序章 夜葬(やそう)事件
それは十年前の冬。
雪が音を失うほど静かな夜だった。
山中の高級ホテル「ルミナス」には、その晩十三人の宿泊客がいた。
企業の社長、ピアニスト、モデル、画家、夫婦、僧侶、旅の若者。
偶然か、あるいは必然か、その夜、全員が同じ階に泊まっていた。
十三階。
最上階であり、最も眺めのいい階。
だが、そこに泊まる者は、なぜか一晩ごとに悪夢を見たという。
「誰かがドアをノックする音がする」
「部屋番号を呼ばれる」
「エレベーターが勝手に動く」
そんな噂を、従業員たちはひそかに語っていた。
だが、支配人の城之内礼司は迷信を信じなかった。
「このホテルは完璧だ。亡霊など存在しない」
そう豪語し、十三階の“呪い”を否定した。
そして、その夜が来た。
午後十一時五十五分。
吹雪が窓を叩くなか、非常ベルが一度だけ鳴った。
停電が起き、館内が闇に包まれる。
フロント係の月原結衣は、懐中電灯を手に階段を上がった。
しかし、十三階のドアの前に立った瞬間、彼女は足を止めた。
扉の隙間から、ピアノの音が聞こえてきた。
ゆっくり、ゆっくりと
葬送行進曲を逆再生したような、不協和音の旋律。
そして、音が止んだとき、階段の明かりが一斉に消えた。
翌朝。
警察がホテルに到着したとき、十三階の全ての部屋が施錠されていた。
ドアをこじ開けると、宿泊客十三人がそれぞれの部屋で息絶えていた。
窓は閉ざされ、暴行の痕もない。
死因は全員、心臓麻痺。
ただし一つだけ、異常があった。
全員の枕元に、白い手袋が一組ずつ置かれていたのだ。
それはホテルの制服用ではない。
まるで「葬儀に参列する誰か」が、
一人ひとりに手向けたように整然と並んでいた。
しかも、十三人の遺体はそれぞれ、異なる方向を向いて倒れていた。
まるで“見えない指揮者”の指示で、
最後の瞬間まで、何かの“儀式”を演じていたかのように。
事件は新聞で「夜葬事件」と報じられた。
動機も犯人も不明。
唯一生き残ったのは、フロント係の月原だけだったが、
彼女はその後、発狂して行方をくらました。
以来、ホテル・ルミナスは閉鎖され、
誰も十三階に近づかなくなった。
だが、噂は消えない。
満月の夜になると、廃ホテルの最上階で、
誰もいないのに、フロントベルが三度鳴る。
チリン……チリン……チリン……
まるで、再び“客”を迎え入れるかのように。