57.
レイが城内にいない事を知ったのは翌朝のこと。
弟と共に姿を消した病室を見て、タイザーは、しまった。と思った。
昨日の嫌な予感が的中してしまったのだ。
報告を受けて、城内は騒然となった。龍騎士を総動員して捜索する。
毒物混入の事件があった直後の騒動に、初めは誘拐を疑ったが、病室に残る転移魔法の痕跡から、レイは自分の意志で出て行ったと悟る。
ランスロットは気が気でなく、後悔で頭を抱えた。
「殿下が、あんな事を言うから…」
つい、本音を漏らしたのはロキだ。ロキにとってレイは、今や王族よりも主に近い存在になっている。なのに、何も言わずに自分を置いて行ってしまったレイに、ロキは悲しくて涙声になる。
「"あんな事"とは何だ」
「う…」
国王の耳にも聞き捨てない言葉が入り、肩身を狭くしたランスロットは、しどろもどろに白状した。
国王は、眉間の皺をグッと寄せて話を聞き、深い溜息をついて顔を覆った。
「馬鹿息子が…」
「申し訳ありません」
「確かに我々は、レイ嬢に比べて弟殿の事をよく知らぬ。得体の知れない存在という意味ではランスロットの気持ちも分かる。だがそれは、歩み寄ろうとしない我々の怠慢だ。王族である我々が報告だけを鵜呑みにし、民を知ろうとしないのは許されるべきではない」
国王は、お互いを知る猶予も兼ねて、裁判の後も当面の生活を見守るつもりでいた。しかし、それが仇となったのかもしれない。レイと同じ環境に置いたからこそ生まれた、腫物を扱う城内の空気。決して居心地が良いとは思えない環境を過敏に感じ取っていたのだろう。
「状況から察するに、今回は以前のような誘拐沙汰ではないようだ。レイ嬢の意志で城を離れたのならば、我々が無闇に連れ戻すのは良策ではない。移動魔法の形跡は、ブラウンズ殿に調べてもらうのが一番だが…。多分、協力してはくれないだろうな」
レイに肩入れしているブラウンズ博士に話そうものなら、逆に説教されてしまう。と国王は思った。
「まずは、昨日の事件の調査を進めてくれ。犯人を捕まえなければ、レイ嬢も安心して戻ってはこれまい」
国王の言葉に皆が頷き一礼した。
兵士が散り散りに捜索を再開する中、タイザーはランスロットを呼び止めた。
「ランスロット殿下。少し話がしたい」
普段と違い、深刻な表情をしたタイザーに、ランスロットは言葉に詰まる。目配せで人払いをし、自室に誘った。椅子に座ることもせず、タイザーは何度か深く呼吸を整え、ようやく口を開く。
「今から話すことは、殿下にしか言いません。公にするかは、殿下が決めてください」
「…」
ランスロットは、返答に困った。レイに関連することは明白だが、タイザーが発言を渋り、判断を人に託すのは珍しい。だが今は有力な情報を得ることが最善だと、ランスロットは許諾した。
「レイは昨日、焼き菓子に毒が混入していたと言った。その焼き菓子を弟に渡したのはミリア様です」
「な…」
目を見開く。
まず、信じられないという言葉が脳内を巡った。長年親交のある馴染みのミリアが、加害者とは思えなかった。
だが、それ以上にレイの発言を否定できずにいた。
ランスロットの根底には、レイへの信頼度が何よりも根強い。レイの言うことを100%信じる自分がいた。
「そうですか…」
ランスロットは、昨日レイが『ランスには話したくない』と言った心理を理解した。
ミリアとの関係を危惧してのことだと知り、レイの優しさに慈しみを感じる。
と同時に、真実を話してくれなかったのは、信用されていなかったのか、と少し落ち込んだ。
「私が万が一でもレイ様を疑うはずがないのに」
タイザーはランスロットの反応を見て、やはり杞憂だったと思い直した。
(レイが思っている以上に、この国の殿下は、お前に心酔しているぞ)
タイザーは思う。
味方がいない、など勘違いも甚だしい。
盲目な程に、この殿下はレイの味方だ。
タイザーは、ランスロットが少しでもミリア嬢を援護するのであれば、この先の話をするつもりは無かった。
王族に疑いをかけるなど、命の危険があったからだ。
だが、心が決まってタイザーは肩の荷が降りた。
「俺だって、ミリア様を疑いたくないが、レイがそう言うんだ。俺はレイの言う事は信じる。だが、腑に落ちない。ミリア様のお人柄もだが…それ以前に、何故ミリア様が弟に危害を加えるのか。そもそも動機がない。だから、俺なりに調べた。これが昨日現場に落ちていた焼き菓子です」
手のひらに、白い包みを開いた。
「成分を調べてゾッとしました」
タイザーは、震えを抑えるように奥歯を噛み締めた。
「昨日ミリア様は確かに弟に焼き菓子を渡した。それに関しては侍女からも証言があります。だが、あの現場に落ちていた焼き菓子の中に毒は混入されていなかった」
ランスロットは息を呑んだ。
そして、最悪の事態に気付いて、拳が震えた。
「俺は、地上の人間との混血だから、殿下がレイの弟を毛嫌いするのが気に食わなかった節がある。少なからず、弟に肩入れしていたのかもしれない。でも殿下」
タイザーは、一つ深く息を吸った。
「殿下の言っていたことは、あながち間違いでは無かったようですよ」
ランスロットの失言は、的を得ていた。
『もしかして、毒も自分で飲んだのではないのですか?』
あの時の疑いが、まさか証明されようとは。
「毒を飲んだのは弟の意志だ」
言葉にした途端、タイザーは背筋がゾッとした。
(なんてモノを近くに置いているんだレイ)
弟だけじゃない。
目の前にいるこの国の王太子も、底知れぬ怒りに瞳を燃やしていたのだから。
◇◇
城から遠く離れた森の中。山水が湧き出た自然豊かな緑の中に、木で造られた小さな家があった。
ここに来て数日。
生活に困らない家具が並ぶ小さな家に二人の姉弟が住んでいた。
山には木の実や山菜が豊富で、鳥や獣の恵みのおかげで食べ物に困らない。
俗世から離れた静かで和やかな空気。
庭に作ったハンモックチェアでうたた寝した姉に気付き、弟はうっとりと微笑んだ。
「姉さん…やっと二人っきりになれたね」
近付いて、綿布の肩掛けをかけてあげる。頬をなぞる漆黒の髪を指ではらい、その頬に唇を落とす。くすぐったそうに、レイは頬を緩めた。
「やっぱり姉さんは俺を選んでくれた。もう邪魔なものはいない。やっと俺達は二人で生きて行ける。誰にも邪魔されない。二人っきりの世界」
アルフレッドは今までの人生の中で一番の幸福を感じていた。
この緩やかな時間が永遠に続くことを夢見た。
「愛してるよ、姉さん」
柔らかな唇に触れ、甘く蕩けた微笑みで、歪んだ愛情をレイに向けるのだった。




