第4話 失踪と囁き声
13階の空気は、重く、そして鈍く沈んでいた。
廊下を歩くスタッフたちの足音は、まるで泥に沈むように吸い込まれる。
カズヤは肩に食い込むカメラを握りしめ、息を殺した。
「……聞こえるか?」
アイゼンハワードの低い声。
カズヤの手元で、真壁慶介の残した古いボイスレコーダーが振動した。
再生ボタンを押すと、ヒュルヒュルと電子音が混ざり、かすかな囁きが聞こえてきた。
「……こっちに……来て……」
声は明確ではない。耳を澄ませば、何人もの声が重なり、まるで十三階の壁の奥深くから湧き出してくるかのようだった。
スタッフの美影ミナトは背筋を震わせる。
「……や、やめて……! こんな声……」
廊下の向こうから、御堂つかさの声が途切れ途切れに響く。
「……あれ……俺じゃない……俺が……」
次の瞬間、御堂の姿が視界から消えた。
まるで空気ごと吸い込まれたかのように、そこには何も残らない。
カズヤが振り返ると、影のように揺れる黒い気配だけが残っていた。
「つ、つかさ……!」
声を張り上げるカズヤに、アイゼンハワードが静かに首を振る。
「叫んでも意味はない……十三階は、存在する者を選ぶ場所だ」
そのとき、若宮透が古い図面を取り出した。
黄ばんだ紙には、通常の12階までの構造図の上に、不自然に消された「1313号室」の文字があった。
「……氷室夏生……何度も設計をやり直した理由はこれだ……ここに、異界への接続が隠されている」
若宮の指先が震える。図面の上に描かれた不可解な線が、廊下の鏡や影と重なって見えた。
そのとき、羽生しずえがふと立ち止まった。
「……あなたなの(夫)……?」
薄暗い廊下の先に、彼女の亡き夫の姿が漂っていた。
白い霧の中で微笑む夫は、手を伸ばしている。
「しずえ……」
恐怖と懐かしさが交錯する中、羽生はそっと歩み寄る。
だが、手が触れた瞬間、霊は消え、代わりに冷たい風が骨まで吹き抜けた。
「……来てはいけない……」
背後で囁きが重なる。無数の声が、羽生を、スタッフたちを押し込むように蠢いた。
廊下の鏡に映る影は、もはや姿形を保たない。
人の形をした影、伸びる腕、ねじれた笑顔――それらが生者の動きを模倣し、時折、異界の奥へ引き込もうとする。
カズヤは凍りついた。
「……十三階……ただの廊下じゃない……誰かが、奪われてる……」
アイゼンハワードは低く唸る。
「……声に導かれる者は、もう戻れない……だが、まだ、我々は試されている」
廊下の奥で、囁き声が一層大きくなった。
「……来て……戻れない……」
13階の闇は、静かに、そして確実に、生者たちを飲み込もうとしていた。
ホテル関係者
白石 冴子(支配人):黒い喪服のような制服を着用、無表情。ホテル創業者の娘。十三階の存在を否定するが、鍵を握る深夜の支配者。
黒沼 龍三(夜警):寡黙で無愛想。十三階の存在を知る唯一の従業員。「名前を奪われる」と警告。
御堂 つかさ(清掃員):普段は明るく無邪気だが、時々別人格が現れる。掃除フロアでは影が増える噂。
葛原 美鈴(精神科医):ホテル顧問。宿泊客の怪奇現象を心理的症状と説明するが、自身も幻聴に悩む。
宿泊客/関係者
真壁 慶介(怪談ライター):取材中に十三階の声を録音し失踪。残されたレコーダーには謎の囁き声。
桐谷 玲(若手アイドル):怪談イベントのゲスト。過去にホテルで妹を亡くしておりトラウマを抱える。
羽生 しずえ(老婦人宿泊客):亡き夫の霊に会うため滞在。夜中に幽霊と会話する姿を目撃される。
神代 一馬(廃墟探索YouTuber):十三階に無断侵入して失踪。配信で「誰かが後ろにいる」とコメント。
調査者/関係者
若宮 透(都市伝説研究家):旧友のカズヤとともにホテル調査。建築図面に「削除された部屋番号1313」を発見。
氷室 夏生(故人建築士):ホテル創業時の建築士。図面に日付違いで署名が複数回あり、設計をやり直した理由が謎の核心。