第4話 理事長の告白
午後九時。
会議室の蛍光灯はひどく白く、冷たかった。
日下部礼司(45)は、椅子に深く腰を下ろしたまま、指を小刻みに震わせていた。
その前に、カズヤとアイゼンハワードが立っている。
テーブルの上には、一枚の古びたノート“理事長日誌”。
その表紙には、うっすらと手汗の跡が滲んでいた。
「……認めます」
日下部の声は、低く、擦れた。
「私は、今永に“監視システム”の拡張を指示していました。
住民たちの生活態度を把握し、規律を保つために……そう思っていた」
カズヤは目を細めた。
「つまり、あなたは“過度な規制”の共犯者だと?」
理事長はうなだれ、両手で顔を覆った。
「最初は小さなことだったんです……ゴミ出し、騒音、違法駐車。
でも、今永は次第にエスカレートしていった。
“人は監視されると正しく生きる”と、あの男は笑っていた」
その声には、わずかな憎悪が混じっていた。
アイゼンハワードは、冷ややかにノートを開いた。
そこには、マンション各階の監視カメラ設置図、住民の生活記録
そして、最後のページにだけ、赤インクでこう書かれていた。
『理事長の部屋にも、目を。』
その一文を見た瞬間、日下部の顔色が変わった。
「ま、待ってくれ……! 私の部屋には監視カメラなんて……」
カズヤが無言で視線を送る。
アイゼンがリモコンを操作すると、隣室のモニターが点灯した。
映し出されたのは理事長の寝室。
机の上のランプの陰に、小さなレンズが埋め込まれていた。
しかもそれは、今永の設置リストには存在しない機種だった。
「……誰が、いつ……」
理事長の声が震える。
「あなたが監視していたつもりの“システム”は、別の誰かに乗っ取られていた可能性があります」
カズヤの口調は冷静だったが、瞳の奥には警戒の炎が宿っていた。
アイゼンハワードは端末を確認しながら言う。
「このカメラの信号は、外部のサーバーを経由していた形跡がある。
まるで、理事長も“監視対象の一人”だったようだ」
日下部の喉が鳴る。
汗が額を伝い、床に落ちる音が静寂の中に響いた。
突然、会議室の照明が一瞬チカついた。
壁際の防犯モニターがひとりでに切り替わり、映像が流れ出す。
そこに映っていたのは、今永辰夫。
だが、彼の声が聞こえた瞬間、カズヤの背筋に冷たいものが走った。
「監視とは、信頼の証だ。
だが、信頼が壊れた瞬間、それは呪いに変わる。」
画面の今永が、ゆっくりとこちらに顔を向ける。
そして不意に笑った。
映像がフェードアウトする寸前、背後の壁にもうひとつの影が映る。
それは今永ではない。別の人物が、カメラの後ろに立っていた。
「……まだ、誰かが生きてこのシステムを動かしている」
カズヤが呟く。
アイゼンハワードが立ち上がり、モニターのケーブルを引き抜いた。
画面が闇に沈む。
その直後、廊下の奥からカタリと音がした。
誰かが“理事会室のドアを外から閉めた”音だった。
アイゼンハワードは剣の柄に手をかけ、低く言った。
「理事長、あなたの“告白”を聞いていた者がいるようだな。」
外の監視モニターが、ふたたびゆっくりと光を放ち始める。
そこには誰の姿も映っていないのに、“呼吸音”だけが録音されていた。
カズヤは静かに息を吐いた。
「監視者は、常に“二人”存在する。
だがこのマンションでは、三人目の“目”が存在しているようだな。」
夜の目黒川を吹き抜ける風が、窓をかすかに揺らした。
遠くで、どこかの防犯灯が一つ、ふっと消えた。
今永辰夫(いまなが たつお・58)
リバーサイド大河原の管理人。極端な規制好き。被害者。
岡田涼子(おかだ りょうこ・42)
シングルマザー。管理人とたびたび対立していた。息子を守るため過剰防衛気味。
東条健二(とうじょう けんじ・37)
不動産管理会社の担当。冷徹で無表情。実は今永を“ある理由で”監視していた。
大河原修(おおかわら おさむ・65)
マンションのオーナー。住民たちの苦情を無視していた。裏で脱税疑惑あり。
南田薫(みなみだ かおる・28)
YouTuberの住民。規制に反発して“監視カメラを逆に撮る動画”を投稿していた。
田所章(たどころ あきら・50)
清掃員。今永の古い知人。事件前日、口論する姿を目撃されている。
三好梨花(みよし りか・31)
シェアハウスとして違法に部屋を貸していた住人。秘密の副業がある。
日下部礼司(くさかべ れいじ・45)
マンション理事長。几帳面で正義感が強いが、極端なルール主義者。
白鳥舞子(しらとり まいこ・26)
夜勤の看護師。ゴミ出しの朝、最初に死体を発見した人物。記憶に“抜け落ち”がある。
川村俊介(かわむら しゅんすけ・33)
外部の配送員。事件当夜、マンションに入っていたが記録が残っていない謎の人物。