08.
レイはそれから文献を読み直すことに専念した。
この塔にかけられた魔法を解除できないか。
なにか突破口はないか。
だが、ヒントは見出せず、逃げ出すための脳内シュミュレーションも全て失敗だった。
「アレが扉を開けた途端に気絶させ強行突破してはいかがですか?」
ランスロットの言葉にレイ目を見開く。
呆れた。
ランスロットは自分だけでなく、弟までも危険な目に合わせようとしているのか。
「アルを傷付けるのは許さない」
「…す、すみませんレイ様」
「第一、アルの意思がなければ扉の魔法は解除されない。気を失わせた途端に扉は閉まるし、第一、この部屋に第三者が居たと知られる最悪の手だ」
流石は騎士様。攻撃する術ばかり思いつく。この脳筋め、と心の中で悪態をつく。
レイの冷ややかな態度に、ランスロットは数日前に伝えた言葉が失敗したと思った。
楽しく過ごしていた日々から一変し、今は距離をおかれ心に壁を作られた。ランスロットは大きな肩をしょんぼり下げる。
「レイ様、少しお話ししましょう」
「今は忙しい」
「そんなにコン詰めなくても、大丈夫です」
「流暢なことを言うんだね。ランスは早くここを出たいだろう?」
「…はぁ……やはり、勘違いされている。レイ様、お茶でも飲みながら話しましょう。座ってください」
「だから」
「ここに座ってください」
凄みを効かせた三白眼に押され、レイは渋々と椅子に座った。
目の前に紅茶が置かれる。
ほわほわと湯気のたつティーカップを触りながら、レイは気まずく視線を逸らした。
前の席にランスロットは座ると、レイをジッと見つめて重たい口を開いた。
「レイ様、…ここを出たいのは本当です。私は国に帰らなければいけない理由があります。ですが、レイ様と一緒にいたい。それも本心です。だから、あんなにも安易に一緒にここを出よう言ってしまった。レイ様の気持ちも考えず、申し訳ありません」
深々と頭を下げる。
暫く無言でいたレイだが、数分経っても頭下げたままのランスロットに、良心が痛んでまごまごと口を開く。
結局は折れてしまう。
「やめてくれ。ランスが謝る必要はない。私もランスといるのは楽しかったし、一緒にいたいと思ってくれるのは嬉しい」
「レイ様…」
やっと視線を上げてくれたランスロットに、ホッとする。
ランスロットの言葉は友好的だ。外に出ろというのは、レイが思っていたよりも、軽い気持ちで話したのかもしれない。
悲観的になった自分をレイは恥じた。
「ここを出る為に協力は惜しまないが、私はここを出る気はない」
「アレでも、レイ様の大事な弟。家族を大切にされているのですね」
「アルの話は今していないだろう」
「ですが、貴女がここに留まる理由はアレのせいですよね?」
「それもあるが」
レイは少しの違和感を感じた。
噛み合っているようで、噛み合わない。何かが足りない。
二人の間に、認識の食い違いがあるのだ。
分かっていると思いつつ、レイは改めて状況を話すことにした。
「私はそもそも、ここを出て見つかったら国の法律により処刑されてしまう。ランスも言ったように、細くて弱い私では一生逃げ続けるなんて無理だ」
先日、細い華奢だと言われたのを根に持って、レイはワザとランスの言葉を使った。
だが実際問題、力が無いことは事実。
レイは無力な自分に苦笑する。
「処刑…?」
ランスロットは眼を見開いた。信じられないとでもいうように。
やがて、ワナワナと拳を握る。
「この国ではそんな馬鹿げた法律があるのですか?どこまで我が種族を侮辱すれば……」
レイはたじろいだ。
そして、怖くなった。
怖いのはランスロットの態度ではない。
直感的にレイが今まで信じてきたものが否定される気がしたから。
レイはランスロットの言葉を無意識に拒否した。
「…やめてくれ。悪い。やっぱり聞きたく無い。この話はやめよう」
「いえレイ様、聞いてください。やはり貴女はここにいるべきではない」
「国が違うんだ。そうだな認識の相違はあるかもしれない。分かったからもういい」
「レイ様、そもそも貴女がここに幽閉されていること自体が」
「やめてと言っている!」
レイは近付くランスロットの手を振り払った。
その瞬間、ランスロットの鋭い爪が、レイの腕を切り裂く。
「…っ!」
「レイ様!!」
咄嗟に腕を押さえるが、鮮血が取り止めもなく滴る。竜族の分厚く鋭い爪は、レイの柔らかな腕肉をいとも簡単に裂いた。
想像以上の流血に、やってしまった。とレイは冷静に思ったが、反対に目の前のランスロットは動揺を隠しきれずに慌てふためいた。
「血、血が…レイ様、ど、どうすれば」
「大丈夫、落ち着いてランス。私が勝手に当たっただけだから」
「私は何てことを、魔法で、治癒魔法で止血を」
「駄目!」
蒼白したランスロットをレイは冷静に止めた。
ひとまず、近くにあったシーツを切り裂き、腕を圧迫する。止血で止まればいいが、思ったよりも傷は深い。流石は竜族。戦闘種族の殺傷能力を思わぬ機会に垣間見てしまった。
ランスロットは青い顔を通り越して真っ白になっている。
「戦地にいた騎士様がそんなことでいいのか?こういう時の止血は騎士様の方が詳しいでしょ?何かいい方法があれば頼む」
「…は、はい、もちろんです」
レイの哀願に、我に返ったランスロットはシーツを何本か切り裂き、腕の上部をきつく縛った。そして傷口の布を捲るとペロリと舐め始めた。
「え、」
「しばらく我慢してください。私たち竜族の唾液には僅かですが治癒力があるのです。多少の止血にはなりますから」
また新たな知識を得てしまった。唾液だけで薬になるのか。戦闘種族は体液も進化しているんだな。と、レイは納得した。
滴り落ちる血はランスロットに舐め取られ、やがて血は止まった。
骨に到達するほどの深さでは無かったが、傷口は深い。
「すみません、治癒力といっても応急処置程度。傷を完全に治すわけではないのです」
「いや、充分だよ。ありがとう」
薬もないこの部屋では、最善の対処だった。
元々は自ら腕を振るってしまった結果。自業自得だと思う。
シーツをもう一度巻き直す。
「レイ様の治癒魔法で、傷は消せますか?貴女の体に傷痕が残るなんて、私は自分が許せない」
「いや、ランスが気を病む必要は無いが…私に治癒魔法は効かないんだ」
「え?」
「自分にかける魔法は全て効かない。寧ろ拒否反応で毒となり私の体を破壊する」
「は?」
今日はランスロットを驚かせてばかりだが、今日一番に瞳を大きく見開いた。
レイは、この呪われた体を自傷気味に摩った。
「幼い時、アルがこの黒髪を家族と同じ白銀にしようと試みたことがある。だけど、私に魔法をかけた途端に意識を失い死の縁を彷徨った。簡単な治癒魔法をかけた時も同じだった。私の身体は魔法を受け付けないらしい。魔法の発動はできるから、どうやら自分に向かうものが駄目なんだろう」
体感したものだから、経験値でしか理解していない。だが忌み嫌われている身体だ、普通じゃなくても諦めている。
このせいで、銀髪で外に出ることも叶わなかった、嫌な思い出だ。
「そういう訳だ。だからランスが止血してくれて助かった」
ランスロットの治癒力がなければ、流血が止まらず出血多量で危なかった。
魔法でなく薬は大丈夫なのだろう。この魔法の世界で薬学の研究は少ないが、もう少し勉強しようとレイは思った。
ランスロットはしばらく石像のように固まっていた。唇がワナワナ震えている。
また怒らせてしまったか?
レイは不安に見上げた。
「ランス?」
「レイ様、貴女は私を助ける時、あの高い窓まで行ったのだと言いましたね?」
「う、うん」
「もし、あの高さから落ちていたら、どうしていたんですか?頭を打って、骨折して、流血しても、貴女は魔法で治せないんですよ?」
「あ…確かに」
「確かに、じゃありません!!」
肩をガッシリ掴まれて、ランスロットの真面目な顔が至近距離に近付いた。
「私など、ポーンと落としておけばいずれ治る強い身体をしているのです。貴女を危険に晒してまで助かる命ではありません」
「ポーンって」
結果的に無事だったんだからいいじゃないか。とレイは思う。
この小さな世界で、レイにとって誰かの命を救えたことは、小さな誇りだったのだ。ランスロットに言われたからといって、あの時の行動は全く後悔していない。
「レイ様の身体がより大切だと痛感しました。私は何てことを…」
「そう思うなら、この力強く握り締めた肩を離してくれ。折れそうだ」
「!す、すみません!!」
竜族の力加減を忘れて掴まれた肩は軋みを上げている。この短期間の筋トレでは、太刀打ちできない貧弱さにレイはしょんぼりした。
「壁を突き破って逃げ出し、外に飛び降りてもレイ様には衝撃が耐えられないかもしれません」
ランスロットは隣でぶつぶつと言っている。
だから、私はここを出るつもりはない。とレイは思ったが、口を噤む。
また、同じ押し問答になると察したからだ。