第6話 ゴミ置き場の夜
午前二時を回ったマンション裏手。
雨のしずくが、錆びた焼却炉の鉄扉を打っていた。
田所章、清掃員であり、かつて今永と仕事を共にした男。
その姿を最後に見たという住民の証言は、どれも曖昧だった。
「何かを燃やしていた」それだけが、共通している。
カズヤは懐中電灯を向けながら、焼却炉の底を覗き込んだ。
黒く焦げた紙片。雨で滲んだインク。
そして、その中に乾ききらぬ“赤黒い染み”があった。
アイゼンハワードが静かに手袋をはめ、ピンセットでそれを取り上げた。
「……マンション管理規約書、だな。だが、見たことのない版だ」
ページの片隅に、小さく“改定管理規約”と印刷されている。
内容を追うごとに、二人の表情は険しくなっていく。
第七条:特定住人の行動記録は、理事長および指定管理者により監視・保存されること。
第八条:違反者は“適切な処置”の後、データより抹消されること。
それは、管理規約というより、処分のためのマニュアルだった。
カズヤが低く呟いた。
「“処置”って……まさか、今永も?」
アイゼンハワードは答えず、規約書の端を照らした。そこには血の指紋が残っていた。
その時、背後で「カサッ」と袋が鳴った。
二人が振り向くと、ゴミ置き場の影から誰かが逃げ出した。
濡れたアスファルトを踏む靴音が、階段の方へ遠ざかっていく。
「待てッ!」
カズヤが追おうとするが、アイゼンハワードが腕を掴んだ。
「ダメだ。あいつは“監視の目”を知っている。ここで動けば、逆に見られる」
再び静寂が戻る。
だが、焼却炉の奥から“パチッ”と何かが弾ける音がした。
まだ、火は完全には消えていなかった。
その中で、溶け残った文字がひとつ
「田所」
カズヤはその名を見つめながら、口の中で繰り返した。
「燃やしたのは、証拠か……それとも、罪悪感か」
アイゼンハワードは空を仰いだ。
「どちらにせよ、このマンションには“正しい夜”が存在しないようだな」
遠くで風が唸り、焼却炉の火が一瞬だけ蘇る。
その炎の中に、誰かの顔が笑っているように見えた。
翌朝、田所の姿は消えていた。
ただ、彼の作業着だけがゴミ置き場の片隅に、雨に濡れて残っていた。
今永辰夫(いまなが たつお・58)
リバーサイド大河原の管理人。極端な規制好き。被害者。
岡田涼子(おかだ りょうこ・42)
シングルマザー。管理人とたびたび対立していた。息子を守るため過剰防衛気味。
東条健二(とうじょう けんじ・37)
不動産管理会社の担当。冷徹で無表情。実は今永を“ある理由で”監視していた。
大河原修(おおかわら おさむ・65)
マンションのオーナー。住民たちの苦情を無視していた。裏で脱税疑惑あり。
南田薫(みなみだ かおる・28)
YouTuberの住民。規制に反発して“監視カメラを逆に撮る動画”を投稿していた。
田所章(たどころ あきら・50)
清掃員。今永の古い知人。事件前日、口論する姿を目撃されている。
三好梨花(みよし りか・31)
シェアハウスとして違法に部屋を貸していた住人。秘密の副業がある。
日下部礼司(くさかべ れいじ・45)
マンション理事長。几帳面で正義感が強いが、極端なルール主義者。
白鳥舞子(しらとり まいこ・26)
夜勤の看護師。ゴミ出しの朝、最初に死体を発見した人物。記憶に“抜け落ち”がある。
川村俊介(かわむら しゅんすけ・33)
外部の配送員。事件当夜、マンションに入っていたが記録が残っていない謎の人物。