第4話 中国日本領事館
荒れた海岸線を越え、冷たい都市の空気が二人を包んだ。
北京からの列車は夜明け前に着き、彼らは眠らぬまま車を乗り継いで、目的地である中国にある日本領事館の前に辿り着いた。
領事館前の広場には、人の壁のように警官が立ち並んでいる。装甲車、検問、そして見張りの目。
三原の名が外交文書と共に露出した今、外交ルートは鉄の柵のように固められていた。
カズヤは車窓からそれを眺め、拳を握りしめた。
「……なんとか、ここを抜けて日本に戻る方法はないのか、アル叔父?」
アル叔父は、落ち着いた口調で答える。
「焦るな、カズヤ。 道というものは、いつの時代にも一つではない。だが、無理にこじ開ければ、道は敵となる。いまは“静かに動く”時だ。」
その声音には、戦乱と交渉の両方を経験した者だけが持つ重みがあった。
カズヤは息を呑み、思わず黙り込む。
やがて二人は領事館の裏通りに回り、古びた路地に身を潜める。
アイゼンハワードは懐から、一冊の小さな帳簿を取り出した。
それは彼が“記録者”として過ごした遠い日々魔族の商人たちと取引していた頃の遺物だった。
「この帳簿が示すのは、金の流れではない」
アイゼンハワードは、皺だらけの指で一行を指した。
「“心を売り渡した者”の記録だ。
資金を動かす者は、いつも自分の魂を一度は切り売りしている。」
カズヤは言葉を失いながらも、叔父の言葉を胸に刻む。
彼にとって“裏帳簿”は、ただの証拠ではなく人の欲望の歴史そのものだった。
やがて一人の女性が現れる。領事館の通訳補佐、田中瑠璃。
彼女の目には、秘密を抱えた者特有の怯えと決意が混ざっていた。
「最近、外交便の中に“文化交流資料”と称した封筒が増えているんです。
けれど、中身は誰も確認できない。……あれは普通の書類じゃありません。」
アイゼンハワードは静かに頷いた。
「なるほど。
外交の名を借りた密輸……“文化”の皮をかぶった取引か。」
瑠璃は唇を噛みしめ、目を伏せた。
その沈黙を破ったのはカズヤだった。
「アル叔父、三原の資金が動く先、わかった気がします。
“外交袋”を使えば、国境も税関も超えられる。」
「その通りだ。」
アイゼンハワードはゆっくりと微笑んだ。
「だが、我々が暴こうとしているのは金の密輸ではない。
“人間の信用”を売買する闇のルートだ。」
彼の声には、血筋を超えた覚悟と誇りが宿っていた。
そしてその穏やかな口調の奥には、魔族としての長い時間が積み上げた洞察が光っていた。
「カズヤ。覚えておきなさい。
真実というものは、暴くよりも、守る方が難しい。
だからこそ、人は嘘をつく。」
その言葉を胸に、カズヤは静かに頷いた。
東京へ戻るための道は、まだ遠い。
だが彼には、ひとりの“祖”がいた。
時代も種族も越え、ただ真実を見つめる目を持つ者が。
夜明けの光が領事館の壁を白く照らす。
その陰で、カズヤとアル叔父は、次の一手を練り始めていた。




