第5話 亡霊の晩餐
13階の奥、古びた宴会場の扉を押し開けた瞬間、空気が一変した。
埃とカビの匂い、そして微かに漂う硝煙のような匂い。
カズヤたちの視線の先には、無数の椅子と机が、整然と並べられていた。
そして、各席の上には――白い手袋が一組ずつ、まるで誰かが座るのを待つかのように置かれていた。
「……これが……」
カズヤの声は震え、誰にも届かない。
御堂つかさの別人格が、ゆっくりと前に歩を進める。
鏡で見たときと同じく、目の奥に赤い光を宿したその顔は、まるで影の世界と呼応しているかのようだった。
そして、手袋の上に置かれた影たちが、微かに動き始める。
椅子の背もたれが、ゆっくりと傾き、まるで人が座る動作を真似する。
手袋が小さく震え、空気がざわめき、低く呻くような声が響いた。
「……儀式……」
美影ミナトが小声でつぶやく。
「誰の……儀式なの……?」
その時、桐谷玲の目が固まった。
目の前に、妹の幻影が現れたのだ――笑顔で手を振る、しかし顔の輪郭はぼやけ、霧のように揺らいでいる。
「……あ……あの時……」
玲は過去の記憶に引きずり込まれる。
妹を助けられなかったあの日の、痛み、後悔、恐怖。
その瞬間、幻影の妹が消えると同時に、宴会場の影たちは揺らぎながらも、規則正しい動作を続けた。
まるで“死者たちの晩餐”を再演するかのように、影が座り、手を差し伸べ、手袋の儀式を模倣している。
アイゼンハワードが低く唸った。
「……存在しないはずの壁を、奴らが通り抜けている……」
赤い瞳が廊下の端を捉える。
影は物理的にはありえない動きをし、空間をねじ曲げるかのように、壁や机を貫通して歩く。
カズヤは息を飲む。
「……あの……誰もいないはずなのに……」
影たちは一斉に、廊下の奥からこちらを見た。
その視線は、確かに生者を見据えている。
生きた体に、魂を、呼びかけるかのような視線だった。
宴会場の空気が震え、低く反響するピアノの旋律が再び流れる。
それは逆再生の葬送行進曲、影たちの動きに合わせ、儀式のテンポを刻む。
桐谷玲は妹の幻影に向かって声を上げる。
「……私は……もう……逃げない!」
しかし、宴会場の奥から、白石冴子の冷たい声が館内に響いた。
「……その覚悟、意味はない……」
影たちの儀式は、止まることを知らず――十三階の深淵は、再び生者を取り込もうと、静かに、しかし確実に牙をむいた。
ホテル関係者
白石 冴子(支配人):黒い喪服のような制服を着用、無表情。ホテル創業者の娘。十三階の存在を否定するが、鍵を握る深夜の支配者。
黒沼 龍三(夜警):寡黙で無愛想。十三階の存在を知る唯一の従業員。「名前を奪われる」と警告。
御堂 つかさ(清掃員):普段は明るく無邪気だが、時々別人格が現れる。掃除フロアでは影が増える噂。
葛原 美鈴(精神科医):ホテル顧問。宿泊客の怪奇現象を心理的症状と説明するが、自身も幻聴に悩む。
宿泊客/関係者
真壁 慶介(怪談ライター):取材中に十三階の声を録音し失踪。残されたレコーダーには謎の囁き声。
桐谷 玲(若手アイドル):怪談イベントのゲスト。過去にホテルで妹を亡くしておりトラウマを抱える。
羽生 しずえ(老婦人宿泊客):亡き夫の霊に会うため滞在。夜中に幽霊と会話する姿を目撃される。
神代 一馬(廃墟探索YouTuber):十三階に無断侵入して失踪。配信で「誰かが後ろにいる」とコメント。
調査者/関係者
若宮 透(都市伝説研究家):旧友のカズヤとともにホテル調査。建築図面に「削除された部屋番号1313」を発見。
氷室 夏生(故人建築士):ホテル創業時の建築士。図面に日付違いで署名が複数回あり、設計をやり直した理由が謎の核心。