第8話 魂還しの儀
霧の谷の夜は深く、三首庵の鐘楼には風が鳴るだけだった。
地下の祭壇前、赤黒い光が三つ首灯籠から揺らめき、石壁に不気味な影を落としている。
灰田カンナは震える身体を押さえながら、祐真の視線に晒されていた。
「……なぜ、私が?」
その問いに祐真は微かに笑みを浮かべた。
「お前の力で、死者を還すのだ。魂の扉を開くのは、神が選ばれた者の意志。お前がそれを成す」
カンナの手には護符が握られていた。そこには失踪した信者たちの名が赤い文字で記されている。
祐真の指がその護符に触れると、地下の空気が鈍く震え、低い呻き声が谷全体に響いた。
その時、御影沙月が震える声で口を開いた。
「十年前……父は、信者たちを救うため“魂封じの儀”を行ったの。三つの灯籠に、彼らの魂を封じた。でも、儀式は失敗した。魂は封じられるどころか、呪いとなり、この村に残ってしまったの」
カンナは息を詰める。
「じゃ、あの灯籠……全部、呪いになってるんですか?」
白石薫は祭壇の陰に立ち、俯いたまま告白した。
「私は……研究のため、この一連の儀式を追い続けてきた。学問のためとはいえ、結果的に呪いの一端に関わることになった」
彼の声には迷いと後悔が混ざり、地下祭壇の影に吸い込まれていくようだった。
アイゼンハワードは三つ首灯籠を見据え、薄い光を指先から放った。
「完全に覚醒する前に、対策を講じねばならない」
彼の声には冷たい決意が宿っている。
カズヤは拳を握りしめ、祭壇の赤黒い光に照らされる灰田カンナに視線を送った。
「灰田カンナ、祐真は死者を戻すなんて考えてはいない。あの灯籠を利用して、呪いを現世に解き放とうとしている」
「……私にできることって、何ですか……?」
カンナの声は震えたが、目には微かな決意が宿っていた。
アイゼンは低く唸り、空気を切るように指を動かす。
「この儀式の流れを逆手に取り、祐真の意思を封じる手立てを探る。まずは魂の動きを止める。時間を稼ぐんだ」
地下の祭壇で赤黒い光がゆらめき、影が壁に絡みつく。
祐真は護符を握りしめ、かすかに微笑む。
「さあ、始めろ。灰田カンナ……お前の力で、死者たちをこの世界に戻すのだ」
カズヤは深く息を吸い、アイゼンとカンナに視線を送る。
「まだ破壊はしない。今は……祐真の動きを止める準備だ」
地下に響く呻き声と灯籠の赤い光。
霧の谷全体に、死者の怨念が静かに渦巻いていた。
夜はまだ深く、封印されし魂の声は、谷の奥でひそやかに囁き続けている。
村の関係者
御影 知念
呪術寺「三首庵」の現住職。かつて新興宗教団体「霊天会」の教祖として全国から信者を集めたが、数年前に活動を停止。事件の第一発見者。村人や灯籠の伝承に深い知識を持つ。
御影 沙月
知念の娘で、村の図書館司書。穏やかだが、父の過去に複雑な感情を抱いている。事件の夜、寺の本堂近くで「三つ首灯籠が光った」と証言。
村崎 宗吾
村の古美術商。第2の犠牲者。寺の宝物庫から“灯籠の首飾り”を持ち出した直後に変死。
彼の死によって、灯籠の二つ目の首が赤く染まった。白石いわく、「彼は封印を“開けた”側の人間」。
警察関係者
山岡 俊介
村の駐在所勤務の巡査。都会から左遷されてきたが、カズヤのファンで協力的。臆病で、夜の寺には一人で入れない。第三の殺人で死亡。灯籠の儀式の犠牲者となる。
新藤 礼
県警捜査一課の警部補。理屈屋でカズヤとしばしば対立するが、正義感が強い。アイゼンハワードの存在を「オカルト的虚構」と決めつける。
白石 薫
民俗学者。村に古くから伝わる“灯籠呪法”の研究で滞在中。事件後、寺に残された奇妙な護符に強い関心を示す。知念とは旧知の仲。
灰田 カンナ(はいだ・かんな)
ジャーナリスト。失踪した姉がかつて「霊天会」に入信していた。事件の真相を追うため、村に潜入取材していた。感情的。
久遠 祐真
霊天会の最初の信者。10年前に死亡したはずだが、魂の入れ替えにより生存。封印を利用して死者を蘇らせようとする。元は侍であり、魂の入れ替えにより長命を保っている。