58.
「私が…なにかレイ様に失礼な事をしてしまったのね」
ミリアは今にも泣き出しそうに、酷く落胆した表情で下を向く。王女はその背を撫で慰めた。
そのような発言をするミリアには、心当たりがあった。
ミリアが王宮に来てからレイはいつも元気がなく、悩みを抱えているようだった。話しかけても逃げるように去ってしまう。竜族のミリアには『黒龍の神子』に避けられるのは身が裂ける程に耐え難く、ランスロットに相談したことも度々あった。
比較的誰にでも友好的なレイには珍しいぎこちなさに、城内にいる者も気がかりに感じていた。
しかしランスロットは、いつか心の内を『自分だけ』には相談してくれると高をくくっていた。それだけの信頼関係を築いていると傲慢にも思っていたのだ。その自意識過剰な怠慢が招いた結果がこれだ。
レイは、誰にも相談することもなく、何も言わずに消えてしまった。
レイが居なくなった王宮は、一変して悲しみに包まれた。それほどに竜族にとって『黒龍の神子』は護り愛すべき存在なのだ。
「ミリアのせいではありません。婚礼が近いのですから、そんな悲しい顔をしないでください」
「でもランス。レイ様がいない大変な時に、私達の婚礼を進めていいのかしら」
ミリアは、はらはらと涙を流す。彼女の悲しみは痛いほど伝わるが、婚礼の準備は滞りなく進んでいる。今は式典間際の大事な時期。花嫁の健康が第一だ。
ランスロットは、ミリアの手を取り自分の手と重ねた。不安を拭うように、エメラルドの瞳を細め、微笑みを浮かべる。
「貴女の婚礼はこの国の希望です」
◇◇
リオウは神殿の中に足を踏み入れた存在に片眉を上げた。
ゆっくりと寝台から立ち上がり、姿を現した王子に目を向ける。挨拶も御座なりに、ランスロットは口を開いた。
「龍神様。レイ様はどこにいるのですか。貴方はご存知でしょう?」
断定的な言葉に、リオウはスっと目を細める。
ランスロットはここ数日、国中を隈無く探した。しかし竜族の優れた五感でも、レイの気配を察知できない。何者かの力によって意図的に隠されているのは明らかだった。
この国でそんな芸当が出来るのはただ一人。龍神だけだ。
気付かれるのは時間の問題だと憶測していたが、まるで自分が悪者のように言われるのはあまり気分の良いものではないな、とリオウは思った。
リオウはランスロットの問い掛けに答えず、やれやれと頬杖をついた。
「…まぁね。でもさ、私はレイにいつまでも城に居ろとは言ってない。レイがこの国にいて幸せに生活していれば、どこにいたっていいじゃない」
リオウにとって、この国全土が身体の一部だ。レイの住居が移動したことなど、微々たる変化に過ぎない。
焦燥感の欠片も無いリオウの態度に、ランスロットはカッと顔を紅潮させた。
「どこでもいいですって?!レイ様はアレと一緒に出て行ったのですよ!アレと一緒にいるなんてあまりに危険です!」
こんなにも感情を高ぶらせるランスロットを見るのは初めてだと、リオウは冷静に眼下を見ていた。
あたかも自分の発言が正論のように言う。
(愚かな…)
リオウはひとつ溜息をつく。
「危険危険言うけどさ、アルフレッドはレイの弟だよ?家族と一緒で何が悪い。彼に魔力は無いし、レイの意志で彼を連れていったなら、私がとやかく言う話じゃないよ」
「ですが、アレは!」
「はぁ。ウルサイな。お前がそんなにも怒ってるのは、ただの私情だろうが」
あからさまに機嫌を損ねた態度に、ランスロットはハッとした。この時になってやっと冷静になり、リオウが怒っていることに気付いた。
じわじわと頭が冷えていく。と同時に、龍神に対しての身分不相応な非礼に肝が冷えた。
我に返り目線をゆっくりと下げて、頭を垂れる。
「…申し訳ありません」
蝋燭の火が消えたかのように意気消沈したのを見計らって、再びリオウは聞こえるように大きな溜息を吐いた。
機嫌の悪さを隠さない神に、ランスロットは成す術がない。
「お前は私が敢えてレイを匿っていると知って尚、ここに来ればレイの居場所を教えてくれるとでも思ったのか?」
「…」
「はっ。浅はかな」
嘲笑うかのように鼻で笑う。
嫌悪感が伝わる。ランスロットは自分のしでかした醜態を恥じ手に汗が滲んだ。
この神聖な龍神様の前で、何たる暴言か。騎士道の風上にも置けない行いに、舌を噛み切りたくなる。
レイと一緒に過ごす間に、自分も龍神様との距離感が近くなったと錯覚してしまった。うぬぼれも良いとこだ。レイが特別なだけであって、ランスロットはただの神の傘下の一人に過ぎないのに。
「申し訳ありません。レイ様が心配なあまり、冷静さを欠いておりました。ご無礼をお許しください」
深々を頭を下げる。リオウは何かを思案し、ランスロットに笑いかけた。
「ふふ。まぁ、お前が気にかけるのは分かるよ。レイは我が子ながら可愛いだろう?」
喉の奥を転がして笑い、ゆったりとした仕草で跪くランスロットへ近づく。長い白髪が艷やかに褐色の肌を撫でる。
「だけどね。何も伝えず何もしないで、私の子の彼氏面はしないでおくれ」
「か、彼…?!」
「親の私の前で、嫉妬に狂った醜態。なんと見苦しいことよ」
「…!」
再び敬意を取っ払った表情に戻り、リオウはカラカラと笑った。
「悪いが、私は何を差し置いてもレイの味方だからね。今回の件は、私の口出しは不要と判断したまでだ。アテにしないでくれ」
青くなったり赤くなったり、顔色を変える王子。リオウに比べれば赤子同然なのだから、未熟なのは仕方ない。
レイの生もまた、リオウにとって一瞬の瞬きに過ぎない。だからこそ、少ない時間を蜂蜜のようにドロドロに甘やかしてしまうのは許してほしい。
「人間の生は私にとってほんの一瞬だ。その一時の輝きが幸せであれと願うのは親心だろう?」




