第3話 魂還りの儀
霧の谷は、再び夜を迎えていた。
三首院の境内では、昨夜の血がまだ石畳にこびりつき、灯籠の光が微かに赤を帯びて揺れている。
カズヤは深い吐息をつき、静まり返った寺を見上げた。
「……この村、息をしてるみたいだ」
「いや、息を“している”んじゃない。呼吸しているのは、過去の亡霊たちだ」
アイゼンハワードが答える。その声には冷たい確信が宿っていた。
二人は御影沙月の案内で、寺の裏山へ向かっていた。
そこには、かつて“霊天会”が儀式を行っていたという禁足地があるという。
湿った土の匂いと、風に混じる低い唄のような音。
まるで地の底から人々の声が蘇ってくるかのようだった。
地下の石室
山の斜面に隠された洞窟の奥
朽ちた木戸を開けると、古い階段が地中へと続いていた。
カズヤは懐中電灯を灯し、息を呑む。
「ここが……“魂還りの間”……?」
壁一面に、見たこともない呪印が刻まれている。
三つの首、三つの灯籠、そして中央に描かれた円。
その中心には、血のような朱が乾いてこびりついていた。
「……霊天会の儀式場だな」
アイゼンが呟く。
「だが、これは魂を呼び戻すためではなく、“封じる”ための陣形だ」
その時、石室の奥から足音が響いた。
現れたのは、白髪混じりの男――民俗学者の白石薫だった。
黒いコートの裾を翻し、彼は静かに名乗った。
「白石薫。文化庁からの依頼で、この地方の宗教遺構を調査している者です」
カズヤが驚いたように問う。
「先生、この“三つ首灯籠”は何なんです? 本当に呪いなんですか?」
白石は灯籠の図を指でなぞりながら、淡々と答えた。
「三つ首灯籠……本来は“魂封じ”の儀式具です。
三つの首は“魂・肉体・記憶”を象徴しており、これらを封じ込めることで、穢れの拡散を防いだ。
つまり――封印を解けば、再び“何か”が蘇るということです」
「……じゃあ、あの赤い光は……封印が破られた証拠?」
「そう考えるのが自然だな」
白石は顔を上げ、霧の向こうを見つめた。
その直後、境内から警笛の音が響いた。
山岡巡査が駆け込んでくる。
「カズヤさん! また死体が……!」
三人が駆け戻ると、寺の宝物庫の前に人だかりができていた。
扉が半開きになり、中には古美術商・村崎宗吾の遺体があった。
彼は“灯籠の首飾り”を抱えたまま、苦悶の表情を浮かべて絶命していた。
新藤警部補が険しい顔で叫ぶ。
「遺体の周囲に……護符のような紙片が散っている……!」
その瞬間、境内の灯籠が再び赤く光を放った。
二つ目の首が、血のように染まる。
同時に、夜空から奇妙な旋律が降ってきた。
「ううぅぅ……いのち……かえせ……」
それは風か、唄か、あるいは死者の声か。
村人たちは耳を塞ぎ、恐怖に顔を歪めた。
「これは……」
アイゼンの表情が初めて険しくなる。
「“魂還りの儀”だ。死者を呼び戻すための連鎖呪詛――。
一度始まれば、三つの首がすべて染まるまで止まらない」
白石が血の気を失った顔で言った。
「この儀式は……魂を“封じる”はずだった。だが、何者かが――“逆に”解いてしまったんだ」
カズヤは拳を握りしめる。
「誰がそんなことを……!」
アイゼンハワードの目が鋭く光る。
「この村は 信仰、恐怖、そして過去の呪いが、人々の心を媒介にして蘇っているんだ」
風が吹き、灯籠の火がひときわ大きく揺れる。
血のような赤が境内の壁を染め、誰かの囁きが聞こえる。
「三つの首……ひとつの魂……」
その声とともに、灯籠の影がまるで生きているように動いた。
赤黒い霧が地を這い、亡者のような手が一瞬だけ空に浮かび上がる。
カズヤは背筋を凍らせながら呟く。
「……この村は、狂ってる……完全に……」
アイゼンハワードは冷たい笑みを浮かべ、コートの襟を立てた。
「よし、行こう。亡霊の正体を暴くのは私たちの仕事だ。」
その時、寺の鐘が――誰も触れていないのに――重く鳴り響いた。
ゴォォォン……ゴォォォン……
音は地の底に沈むように低く、そして、どこかで“何か”が目を開ける気配を伴っていた。
白石薫が、蒼白な顔で呟く。
「…… 真の神は、封印の底で息をしている。
次の儀が終わるまで、な。」
霧が濃くなり、遠くで犬が吠えた。
灯籠の火が一瞬だけすべて消え、
次の瞬間、村全体が、まるで“呼吸”をするように、静かに鼓動した。
その夜、灯籠村の闇はさらに深く、重く、蠢き始めていた。
村の関係者
御影 知念
呪術寺「三首庵」の現住職。かつて新興宗教団体「霊天会」の教祖として全国から信者を集めたが、数年前に活動を停止。事件の第一発見者。村人や灯籠の伝承に深い知識を持つ。
御影 沙月
知念の娘で、村の図書館司書。穏やかだが、父の過去に複雑な感情を抱いている。事件の夜、寺の本堂近くで「三つ首灯籠が光った」と証言。
村崎 宗吾
村の古美術商。第2の犠牲者。寺の宝物庫から“灯籠の首飾り”を持ち出した直後に変死。
彼の死によって、灯籠の二つ目の首が赤く染まった。白石いわく、「彼は封印を“開けた”側の人間」。
警察関係者
山岡 俊介
村の駐在所勤務の巡査。都会から左遷されてきたが、カズヤのファンで協力的。臆病で、夜の寺には一人で入れない。
新藤 礼
県警捜査一課の警部補。理屈屋でカズヤとしばしば対立するが、正義感が強い。アイゼンハワードの存在を「オカルト的虚構」と決めつける。
白石 薫
民俗学者。村に古くから伝わる“灯籠呪法”の研究で滞在中。事件後、寺に残された奇妙な護符に強い関心を示す。知念とは旧知の仲。
灰田 カンナ(はいだ・かんな)
ジャーナリスト。失踪した姉がかつて「霊天会」に入信していた。事件の真相を追うため、村に潜入取材していた。感情的。
久遠 祐真
謎の僧侶風の男。事件現場に現れては意味深な言葉を残す。村人には「灯籠に封じられし三つの魂を解く者」と噂される。正体不明。