第1話 呪術寺の夜、光る三つ首灯籠
霧が谷間を覆う夜、灯籠村の山道をカズヤは祖父である魔族、アイゼンハワードと共に歩いていた。
「……やはり、この村は……何かが違う」
カズヤは手元の懐中電灯を握りしめ、霧の奥に光る赤い灯りを見つめる。
「落ち着け、カズヤ。霧の中で光るものは、往々にして過去の残滓だ」
アイゼンは紳士的な口調でそう言いながらも、その目は鋭く霧の奥を見据えている。
「魔界ではこういう残留思念を観察するのは日常茶飯事だが……人間界での事件は久しぶりだな」
谷の奥に建つ古寺――三首院。
苔むした瓦屋根とひび割れた漆喰が長い年月を物語っていた。
夜になると、境内に立つ“三つ首灯籠”が赤く揺れ、霧の中でまるで無数の眼が村を見下ろすように輝いている。
「灯籠の赤……これが、あの伝承の……」
カズヤの声は震えていた。村人の祖父母たちが囁く、生贄の習わし。江戸の頃から続く呪術の伝承――それが、今まさに息を吹き返していた。
「首を捧げる者、魂を守る者……」
アイゼンの声が低く響く。
谷全体に、古い呪いの気配が染み込むように広がっていた。
夜風に混じって、微かな囁きが聞こえる。
「……魂は、まだ閉ざされてはいない……」
そのとき――
三首院の本堂の灯がふっと揺れた。
◇
一方そのころ、御影知念住職は、山門の奥で経を唱えていた。
年老いた声が木霊し、灯籠の灯が彼の足元を淡く照らす。
「……また、灯りが揺れおる……」
夜風がないのに、灯籠は赤く脈打つように光っていた。
住職は眉をひそめ、杖を突いてゆっくりと近づく。
その灯籠は、三つの首を持つように作られた奇妙な形状――
古来より「魂を導く灯」と呼ばれてきた寺の守護具だった。
しかし、今夜は何かが違う。光は温かくなく、血のように濃く、まるで呼吸しているように見えた。
「……誰か、そこにおるのか?」
知念の声が霧に吸い込まれる。
返事はない。代わりに、灯籠の足元で“カラン”と何かが転がった。
それは、小さな鈴のような音だった。
見下ろした瞬間、彼の足元に赤黒い滴が落ちる。
「……血?」
知念の喉が鳴る。
次の瞬間、霧の奥の本堂から、人の気配がふっと立ち上がった。
鈴の音、風の音、経の残響……すべてが消える。
灯籠が三度、赤く脈を打った。
「……三つの首……ひとつの魂……」
低い声が背後から囁いた。
知念は振り向く――しかし誰もいない。
そして再び灯籠を見ると、その根元に――何かが、置かれていた。
首だった。
それはまるで儀式の中心に捧げられた供物のように、灯籠の赤い光に包まれている。
鮮血が石畳を伝い、まるで生きているようにじわじわと広がっていく。
知念は息を呑み、杖を取り落とした。
「……だ、誰か――!」
叫びは霧に飲まれた。
その瞬間、灯籠が爆ぜるように強く光を放ち、三首の影が本堂の壁に広がる。
それはまるで、生贄を選ぶ神々の輪郭のように揺れた。
◇
深夜。
警笛が谷を裂いた。
「……来たようだな」
アイゼンハワードは静かに呟き、懐中電灯を掲げる。
谷をゆっくりと下りてくるパトカーの光が、霧の中でねじれた。
山岡俊介巡査が駆け上がり、境内を見て立ち尽くす。
「こ、これは……知念さんが……!」
彼の足元には、青ざめた住職――御影知念が膝をついて座り込んでいた。
両手を震わせ、声にならない叫びを繰り返している。
「……灯籠が……光って……奴らが、戻ってきたんじゃ……!」
その目は、狂気と恐怖に満ちていた。
本堂の奥には、灯籠の赤い光に照らされた首のない遺体が転がっていた。
そして床には、血で書かれた文字。
ー 三つの首、ひとつの魂。ー
警察がテープを張り始める中、村人たちは恐怖に囁き合う。
「……また“灯籠の夜”が来た……」
「いけにえが選ばれたんだ……」
新藤礼警部補が現場を見渡し、唇をかすかに震わせた。
「……呪いでも宗教でもいい。だがこれは――殺人だ。」
霧の中で、アイゼンは静かに目を閉じた。
「いいや、警部。これは“始まり”だ。封じられていた魂が、再び目を覚ました……」
カズヤは懐中電灯を強く握りしめた。
「じいちゃん……これ、ただの事件じゃないんだね」
「そうだ。カズヤ――これは、霊天会の残響だ。
十年前に終わったはずの“祈り”が、まだこの村で続いている」
霧が深く流れ、灯籠が再び三度、ゆらりと赤く揺れた。
村の夜は、もう後戻りできなかった。
そして翌朝、カズヤは村人の証言と古文書をもとに、
“霊天会”という名の過去を調べ始める。
その名が、再び恐怖の中心となることを、
まだ誰も知らなかった。
村の関係者
御影 知念
呪術寺「三首庵」の現住職。かつて新興宗教団体「霊天会」の教祖として全国から信者を集めたが、数年前に活動を停止。事件の第一発見者。村人や灯籠の伝承に深い知識を持つ。
御影 沙月
知念の娘で、村の図書館司書。穏やかだが、父の過去に複雑な感情を抱いている。事件の夜、寺の本堂近くで「三つ首灯籠が光った」と証言。
村崎 宗吾
地元の古美術商。寺の宝物管理を任されている。笑顔の裏で、知念住職と金銭トラブルを抱えていたという噂もある。
警察関係者
山岡 俊介
村の駐在所勤務の巡査。都会から左遷されてきたが、カズヤのファンで協力的。臆病で、夜の寺には一人で入れない。
新藤 礼
県警捜査一課の警部補。理屈屋でカズヤとしばしば対立するが、正義感が強い。アイゼンハワードの存在を「オカルト的虚構」と決めつける。
白石 薫
民俗学者。村に古くから伝わる“灯籠呪法”の研究で滞在中。事件後、寺に残された奇妙な護符に強い関心を示す。知念とは旧知の仲。
灰田 カンナ(はいだ・かんな)
ジャーナリスト。失踪した姉がかつて「霊天会」に入信していた。事件の真相を追うため、村に潜入取材していた。感情的。
久遠 祐真
謎の僧侶風の男。事件現場に現れては意味深な言葉を残す。村人には「灯籠に封じられし三つの魂を解く者」と噂される。正体不明。