグから一本の口紅を取り出して、鏡も見ずに唇に塗った。
その所作に、妙な色気があった。
ナオミは続ける。
「女ってのは、若いときはチヤホヤされる。けど年を取るとね、空気になるんだよ。そのうち誰にも見られなくなって、鏡も見なくなって、自分すら消えていく。だからあんたに、吸ってほしいって言ったんだ。 “私がここにいた”って、誰かの中に残したいんだよ」
その言葉は、どこかアル自身と重なった。
若いころは、誰もが振り返った。
だが今、誰も彼を“見る”ことはない。名声も、力も、過去の話だ。
アルはゆっくりとナオミの前に腰を下ろした。
彼女の手を取り、その手のひらに額を当てる。
「……あんたの魂は、軽くなんかない。酔ってても、ちゃんと響いたよ」
「……ふん。魔族に慰められるなんて、人生の終わりも悪くないねえ」
アルは、軽く彼女の指先にキスをした。
吸血ではない。だが、確かに何かが“通じた”瞬間だった。
ナオミは立ち上がると、「ありがとよ、おっさん」と言って夜の雑踏に消えていった。
その背を見送りながら、アルは小さく笑った。
「……まだ、捨てたもんじゃねえな。人間の魂ってやつはよ」
そしてその夜。
ナオミが落としていった一枚の名刺に、見覚えのある名が書かれていた。
「ミドリ・シラセ」古書店 月ノ書庫 店主
アルの手が、また震えた。
「さぁ……会いに行くか。俺の……娘に」
アルはトキオーの建物の暗闇に溶けて消えていった。




