第8話 夜葬のはじまり
午前3時13分。
空が鳴った。
雷ではない。
ホテル全体が軋み、金属の悲鳴を上げている。
カズヤたちは廊下を走っていた。
だが、どこを曲がっても同じ場所に戻ってくる。
天井が波打ち、壁の中で“誰か”が這っている音がした。
「ここ……もう現実じゃない……」
桐谷玲が涙をこらえながら呟く。
「13階の亡霊が、ホテル全体を呑み込んでるのよ!」
非常灯が一つ、また一つと消えていく。
最後に残った赤い灯りの下で、御堂つかさが笑っていた。
彼の瞳はもう、彼自身のものではなかった。
「ほら、見えるでしょ……
名前を捨てた人たちが、やっと出てこられたんだ……」
壁の中から、無数の白い手が伸びてくる。
影たちは手を取り合い、ゆっくりと“葬列”を組んでいた。
その先頭に、黒い喪服を着た白石冴子が立っている。
「これが夜葬。
名を失った者たちが、“記憶”を棺として運ぶ儀式。」
その声が響いた瞬間、床のカーペットが波のように動き、血のような液体が染み出した。
黒沼龍三。夜警の男が、血に濡れた懐中電灯を手に現れる。
「冴子さん……もう終わりにしろ……!
お前は、まだ“生きてる”人間を巻き込もうとしている!」
冴子は首を傾げ、まるで悲しげに微笑んだ。
「違うの、龍三さん。
私は生きてる者たちを“向こう側”へ導いてあげたいだけ。」
その言葉の直後、廊下の奥で羽生しずえの笑い声が響く。
彼女は亡き夫と手を繋ぎ、まるで幸せそうに廊下の奥へ歩いていく。
二人の姿は、光に溶けるように消えた。
若宮透は、燃え残った図面を見つめながら叫ぶ。
「このホテルの構造……中心に“虚空”がある!
すべての部屋はそこに向かって歪んでるんだ!
13階は、世界の“裏面”に繋がってる!!」
床が崩れ、彼らの足元に“深い井戸”のような闇が口を開けた。
その底から、ささやき声が溢れ出す。
「かえして……かえして……名前を……」
カズヤはアイゼンハワードを見上げた。
「アルおじ、封印を閉じる方法はあるのか!?」
アイゼンの紅い瞳が揺れる。
「……冴子を倒すことではない。
彼女の“名前”を呼び戻すんだ。
本当の、彼女の名を。」
だが、冴子はゆっくりと振り返った。
「その名前を知る者は、もう誰もいないわ。」
ロビーの天井が砕け、夜空が裂けた。
雲の代わりに、無数の影が空を漂っている。
彼らは笑っていた。泣いていた。
そして一斉にホテルの中へ降りてきた。
桐谷が叫ぶ。
「カズヤさん!!逃げて!!」
だがカズヤは立ち止まる。
冴子の瞳の奥に、一瞬、幼い少女の顔が見えた。
孤独と、後悔の涙。
「……白石、由衣。」
冴子の身体が硬直した。
その名を呼ばれた瞬間、黒い霧が吹き飛ぶ。
「どうして……その名前を……」
「君は“冴子”じゃない。
本当の名は、白石由衣。
父に“13階の影”として封じられた娘だ。」
冴子いや、由衣の頬を一筋の涙が伝う。
ロウソクの火が次々と消え、影たちが跪いた。
「……ごめんなさい……ずっと、帰りたかったの……」
彼女が微笑んだ瞬間、ホテル全体が光に包まれた。
建物の壁が崩れ落ち、影たちは風に溶けていく。
アイゼンハワードが叫ぶ。
「全員、ホテルから外へ出ろ!!!」
轟音。
ガラスの破片。
地鳴り。
そして
“ホテル・ルミナス”は、静かに崩壊した。
霧の中、カズヤたちは地面に倒れ込み、息を整える。
夜が明ける。
朝日が山の向こうから昇る。
その光の中に、黒い喪服の少女が立っていた。
微笑みながら、手を振る。
「ありがとう。これで、本当の夜葬が終わる……」
そして、朝日の中に溶けて消えた。
「ホテル・ルミナス」跡地。
後日、調査隊が向かったとき、そこには“13枚の名前のない墓標”が並んでいたという。
ホテル関係者
白石 冴子(支配人):黒い喪服のような制服を着用、無表情。ホテル創業者の娘。十三階の存在を否定するが、鍵を握る深夜の支配者。
黒沼 龍三(夜警):寡黙で無愛想。十三階の存在を知る唯一の従業員。「名前を奪われる」と警告。
御堂 つかさ(清掃員):普段は明るく無邪気だが、時々別人格が現れる。掃除フロアでは影が増える噂。
葛原 美鈴(精神科医):ホテル顧問。宿泊客の怪奇現象を心理的症状と説明するが、自身も幻聴に悩む。
宿泊客/関係者
真壁 慶介(怪談ライター):取材中に十三階の声を録音し失踪。残されたレコーダーには謎の囁き声。
桐谷 玲(若手アイドル):怪談イベントのゲスト。過去にホテルで妹を亡くしておりトラウマを抱える。
羽生 しずえ(老婦人宿泊客):亡き夫の霊に会うため滞在。夜中に幽霊と会話する姿を目撃される。
神代 一馬(廃墟探索YouTuber):十三階に無断侵入して失踪。配信で「誰かが後ろにいる」とコメント。
調査者/関係者
若宮 透(都市伝説研究家):旧友のカズヤとともにホテル調査。建築図面に「削除された部屋番号1313」を発見。
氷室 夏生(故人建築士):ホテル創業時の建築士。図面に日付違いで署名が複数回あり、設計をやり直した理由が謎の核心。




