第1話 汚染の痕跡
実験研究施設
「私は、田辺宗一。元・環境化学研究所の主任研究員だった。」
古びた録音データの中で、くぐもった男の声が響いた。
どこかに焦りと、わずかな誇りが混じっている。
「目的は“汚染の中に宿る再生の力”の解明だ。
生命は、どんな環境でも形を変えて生きようとする。」
その言葉を最後に、録音はぷつりと途切れた。
データを再生していた健司と美咲は、顔を見合わせる。
田辺は十年前、この町で行われていた「浄化微生物実験」の主任だった。
だが、実験施設の爆発と同時に姿を消し、町全体が「封鎖」された。
廃墟となった町には、今も不自然な気配が漂う。
ひび割れた道路には黒い染みが広がり、夜になると、その染みが呼吸するように波打つという。
それから数年後
夜10時。
人気ユーチューバー・岸田レイジが仲間4人とともに、“封鎖区域に潜入”のライブ配信を始めた。
「見ろよ、誰もいねぇ。ガチでゴーストタウンだ!」
懐中電灯の光が、崩れた商店街を照らす。
風が吹くたび、看板が軋み、遠くで何かが倒れる音がする。
コメント欄が賑わう。
「やべー本物だ」
「電波入ってんの奇跡」
「これ心霊じゃなくて犯罪じゃね?」
彼らは笑いながら進む。
コンビニ跡、錆びついた自販機、そして黒く変色した地面。
「これが“汚染跡”ってやつか?」
仲間の一人が、興味本位で触れた瞬間、指先に張りついた黒い液体が、まるで生き物のように震えた。
「なにこれ……ぬるぬるして……離れねえ!」
レイジが慌てて拭うが、粘膜のような感触が腕を這い上がっていく。
「やばいって、帰ろうぜ!」
誰かが叫んだ。
その時、霧が降りた。
配信映像が白くかすみ、音が途切れる。
「電波……切れてる?」
レイジがスマホを確認した瞬間、
背後で“誰かの足音”がした。
「……おい、ふざけんなよ。」
懐中電灯を向ける。
そこには仲間の一人が立っていた。
だが、顔がなかった。
皮膚は滑らかで、目も口も鼻もない。
それでも、確かにこちらを向いている。
「……タケ?」
声をかけた瞬間、そいつの身体が音もなく崩れ、
黒い霧のようになってレイジたちの方へと流れた。
逃げようと走るが、足元の地面が蠢く。
アスファルトの割れ目から、
無数の“人影のようなもの”が這い出してくる。
彼らはみな、顔がなかった。
男女も年齢も判別できない。
ただ静かに歩きながら、配信者たちの身体に触れる。
触れた部分から、肌が白く、のっぺりと変質していく。叫び声は次第に、音にならなくなった。
口も、目も、消えていく。
最後に映像が乱れ、
スマホが地面に落ちる。
画面の端に映ったのは、
廃墟の街灯の下に立つ、
“顔のない五人の影”。
翌朝、動画は途切れたまま再生不能となった。
警察が現場を確認したが、遺体は一つも見つからなかった。
ただ、通りの壁という壁に、
“人の形をした白い跡”が浮かび上がっていた。
その跡は、少しずつ街の表面に染み込み、
まるで町そのものが、
新しい住人を受け入れているようだった。
やがて夜になると、霧の中に
誰かの影が増えていた。
誰も顔がなかった。
けれど、彼らは確かに笑っているように見えた。