第8話 真の騎士へ
深夜の事務所。
窓の外には雨。街灯の光が濡れた路面に揺れ、
カズヤの前に開かれた古びたノートのページだけが、静かに時を刻んでいた。
如月アオイの震える声が沈黙を破る。
「……これが兄のノートです。最期のページに、どうしても理解できない言葉が残っていて――」
ページの上には、黒いインクで書かれたタイトル。
「To the True Knight」 (真の騎士へ)
その下に、まるで祈りのような一文。
「真の騎士とは、己の信念を偽らぬ者」
アオイは唇を噛んだ。
「兄はずっと、“騎士”に憧れていた。でも……同時に恐れてもいたんです。
名誉に裏切られた者の末路を。」
ノートをめくると、そこにもう一つの言葉が浮かび上がった。
“偽りの勝利者は、己の剣で裁かれる”
カズヤはゆっくりと息を呑む。
「……自作自演じゃない。レオンは殺された。」
アイゼンが静かに頷く。
「ああ。だが、それを“自ら望んだ形”に偽装した。まるで――試練を仕掛けられた騎士のように。」
カズヤの脳裏に、折れたサーベル、消えた映像、偽りの試合。
すべての点が線になっていく。
「犯人は……レオンが最も信頼していた人物だ。」
その名を口にするまでに、彼は数秒の沈黙を置いた。
「――氷室隼人。」
かつての師、フェンシング界の権威。
勝利を神聖視し、敗北を“罪”と呼んだ男。
アイゼンが低く呟く。
「だが、彼は自らの手を汚さずに殺す男だ。もっと静かに、もっと確実に……」
そのとき、机の上のノートに一滴の水が落ちた。
雨ではないアオイの涙だった。
「兄は、氷室先生を尊敬していました。
“剣の誇り”を教えてくれた唯一の人だって……」
カズヤは静かにページを閉じる。
「尊敬と裏切り。その境界にこそ、真実がある。」
そして――アイゼンが窓の外を見た。
雨の闇の向こう、街灯の下にひとつの影が立っている。
氷室隼人。
その隣に、もう一つの影があった。
小柄で、傘を差している。
カズヤは目を細めた。
「……東条カレン?」
影は二つ。
だが、次の瞬間、光がまたたき――ひとつが消えた。
残ったのは、氷室の影だけ。
アイゼンの瞳に、闇色の光が宿る。
「真の騎士とは――誰を裁くのか。
それを知る者は、まだ生きている。」
外では雷鳴が轟いた。
“真の騎士”への道は、いよいよ血で染まり始めたのだった。
如月レオン(被害者)
27歳。日本フェンシング王者。
協会の不正を暴こうとしていた理想主義者。
死の直前、「To the True Knight」という手紙を残す。
神宮寺メイ
レオンの婚約者で元選手。
事件当夜、彼と口論していた。心に秘密を抱えている。
氷室隼人
フェンシング協会理事でレオンの元師。
冷酷な勝利至上主義者。しかし殺人の動機が見つからず、どこか「芝居じみた潔白」を感じさせる。
橘リサ
スポーツ記者。協会の不正を追っていた。
取材メモを盗まれ、命を狙われる。
ヴィクトール・クラウス
ドイツ人コーチ。
「剣は魂を映す鏡」と語る哲学者肌。
魔剣伝説に詳しい。
東条カレン
協会広報担当。元ジュニアフェンシング選手。
明るく有能だが、レオンとは「過去に師弟関係にあった」と噂される。
事件後もなぜか冷静すぎる態度を見せる。
如月アオイ
レオンの妹。
兄を慕っていたが、兄の理想に人生を縛られていた。
取材の中でカズヤにだけ涙を見せる。
八代宗一郎
スポンサー企業「八代グループ」の御曹司。
フェンシング協会の最大の出資者。
穏やかで紳士的だが、レオンの死を「惜しい逸材でしたね」と冷たく評する。