第9話 魂の暴走
霧の谷は激しい嵐に覆われ、雷鳴が谷底まで響く。
三つ首灯籠が赤黒い光を放ち、地下祭壇の石盤から怨念の霧が吹き出した。
久遠祐真は沙月を灯籠の前に立たせ、冷たい笑みを浮かべる。
「灰田カンナ、お前の力で死者を呼び戻せ。そして私の意志を形にするのだ」
カズヤは拳を握りしめ、アイゼンハワードの肩越しに祭壇を見つめる。
「……止めなきゃ……でも、あれは……」
光を帯びる魔剣ギロティーナが、嵐に反射して青白く輝く。
祐真が手を掲げると、地下祭壇の霧がうねり、空間に歪みが生まれた。
次の瞬間、谷の霧の中から死者の手が無数に伸び、カズヤたちを襲う。
腐敗した香りと冷たい指が肌に触れ、彼らの足を捕らえる。
「ぐっ……離れない……!」
カズヤは力いっぱい振りほどこうとするが、亡霊の力は常人の力では抗えない。
灰田カンナは恐怖で声も出せず、身をすくめる。
アイゼンハワードが低くつぶやく。
「死者を操る呪術……だが、必ず弱点はある……」
魔剣ギロティーナを振りかざすと、亡霊たちの霧が一瞬散り、光の線が彼らを守った。
カズヤは歯を食いしばり、雷鳴に混ざる風の音に耳を澄ませた。
「本物の魂……お前の体にある!」
突如、彼の声が谷にこだまし、祐真の身体に向かって突撃する。
その瞬間、祐真の目が赤黒く光り、唸り声が谷全体を震わせた。
「愚か者……我が魂を弄ぶとは――!」
亡霊たちは暴走を始め、天を裂くように空から手が降り注ぐ。
腐臭混じりの冷気が嵐に乗ってカズヤたちを叩きつけ、彼らの足元の土は剥がれ飛んだ。
アイゼンハワードは魔剣ギロティーナを握り、青白い光を灯す。
「落ち着け、カズヤ! 一瞬でも目を逸らすな!」
彼は魔剣を振りかざすたびに、亡霊の腕や霧を切り裂き、強烈な光で祐真の暴走を抑える。
しかし祐真は暴れる。石盤の力を借り、魂の渦を増幅させる。
祭壇から飛び散る赤黒い光が、霧の谷を血塗られた異界へと変える。
沙月が悲鳴を上げ、灰田カンナは恐怖で凍りつく。
「これが……死者の力……!」
カズヤは身体中の力を振り絞り、祐真の胸に手を当てる。
彼の中の魂が、わずかに揺れるのを感じた。
その瞬間、祐真は激しく叫び、膝をついてもがく。
「うがあああああっ――!」
亡霊たちは混乱の中でうねり、空に渦を巻き上げ、谷の壁を叩きつける。
雷鳴が落ち、稲妻が灯籠の赤い光を割った。
カズヤは魂の微かな輝きを掴み、全力で呼び覚ます。
アイゼンハワードは叫ぶ。
「今だ、カズヤ! 魂を暴け!」
赤黒い光が狂乱し、亡霊たちの渦が一気に揺れ、祐真の身体は暴れ狂う。
その暴走の中で、死者の霊たちは一瞬、祐真の支配を離れ、空中で渦を巻いた。
雷鳴と血の霧の中、カズヤは魂の輝きに向かって手を伸ばす・。
この瞬間、勝敗の行方は誰にも予測できなかった。
雷鳴が谷を引き裂き、雨が石畳を叩きつける。
三つ首灯籠の赤い光が狂気のように揺れ、地下の祭壇から渦巻く霧が、村全体を異界へと変えていた。
祐真は完全に暴走し、体中から赤黒い力を迸らせる。
「灰田カンナ、お前の力で死者を還すのだ――!」
死者の手が空から降り注ぎ、雷鳴とともに村人の幻影が狂った舞を踊る。
カズヤは魂の微かな輝きを見据え、拳を握りしめた。
「本物の魂は、祐真の中にある!」
彼は祐真の胸に飛び込み、その中の魂を呼び覚ます。
その瞬間、祐真の身体が激しく震え、叫び声が雷鳴を凌駕した。
「うがああああっ――!」
赤黒い光が暴走し、亡霊たちは渦を巻いて宙を舞い、谷の壁を叩きつける。
アイゼンハワードは魔剣ギロティーナを高く掲げ、光を爆発させた。
「死者を操る呪術……だが、弱点は必ずある!」
アイゼンハワードは、雨と風で揺れる灯籠をじっと見つめていた。
「……この光の流れ、灯籠から直接、あの男に繋がっている」
彼の瞳は鋭く、三つ首灯籠の光線が久遠祐真の体に向かっている様子を読み取る。
「灯籠は単なる封印ではない……魂の通路だ。あの力は、灯籠から供給されている」
彼が胸に手を当て、全力で押し込むと、灯籠からの赤黒い光の線が震え、逆流し始める。亡霊たちは一瞬動きを止め、祐真の体が揺れた。
アイゼンハワードは祭壇に魔剣を突き立て、光の刃で霧の渦を切り裂く。
「今だ、カズヤ!」
赤黒い光が乱れ、亡霊たちの暴走は収束に向かう。
祐真は叫び、全身から赤黒い力を迸らせるが、魂の供給路を断たれたことで力が暴走しきれない。
ガシャン――!
三つ首灯籠が轟音とともに砕け散る。
破片が宙を舞い、赤黒い光の渦が祭壇から弾ける。
亡霊たちは叫び声を上げ、空へと引き上げられるように昇華していった。
祐真は膝をつき、血のように赤い光の中で呻く。
「な……何だ……この力……!」
魂の力が彼を押し戻し、封印の力が逆流する。
その瞬間、彼の中の本物の魂が覚醒し、暴走を止めた。
霧の谷に静寂が戻る。雨はまだ降っていたが、灯籠の赤い光は消え、空気は重くも清らかになった。
灰田カンナは震えながらも、カズヤの腕にしがみつく。
「……生きてる……」
アイゼンハワードは剣を地面に突き立て、深く息をついた。
「魂の裁きは終わった……だが、この村に残る因縁は、まだ完全には消えぬ」
カズヤは、荒れ果てた祭壇を見下ろし、赤黒い破片の中で微かに光る魂の残滓を見た。
「……俺たちは、死者を暴走させる者を止めた。だが、村の呪いは、まだ完全には消えていない」
三つ首灯籠は砕け、三つの怨霊は空へと昇華した。
だが、谷の奥深くで、微かな呻きと共に、何者かの気配が残っている。
封印された魂の断片は、いつか再び、この村に呼び声を送るだろう。
雷鳴が遠くで轟き、霧の谷は夜明けを迎えた。
それは、死者と生者が交錯した長い夜の終わりだった。
村の関係者
御影 知念
呪術寺「三首庵」の現住職。かつて新興宗教団体「霊天会」の教祖として全国から信者を集めたが、数年前に活動を停止。事件の第一発見者。村人や灯籠の伝承に深い知識を持つ。
御影 沙月
知念の娘で、村の図書館司書。穏やかだが、父の過去に複雑な感情を抱いている。事件の夜、寺の本堂近くで「三つ首灯籠が光った」と証言。
村崎 宗吾
村の古美術商。第2の犠牲者。寺の宝物庫から“灯籠の首飾り”を持ち出した直後に変死。
彼の死によって、灯籠の二つ目の首が赤く染まった。白石いわく、「彼は封印を“開けた”側の人間」。
警察関係者
山岡 俊介
村の駐在所勤務の巡査。都会から左遷されてきたが、カズヤのファンで協力的。臆病で、夜の寺には一人で入れない。第三の殺人で死亡。灯籠の儀式の犠牲者となる。
新藤 礼
県警捜査一課の警部補。理屈屋でカズヤとしばしば対立するが、正義感が強い。アイゼンハワードの存在を「オカルト的虚構」と決めつける。
白石 薫
民俗学者。村に古くから伝わる“灯籠呪法”の研究で滞在中。事件後、寺に残された奇妙な護符に強い関心を示す。知念とは旧知の仲。
灰田 カンナ(はいだ・かんな)
ジャーナリスト。失踪した姉がかつて「霊天会」に入信していた。事件の真相を追うため、村に潜入取材していた。感情的。
久遠 祐真
霊天会の最初の信者。10年前に死亡したはずだが、魂の入れ替えにより生存。封印を利用して死者を蘇らせようとする。元は侍であり、魂の入れ替えにより長命を保っている。