第5話 婚約者の告白
アリーナの夜は、冷たい鉄の匂いを帯びていた。
観客席の影に沈むように、神宮寺メイは座っていた。
その手の中には、折れたサーベルの柄。如月レオンが最後に握っていたものだ。
「……レオンは、死ぬ前日、私に言ったの」
声は震えていたが、言葉の芯は強かった。
「“騎士の誓いは、血で終わる”って」
カズヤは黙ってノートを開いた。
向かいにはアイゼンハワード。
その瞳は夜のように深く、メイの心の底を静かに覗き込んでいる。
「口論していたという目撃証言があります」
カズヤが静かに切り出すと、メイはうなずいた。
「そう……あの夜、私は彼に怒鳴った。
“理想に溺れて、あなたは誰も見ていない”って。
彼は協会の不正を暴こうとしていたけれど、私は……怖かったの。
真実を暴けば、彼が消されるって」
言葉の終わりが、震える息にかき消された。
アイゼンが低く呟く。
「だが、彼は止まらなかった……なぜだ?」
メイは涙をぬぐいながら、静かに微笑んだ。
「彼は、私を守ろうとしていたのよ。真実を握る者として。」
その瞬間、カズヤのペンが止まった。
「真実を握る者……それは、あなた自身ですか?」
「ええ。」
彼女の声が細く、しかし確かに響く。
「レオンは、“試合形式の暗殺計画”を聞かされたの。
協会の誰かが、模擬試合を装って選手を殺す――そんな話を」
アリーナの照明がわずかに揺れた。
カズヤの心臓が一拍、音を立てる。
「つまり、彼の死は事故ではなく……計画された“演出”だった?」
メイの唇が震えた。
「ええ。彼は言ってた。“本当の敵は剣を持たない者”だって」
沈黙が落ちる。
外の風がカーテンを揺らし、アイゼンの黒髪をなびかせる。
そのとき、彼の瞳に淡い霊光が走った。
『メイ……逃げろ……騎士は一人ではない……』
レオンの声。
しかし、それは哀しみではなく――警告の響きだった。
「……今の声、聞こえましたか?」
カズヤが震える声で尋ねる。
メイはゆっくりと顔を上げる。
「いいえ。でも、あの人が言っていたことなら……分かるわ。」
彼女はポケットから、一枚の写真を差し出した。
それは、アリーナの控室で撮られた一枚。
レオンの隣に、氷室隼人ともう一人、微笑む東条カレンの姿。
「これが、“試合形式の暗殺”を企画したメンバーよ。
でも……本当の首謀者は、この中にいないわ」
カズヤとアイゼンが同時に息を呑む。
「じゃあ、誰が?」
メイは唇を噛み、言葉を絞り出した。
「“観客席にいた、もう一人のレオン”よ。」
その名を告げた瞬間、
アリーナの照明がふっと落ち、
暗闇の中、折れたサーベルの刃先が微かに光った。
それはまるで、
“真実”という名の亡霊が、静かに剣を構えたかのようだった。
如月レオン(被害者)
27歳。日本フェンシング王者。
協会の不正を暴こうとしていた理想主義者。
死の直前、「To the True Knight」という手紙を残す。
神宮寺メイ
レオンの婚約者で元選手。
事件当夜、彼と口論していた。心に秘密を抱えている。
氷室隼人
フェンシング協会理事でレオンの元師。
冷酷な勝利至上主義者。しかし殺人の動機が見つからず、どこか「芝居じみた潔白」を感じさせる。
橘リサ
スポーツ記者。協会の不正を追っていた。
取材メモを盗まれ、命を狙われる。
ヴィクトール・クラウス
ドイツ人コーチ。
「剣は魂を映す鏡」と語る哲学者肌。
魔剣伝説に詳しい。
東条カレン
協会広報担当。元ジュニアフェンシング選手。
明るく有能だが、レオンとは「過去に師弟関係にあった」と噂される。
事件後もなぜか冷静すぎる態度を見せる。
如月アオイ
レオンの妹。
兄を慕っていたが、兄の理想に人生を縛られていた。
取材の中でカズヤにだけ涙を見せる。
八代宗一郎
スポンサー企業「八代グループ」の御曹司。
フェンシング協会の最大の出資者。
穏やかで紳士的だが、レオンの死を「惜しい逸材でしたね」と冷たく評する。