終章 規制する者を、規制せよ。
夜の目黒川沿い、ビルの谷間を縫うように冷たい風が吹き抜けていた。
パトカーの赤色灯がリバーサイド大河原へと近づいてきた。
カズヤは封筒を手に、街灯の下で深く息をついた。
中には“真実”があった。
改ざん前の監視映像、そして今永の最後の録音データ。
あの声がまだ耳に残る。
「……規制する者を、規制せよ。」
東条健二。冷徹で、完璧で、そして最も人間らしい闇を抱えた男。
彼は会社の不正を隠すために今永の死を利用し、データを改ざんして“神”になろうとした。
だが、真実はいつも、監視の隙間から滲み出る。
カズヤは橋の欄干にもたれ、手の中の証拠封筒を見つめた。中には、今永の録音データと改ざん前の監視ログ。すべてが終わった証だった。
警察の車両が遠ざかる。岡田涼子と東条健二は、静かに任意同行された。
ふたりの視線が一瞬交わる。罪悪感と、どこか愛情にも似た執着。
そう、ふたりは不倫関係にあった。
今永を突き飛ばしたのは岡田。だが、その“死”を利用して監視データを改ざんし、会社の不正を消し去ったのは東条だった。
彼は自らが仕える管理会社の闇を知りすぎていた。
だから、規制の名のもとに“真実”を消したのだ。
アイゼンハワードが煙草をくゆらせながらつぶやく。
「規制ってのは、便利な言葉だな。誰かを黙らせるための」
「監視ってのは、一度覚えたら手放せない。
“安心”の裏に潜むのは、支配の快感だ。
人間は、自分の目で自分を縛るんだ。」
風が川面を撫で、桜の葉が一枚、ゆっくりと舞い落ちた。
春でもないのに、まるで誰かの魂が舞い戻ったように。
そのとき、遠くのマンション屋上で、小さな赤い光が点滅した。
一瞬、光がカズヤたちの顔を照らす。
アイゼンハワードが顔を上げる。
「……見てるな、まだ。」
カズヤは笑った。皮肉にも、穏やかに。
「アルおじ、いいさ。見たいなら、見せてやろう。
俺たちが“生きてる”ってことを。」
ふたりは夜の川沿いを歩き出す。
赤いランプは、まるで目玉のように、彼らの背中を見つめていた。
やがて、風が一陣。
その光がふっと消える。
闇だけが残った。
だが、その闇の中にも、確かに何かが“記録”していた。
「規制する者を、規制せよ。」
その言葉が、夜風に乗って、どこかでまた誰かの耳に届く。
目黒川の流れの奥で、監視社会の物語は、静かに次のページをめくっていた。
『カズヤと魔族のおっさんの事件簿:規制虫 管理人殺人事件』
ー完ー