第9話 規制虫を操っていた人物
重苦しい沈黙が、リバーサイド大河原の集会室を包んでいた。
夜の理事会。カズヤとアイゼンハワードの要請で、全ての関係者が招集された。
蛍光灯の明かりが白く照り返し、テーブルの上には事件の資料、監視カメラの映像、そして血で汚れた管理規約書が並んでいる。
「さて、始めようか。」
カズヤが立ち上がる。声には静かな緊張があった。
「この事件は――“規制虫”と呼ばれた管理人・今永辰夫の死から始まった。
だが、その死を利用し、“マンションそのものを支配しようとした者”がいる。」
住民たちの間にざわめきが走る。
岡田涼子が息を詰め、東条健二は無表情のまま腕を組んだ。
カズヤは映像を再生する。
南田薫のライブ配信映像。そこには今永と誰かがもみ合い、階段の踊り場で倒れ込む瞬間が映っていた。
「……これが事件の決定的瞬間です。」
画面を指しながら、カズヤが言う。
「このとき今永を突き飛ばしたのは岡田涼子さん、あなたですね。」
岡田は青ざめた。
「違うの! あの人が……息子を――」
「息子さんを“規約違反”として退去させようとした。
あなたは止めようとした……そして、階段から――」
アイゼンハワードが静かに頷く。
「事故のようでいて、あなたはそのまま通報しなかった。恐怖だったのでしょう。」
岡田の目に涙が浮かぶ。
「怖かった……あの人、死んでるって思って……どうしたらいいか……」
カズヤは一拍置いて言葉を続けた。
「しかし、この事件の本質は、そこでは終わらない。」
プロジェクターに別の映像が映し出される。
理事長・日下部の部屋に隠された“監視装置”。
そして、その配線は……管理会社の通信サーバーへと繋がっていた。
「今永の死を“利用した者”がいる。
それが不動産管理会社の担当、東条健二。」
室内に緊張が走る。
東条は無言のまま視線をカズヤに向けた。
「証拠は?」
「あなたのPCから、今永を“規制強化計画の障害”として扱うメールを発見しています。
オーナー・大河原修と共謀し、“住民データ”を不正に集めていた。」
アイゼンハワードが低く言った。
「君たちは“管理”という名の支配を進めるために、彼の死を隠した。」
東条の顔が、ゆっくりと歪んだ笑みに変わる。
「まさか……そこまで見ていたとは。」
「我々だけではありません。」カズヤが言った。
「このマンション自体が見ていた。」
その瞬間、天井の防犯カメラがカチリと動いた。
まるで“何か”がこの場を見下ろしているように。
モニターに、ざらついた映像が映る。
そこには、壊れた監視カメラから伸びたコードが、まるで寄生虫のように配線へ這い回っていた。
「寄生虫……」アイゼンが呟く。
「“監視システム”そのものが、自らを拡張していたのか。」
カズヤが言葉を締めくくる。
「今永は、“規制虫”ではなかった。彼自身も、この“寄生する監視”に取り込まれていたんだ。
それを操っていたのは人間の欲だ。」
東条の顔から笑みが消える。
「……正義を装った支配欲、か。」
アイゼンが剣の柄に手を添えた。
「寄生は切り離すものだ。たとえそれが、人の心の中にあっても。」
集会室の電灯が一瞬、チカリと明滅する。
カメラの赤いランプがひとつ、またひとつ消えていった。
静寂。
カズヤが呟く。
「これで終わりじゃない。監視という名の“ 規制虫”は、まだこの街に潜んでいる。」
アイゼンハワードが低く笑う。
「ならば次は、その宿主を見つけ出す番だ。」
窓の外、目黒川の水面に街の光が滲んでいた。
その中で、どこかの壊れたカメラが、まだかすかに赤く光っていた。
まるで寄生虫の眼のように。
岡田涼子(おかだ りょうこ・42)
シングルマザー。管理人とたびたび対立していた。息子を守るため過剰防衛気味。
東条健二(とうじょう けんじ・37)
不動産管理会社の担当。冷徹で無表情。実は今永を“ある理由で”監視していた。
大河原修(おおかわら おさむ・65)
マンションのオーナー。住民たちの苦情を無視していた。裏で脱税疑惑あり。
南田薫(みなみだ かおる・28)
YouTuberの住民。規制に反発して“監視カメラを逆に撮る動画”を投稿していた。
田所章(たどころ あきら・50)
清掃員。今永の古い知人。事件前日、口論する姿を目撃されている。
三好梨花(みよし りか・31)
シェアハウスとして違法に部屋を貸していた住人。秘密の副業がある。
日下部礼司(くさかべ れいじ・45)
マンション理事長。几帳面で正義感が強いが、極端なルール主義者。
白鳥舞子(しらとり まいこ・26)
夜勤の看護師。ゴミ出しの朝、最初に死体を発見した人物。記憶に“抜け落ち”がある。