55.
無我夢中で走って走って、着いた先は中庭だった。
薬草を育てる為に通っている中庭はレイの憩いの場だ。息が上がって、その場にしゃがみ込む。冷たい外気が、ゆっくりとレイの心を整えた。
馬鹿みたいに感情的になって、女々しすぎる。
ランスロットがこんなにも心を揺るがす大きな存在になっていたなんて。それを自覚した瞬間に失恋した。
馬鹿みたいだ。
ミリア嬢が羨ましい。幼い頃からランスロットの側で過ごし、愛され、結婚を祝福される。恵まれた幸せな環境に嫉妬した。と同時に、彼女を妬む自分を心底軽蔑する。心の内側から黒い感情で侵食されて、どんどん嫌な人間になっていく。惨めだ。最低だ。こんな自分、大嫌いだ。
冷えていく身体と共に、感情はどん底へと沈んでいった。
「姉さん…?」
頭上で声がした。
誰も居ないと思っていた中庭に、レイを呼ぶ声。そこにはアルフレッドが不思議そうにこちらを見ていた。
「もしかして泣いているの?」
「ちが…」
かあぁと顔が赤くなる。弟にこんな醜態を見られるとは思わなかった。
幸い、外の暗さで表情は見えないだろう。涙を拭って顔を上げた。
「アルはなんでここに…ベッドから出て大丈夫なの?」
「身体の調子はだいぶ良いよ。適度に身体を動かした方が良いってタイザーさんに言われたから、中庭への外出は許してもらっているんだ」
「そう…」
たしかに、最近は体力も戻り顔色も良い。本来の姿に戻りつつあるアルフレッドは、レイと比較にならないほどに美丈夫で逞しい。真っ暗な闇夜の中、銀髪が白く際立ち、アルフレッドが持つ独特な雰囲気を醸し出していた。
ふと、アルフレッドから甘い香りがした。手に持つそれは綺麗にラッピングされた焼き菓子だった。目線で気付いたらしいアルフレッドは手元を見て苦笑する。
「あぁ、これね。ミリア様?だっけ?あの婚約者の人に貰ったんだよ。姉さんも食べる?」
「ミリア嬢と面識があったのか?」
「別に親しくないよ。姉さんの弟だからって、今日挨拶に来たのさ。俺にもわざわざ会いに来るなんて、優しい人じゃないか」
そう言いながら、アルフレッドは近くのベンチにレイを誘った。
手のひらに拡げた包みを開くと、甘く香ばしい香りが広がる。手作りらしいそれは、形も良く美味しそうに焼けていた。
「姉さんもどう?」
「…ありがとう」
ミリア嬢の手作りだろうか。こんな女性らしい事もできるのだと、レイは再び気落ちする。
恋心の勘違いに気付いてしまった今のレイには、ミリア嬢の名前を聞くだけで心が苦しい。
アルフレッドにまで気遣う優しい人。
そんな人が、ランスロットの婚約者で良かった。
良かったのだ。
そう自分に言い聞かせるしかない。焼き菓子を手に取り、レイは一つ口に運ぼうとした。
その時だった。
「ーー!?姉さん、食べないで……!」
「え」
突然、手に持った焼き菓子を弾かれる。ソレは離れた場所へ飛ばされ地面に落ちた。
どうしたのか。とレイはアルフレッドを見る。ゴホッと咳き込むその口から赤い鮮血が流れた。
「アル…?」
咽ながらその場に倒れたアルフレッドは、身体を痙攣させた。その症状を見て蒼白する。
「毒…?ーーーーアル!吐いて!」
とっさに焼き菓子を吐き出させようと、レイはアルフレッドの口に指を入れる。生成した水を口に含ませ嘔吐させながら、魔法を発動させた。だが、何の毒か判断がつかないため解毒魔法を安易にできない。
「誰か!!誰か!!来て!!!助けて!!!」
騒ぎを聞きつけた兵士が、その場に駆けつける。アルフレッドは苦しさで胸を搔きむしり、尋常じゃない汗を流してもがき苦しんで、やがて意識を失った。
「助けて!!アルが!!アルが!!!」
レイは必死に叫び、助けを求めた。
声を聞きつけたタイザーが急いでやってきて、適切な処置をしたお陰で、無事一命をとりとめた。
だが、城内を騒がせたその一件は、レイの心に大きな蟠りを作ったのだった。




