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53.

 レイは初めての不思議な感情を持て余していた。こういう話は誰に相談すればいいのか。医学書を読んでも分からない胸の痛み。タイザーさんでも専門外なら治す術がない。

心配かけまいと顔に出さないようにしているのに、今朝もミリア嬢を見ると激しく感情が揺さぶられた。

隠し心にしまっていたレイの心情は、弟には筒抜けだったらしい。

食事を運んだ際、顔を見たアルフレッドは開口一番にレイに言った。


「姉さん、何か悩み事でもあるの?」


当たり前のように聞いてくるアルフレッドに驚く。さすがは長年一緒にいた弟だと、レイは感心した。

この国に来て日も浅いアルフレッドならば、不躾な相談も問題ないだろうか。

レイは服をモジモジしながら胸の内を話した。

するとアルフレッドは長い沈黙の後、この世のものとは思えない低い溜め息を出す。

部屋の気温が一気に下がったのは気の所為だろうか。だが声とは裏腹にアルフレッドはニッコリと微笑みを向けた。


「へぇ…姉さんからそんな話を聞くとは思わなかった。知らない間に姉さんの世界は随分広がったんだね」


アルフレッドはスープのスプーンをカタリと置いた。


「あの、王子の婚約者…ねぇ?あの人、姉さんと随分と親しかったから、まさか相手がいるとは思わなかったよ」

「私も…詳しい関係は分からないけれど…」


言葉が尻すぼみになってしまうのは、朝はあんなに胸が痛かったのに、今は落ち着いているからだ。

この突然身体に現れる痛みの起伏をどう表現すればいいのか。外傷ならば傷口を見せればいいのに、心の中を晒すのは難しい。


「アルにも婚約者がいたなら、貴族には当たり前のことなんでしょう?」

「さぁ、俺は所詮政略結婚だし、この国の常識は知らないけど…そうだね、俺の知る王族は幼少時代から複数人の婚約者候補がいて、適齢期になったら一番有益な家系と縁を結ぶのが普通だ。あの人達も幼馴染なら、昔から決まってた婚約なんじゃないの?」

「そういうものなのか…」


男女の関係は小説のように恋し愛してこそ結ばれるものと想像していた。だが世間の婚姻事情はレイにとって現実はあまりに冷ややかだ。

アルフレッドも地上にいたら、レイの知らない間に知らない相手と結婚し、知らない義妹が出来ていたのかもしれない。家族になるとは特別なものだと信じていたので、なんとも言えない不思議な感覚だ。


「姉さんがもし普通に生活して侯爵令嬢として育てられていたなら俺と同じように親が決めた婚約者が居ただろうね。17歳なら結婚して子供を産んでもおかしくない年頃だ」

「結婚、子供…?!世の中の女性はそんなに早いのか?」

「女性は結婚して跡継ぎを作らなければいけないと教えられている。生涯子供を成せる人数は限られているから早いに越したことはない。…って、そんな軽蔑した目で見ないでよ姉さん。地上の世間一般の感覚であって、俺は姉さんのこと、そんな軽んじた存在としてみてないからね」


アルフレッドは慌てて訂正する。だが、レイは女性が跡継ぎをつくるための道具のようでカルチャーショックを受けてしまった。


「そういう意味で、王族の跡継ぎをつくるためにも早く婚約するのは当たり前だ。ミリアさんって人も、きっとそうだと思うよ」


幼少期からの幼馴染であるランスロットとミリアの間には入り込めない親しみを感じる。

レイの知り得ない話題を聞く度に胸がチクリと痛む。


「姉さんはミリアさんって人に嫉妬してるんだろう?」

「嫉妬…?」

「あの人にどれだけ優しくされたか知らないけれど、別の女性が一番だと知って嫉妬してるのさ。ふふ、姉さんは俺以外の人と人間関係なんて今まで無かったんだから、そんな感情も初めてで仕方ないよ。大切なおもちゃを取り上げられた子供と一緒だね」

「子供…」


言い当てられた言葉が胸にスンと落ちる。

嫉妬。

今までに感じたことのないこの感情は嫉妬なのか。

子供だから嫉妬してしまうのか。


レイはあまりに幼稚な感情を恥じた。


「姉さんが辛いなら、ここから離れるのも手じゃないか?」

「え」


突然の提案にレイは思わず聞き返す。

アルフレッドは自笑気味に言った。


「俺はこの通り、姉さんみたいに優遇はされていない。体調が回復したら、この城から出るよ。姉さんはどうする?神子様なんて呼ばれて、当たり前のようにこの城に居るけれど、あの人が結婚して家庭を持ったら、姉さんの生活をいつまで保証してくれるか分からない。俺は姉さんと一緒なら、この国でも生きていける。姉さんも一緒にここを出て新しい生活を始めないか?」


アルフレッドがこの先の事を真剣に考えていたのだと、レイはこの時初めて知った。

そういう未来もあるのか。

レイは、相変わらず視野の狭い自分を恥じた。


「そうだね。少し考えさせてくれ」


そう答えると、アルフレッドは嬉しそうに笑った。


◇◇



ミリア嬢が城に来てしばらく経つ。

聞けば、地上との戦乱が落ち着き延期されていた婚礼の儀を進めることになったそうだ。

町は祝福に湧き、婚礼に向けてドレスや宝石を運ぶ商人が頻繁に行き交う。


「どう?似合うかしら?」


衣装選びの為、純白のドレスを試着したミリア嬢を見たレイは、素直に美しいと思った。

周りにいる男性陣も頬を染める。メイド達は憧れの女性を着飾り嬉しそうだ。

ふと横を見れば、ランスロットも幸せそうに微笑んでいた。

女性が一番美しく輝く日。それを皆で祝福をする。

レイは、この光景を見て気持ちが落ち着いた。


(この幸せな光景を、自分の邪な感情で壊してはいけない)


ズキズキと胸が痛む。

視線を下げると、宝石商が拡げた宝石の数々が目に入る。その中に、エメラルドに光るブローチがあった。男女問わず似合いそうなシンプルな装飾はレイの目を引いた。

窓から注ぐ光に反射して、それはキラキラと輝く。

まるで、金色に縁取られた三白眼のエメラルドの瞳のようで。思わず近づいて手に取ると、それに気付いたランスロットが横に座る。


「レイ様、それが気に入りましたか?」

「…いや、ランスの瞳に似ていると思って」


初めて出会った時に見た、眩いランスロットの瞳を思い出した。

綺麗だな、とあの時も思った。


「希望と幸せに満ちた色だ…」

「…」


ポロリとこぼした感想。隣でランスロットは目を見開いて、じわじわと顔を赤く染めた。


ランスロットはそのブローチを指し、商人に向かって言った。


「これを一つ頂こう」

「はい。ありがとうございます」

「え」


手に持ったブローチはランスロットに取られて、レイはショックを受けた。ミリア嬢への贈り物だろうか。

そう思ったのも束の間、ランスロットはブローチをレイの胸元に付けた。

至近距離にあるランスロット顔に、思わず身を固める。

ややあって顔を上げたランスロットは、同じエメラルド色の瞳を細めて言った。


「レイ様へのプレゼントです」

「…いい…の?」


呆然とその瞳に見入ってしまい反応が遅れたレイは、次第に胸元にある重みを感じて、心の底からまるで湧き水が溢れるように心が満たされた。恐る恐ると胸元を掴み、大切な宝物を手で包み込む。


「ありがとう。大切にする」


嬉しそうに笑うレイに、ランスロットも微笑み返す。


これがあれば大丈夫。これがあれば、ランスロットが常に側にいるように感じる。

だから、大丈夫。

私にはこれで大丈夫。

これ以上、何かを欲しがってはいけない。


レイはこの日を堺に、熱く痛む感情に蓋をすることを決めたのだった。

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