第7話 支配人の部屋
午前2時。
ホテルの照明はすべて落ち、非常灯だけがかすかに赤く瞬いていた。
廊下の奥に“支配人室”のプレート。
その扉の向こうに、白石冴子がいる。
カズヤ、若宮透、桐谷玲、そしてアイゼンハワードの4人だけが残っていた。
他のスタッフはすでに所在不明。
鏡に飲まれた者、囁きに誘われた者、そして名前を奪われた者。
若宮が手にする図面には、誰かの手で後から描き加えられた赤い線が走っている。
線はホテル全体を巡り、まるで“封印陣”のように支配人室へと収束していた。
「氷室夏生の署名……この部屋だけ、何度も日付が書き換えられてる。
建築士はこの部屋を“存在させないように”設計した。なのに、今ここにある」
桐谷が小声で言った。
「つまり……この部屋そのものが“十三階”?」
若宮が頷く。
「いや……“13階”はこの部屋の内側に造られた――もう一つの現実だ」
カズヤがドアノブに手をかける。
冷たい。
まるで人の皮膚のような感触。
押し開けると、暗闇の中でロウソクの火が一斉に点いた。
その中央に、白石冴子が座っていた。
黒い喪服に包まれ、両手を膝の上で静かに組んでいる。
瞳はまっすぐにカズヤたちを見つめ――
微笑んだ。
「ようこそ。私の中へ。」
その声は、部屋の空気すべてが震えるような響きを持っていた。
桐谷が息を呑む。
「あなた……何者なの?」
冴子はゆっくりと立ち上がる。
背後の壁一面に、黒い影が貼りついていた。
それは人の形をしているが、顔がなかった。
「ここは、“夜葬ホテル”亡き者を“夜に葬る”ための場所。
私の父が建てた時、まだ魂というものを信じていたの。」
若宮が図面を広げ、声を震わせながら言う。
「氷室夏生……あなたの父に雇われた建築士だな。
図面の異常は、“あなたの魂”を封じるために描かれた封印なんじゃないのか?」
冴子の微笑がゆっくりと崩れる。
「そう。彼は私を封じたのよ。
“13階”に……私自身の影として。」
ロウソクの火が一斉に揺らめき、壁の影が蠢き始めた。
そこには、過去に消えたスタッフや宿泊者の影も混じっている。
「影は魂の裏側。
私はこのホテルの“影”として、生き続けているの。」
桐谷が一歩後退する。
「じゃあ……今、あなたは……生きてないの?」
冴子の唇がわずかに動く。
「死んでなどいない。
ただ、“名前”を失ったの。
13階に囚われたすべての者と同じように。」
その瞬間、桐谷の背後で誰かの声がした。
「玲。」
妹の声。
あの日、ホテルの階段から落ちて亡くなった妹の声。
桐谷が反射的に振り向いた瞬間、
背中に“冷たい指”が触れた。
「やめろっ!!」
アイゼンが叫び、銃を構えるが――弾丸は霧のように消える。
代わりに、冴子の足元に血のような影が広がっていく。
冴子が静かに告げた。
「13階とは、“名を忘れた死者たち”が形を持つ世界。
氷室夏生はそれを閉じ込めようとした。
けれど、もう、封印は綻んでいる。」
若宮の手の中で図面が燃え上がった。
赤い線が灰となり、最後に残った文字だけが浮かび上がる。
設計主:氷室 夏生
補筆者:白石 冴子
若宮が震える声で呟く。
「……お前が……この“13階”を完成させたのか……?」
冴子はゆっくりと笑った。
「ええ。
父の作った“死の箱”を私が目覚めさせたの。」
ロウソクの火がすべて消え、闇が襲いかかる。
最後にカズヤの耳に届いたのは、冴子の声だった。
「次は、あなたの番ね……カズヤ。」
そして闇の中で、誰かの“影”がひとつ壁の中へと吸い込まれていった。
ホテル関係者
白石 冴子(支配人):黒い喪服のような制服を着用、無表情。ホテル創業者の娘。十三階の存在を否定するが、鍵を握る深夜の支配者。
黒沼 龍三(夜警):寡黙で無愛想。十三階の存在を知る唯一の従業員。「名前を奪われる」と警告。
御堂 つかさ(清掃員):普段は明るく無邪気だが、時々別人格が現れる。掃除フロアでは影が増える噂。
葛原 美鈴(精神科医):ホテル顧問。宿泊客の怪奇現象を心理的症状と説明するが、自身も幻聴に悩む。
宿泊客/関係者
真壁 慶介(怪談ライター):取材中に十三階の声を録音し失踪。残されたレコーダーには謎の囁き声。
桐谷 玲(若手アイドル):怪談イベントのゲスト。過去にホテルで妹を亡くしておりトラウマを抱える。
羽生 しずえ(老婦人宿泊客):亡き夫の霊に会うため滞在。夜中に幽霊と会話する姿を目撃される。
神代 一馬(廃墟探索YouTuber):十三階に無断侵入して失踪。配信で「誰かが後ろにいる」とコメント。
調査者/関係者
若宮 透(都市伝説研究家):旧友のカズヤとともにホテル調査。建築図面に「削除された部屋番号1313」を発見。
氷室 夏生(故人建築士):ホテル創業時の建築士。図面に日付違いで署名が複数回あり、設計をやり直した理由が謎の核心。