第3話 鏡の中の影
13階
そのエレベーター扉を越えた瞬間、空気が変わった。
冷気が肺の奥まで沁み渡り、微かな静電気の匂いが鼻腔をくすぐる。
エレベーターを出たカズヤたちは、長い廊下に一列に並んだ。
壁の鏡が異様に光を反射し、普段より奥行きが歪んで見える。
カズヤは息を殺した。
「……なんだ、この影……」
鏡に映る自分たちの姿は、微妙にずれていた。
目の位置、手の角度、笑顔の形――すべてがわずかにねじれ、揺れている。
しかも、自分の影が一人、増えていた。
御堂つかさが慌てて声を上げる。
「や、やめ……!」
その瞬間、御堂の目がかすかに赤く光った。
普段の無邪気な青年の顔が、別人格、
冷たい笑みを浮かべる「誰か」に変わる。
「……ここは、面白い場所だ」
低く、しかし確かな意志を持つ声が響く。
御堂は無意識に鏡の中の影と視線を交わした。
すると影たちが、まるで意思を持つかのように揺れ、彼の動きに反応する。
背後で、冷たい女の声が響いた。
「……そこを、動くのよ」
白石冴子、支配人の声だった。
しかし姿は見えない。
館内にだけ響くその声は、スタッフたちの動きを制御するように冷たく、柔らかく、恐ろしく響く。
「止まれ……そこで立って」
「右に曲がりなさい」
カズヤは震える手でカメラを握り、口を押さえた。
「……こんな……指示、どうして……」
そのとき、カメラのモニターに神代一馬の生配信映像が映し出された。
画面の中で、一馬は十三階の影の中に立っている――しかし、その顔には恐怖の色がなく、ただ虚ろにこちらを見つめていた。
そして一瞬、彼の肩の後ろに、無数の歪んだ影が迫る。
「……あれは……」
影は鏡の中にしか存在しないはずだった。
だが、モニターの中の影はリアルに、手を伸ばし、一馬を飲み込もうとしていた。
カズヤは息を飲む。
「……影が……ない……いや……死んだのか?」
一瞬の沈黙のあと、御堂の別人格が笑う。
「死んだ? いや、まだだ……彼らは、ただ形を変えているだけだ」
鏡の中で、影たちは増え、ゆらめき、ゆっくりとこちらを覗き込む。
その視線は、まるで生者の魂を見抜こうとしているかのようだった。
そして、廊下の奥から再び、あの逆再生のピアノの旋律が響き始める。
音に合わせ、影たちは動き出す――こちらに向かって、じわりと、確実に。
カズヤは声にならない叫びをあげた。
「……逃げるしか……」
だが、白石の声が耳元でささやいた。
「……ここから逃げられる者は、いない……」
霧のような冷気に包まれ、十三階の廊下は、鏡の中の影と生者が入り混じる異形の空間となった。
外界とは断絶されたその場所でスタッフたちは、初めて“生者と影の境界”の薄さを知ることになる。
ホテル関係者
白石 冴子(支配人):黒い喪服のような制服を着用、無表情。ホテル創業者の娘。十三階の存在を否定するが、鍵を握る深夜の支配者。
黒沼 龍三(夜警):寡黙で無愛想。十三階の存在を知る唯一の従業員。「名前を奪われる」と警告。
御堂 つかさ(清掃員):普段は明るく無邪気だが、時々別人格が現れる。掃除フロアでは影が増える噂。
葛原 美鈴(精神科医):ホテル顧問。宿泊客の怪奇現象を心理的症状と説明するが、自身も幻聴に悩む。
宿泊客/関係者
真壁 慶介(怪談ライター):取材中に十三階の声を録音し失踪。残されたレコーダーには謎の囁き声。
桐谷 玲(若手アイドル):怪談イベントのゲスト。過去にホテルで妹を亡くしておりトラウマを抱える。
羽生 しずえ(老婦人宿泊客):亡き夫の霊に会うため滞在。夜中に幽霊と会話する姿を目撃される。
神代 一馬(廃墟探索YouTuber):十三階に無断侵入して失踪。配信で「誰かが後ろにいる」とコメント。
調査者/関係者
若宮 透(都市伝説研究家):旧友のカズヤとともにホテル調査。建築図面に「削除された部屋番号1313」を発見。
氷室 夏生(故人建築士):ホテル創業時の建築士。図面に日付違いで署名が複数回あり、設計をやり直した理由が謎の核心。