第1話 キャサリーの最期の音
北方の港町。
潮風に混じって、どこか焦げた木の匂いが漂う夜。
古いジャズバー「ハモンド・クラブ」
その奥に置かれた、今は誰も触れない古いハモンドオルガン。
その鍵盤が、
キャサリー・レイモンドの死の数秒前に、ひとりでに泣き叫んだ。
そう証言したのは、店のマスターと酔いどれた常連客たちだった。
しかしアイゼンは一瞥しただけで否定する。
「……デタラメだ。
あのキャサリーが、あんな“つまらねえ死に方”するわけがない」
目は怒っていない。
悲しんでもいない。
ただ、氷の底のように静かだった。
ルアーナが眉をひそめる。
「アイゼン、そんな言い方……元恋人なんでしょ?」
アイゼンは短く笑った。
「だからだよ。
あいつは死ぬときでさえ、美しく、面倒で、ドラマチックな女だった」
リュカはそっとハモンドオルガンに触れようとして、
レイヴに肩を掴まれ止められる。
「触るな、坊主。魂の残滓ってのは、時に噛みつく」
薄笑いの中に、ほんのわずかに真剣さが混ざる。
夜霧の中で、
アイゼンはふと遠い記憶に沈んだ。
◇◇◇
まだ若かった頃。
孫のカズヤと共に、
世界を駆け回り、怪事件を解き明かしていた日々。
カズヤが笑って言っていた。
『アルおじ、事件の匂いがすると急に若返るよね?』
あの声も、あの顔も、今は霧の向こうだ。
「キャサリー……カズヤ……
どうして、みんな俺より先にいなくなるんだ」
その呟きは、港風にさらわれて誰にも届かない。
深夜。事件現場の調査中。
誰も触れていないのに、
ハモンドオルガンが突然低く唸った。
「ぶぅぅぅぅぅ……」
次第に音は震え、
叫び声のように歪んでいく。
ルアーナは背筋を凍らせ白い息を吐く。
「これ……キャサリーさんの“死の瞬間”と同じ……?」
死神レイヴの声が低く響く。
「いや、違う。
これはな“呼んでる”んだよ。
アイゼン、お前をなイヒヒヒ」
アイゼンはゆっくりとオルガンに歩み寄り、
その古い木枠に手を置く。
「キャサリー……
何を残した?
何を伝えようとした?」
その瞬間。
鍵盤がひとつだけ、淡く光った。
アイゼンの顔に、わずかな痛みが走る。
「……ああ、そうか。
最初の手がかりは“音”か」
アイゼンハワード探偵が、静かに動き出す。




