49.
その場に倒れたアルフレッドを兵士二人が抱え上げる。その扱いがあまりに乱雑で、レイは堪らずにアルフレッドの元に駆け寄ってしまった。黒龍の神子が面前に現れて兵士はたじろいだ。
発言権は無いという約束が脳裏を過って、言葉を発することはせずに、気を失ったアルフレッドをギュッと抱きしめる。これ以上弟に手を出すな、という行動に皆は息を呑んだ。
リオウは暫く無言でその様子を見ていたが、スッと目を逸らして周囲に向かって口を開いた。
「この者の魔力はもう無い。地下牢から出しても竜族の力には到底敵わないよ」
そして祭壇を降りて、レイの元に歩み寄った。
リオウの判決に異論はなかったが、レイの心情は複雑だった。地上では魔力の無い者は、職はもちろん生活もままならない。日常に溢れる魔道具は全て魔力が無いと発動しないからだ。家に入る扉の鍵でさえ魔力で開閉する。魔力の差はあれど、完全に魔力を使えない人間は地上にはいない。
アルフレッドの行動を制限する術は他にもあったはずだ。レイの心情は何も言わなくてもリオウには痛い程に理解できた。
「レイ。そんな目で見ないでくれ。…あぁ、だから私が判決を下すのは嫌だったんだ。レイに嫌われたらカルオスのせいだからね」
国王はリオウの言葉に、ぐっと喉を鳴らした。
「魔力を無くしたとはいえ、この者はなかなかに曲者だ。私としてはこの場で処刑しても良かったけれど、一応はレイの弟だからね。皆も、それ相応に扱ってくれないか」
リオウはレイの株を上げる為に、アルフレッドを庇うことにした。優先順位でいえば我が子以外は同列なので、正直この国でアルフレッドが迫害されようと優遇されようとどちらでも構わなかった。どちらでも良いなら、レイの好感度を上げる選択をする。無慈悲な愛で庇った龍神の言葉は、この国では絶対的な意味を持つ。
王族を含め、皆が思っただろう。
(この男に何かすれば、姉であるレイに嫌われる)
龍神でさえ躊躇ったのだ。この国の民が今後、アルフレッドにこれ以上の咎めを与えることは出来ない。
ランスロットは、その判決を胸に瞳を閉じた。裁判の前に、こっそり一発殴っておけば良かったと内心思った。
皆が見守る中、リオウは蟠りのあるもう一人の人物に目を向ける。
「鳥人族の長。君達にとって、少しの慰みにしかならないだろうが、地上の鳥人族の民は皆無事だよ」
「え」
「確かにこの者は、戦争を仕掛けて村を焼いた。だが鳥人族は安全な結界の中に保護していたようだ。人質として匿っていたにしろ、無碍に命を奪うことはしていない。彼はそういう人間だったようだよ。君達がレイたち地上の人間にまだ恨みがあるならば、地上で生き延びた鳥人族を我が国に迎え入れよう。安全な住処を約束する。それでどうにか怒りを鎮めてはくれないか?」
龍神の思いがけない真実と提案に、鳥人族の長はグッと唇を噛んだ。これは今回の件で生まれた異種族の蟠りを問うているのだ。
『地上では今でも鳥人族の差別と迫害は続いている。天界に逃げ悠々と暮している鳥人族が地上の者を同胞と呼ぶ権利があるのか?』
先程アルフレッドが煽った言葉は正直図星だった。この国は地上に比べれば異種族への差別も迫害もない。それがどんなに幸せな事かを知る鳥人族の長にとって、充分過ぎる申し出に反論する意思は無かった。
「仰せのままに」
鳥人族の長は深々と頭を下げた。こうしてこの件は、ようやく終止符が打たれたのだった。
◇◇
あれから、アルフレッドは城の離れに寝かせられた。急患が増えて医務室で足りない場合に備えた龍騎士の休養施設である。
白壁の簡易的な造りだが、医療機材も生活用品も整っており、寝泊りができる広い建物。ベッドに寝かされたまま数日、ようやく目を覚ました時には、裁判から3日が経っていた。
タイザーが見たアルフレッドの第一印象は、似てねぇな、だった。
それは、目を覚まし青い瞳が見えて、さらに似てねぇと思った。
「コイツ、本当にレイの双子の弟か?義理の姉弟じゃなくて?」
「いやいや、似ているだろう。鼻とか目元とか輪郭とか」
「そうかぁ?」
「それは、体格込みで言っているな?私がチンチクリンという目をしている…」
「ふはっ、気のせいだ気のせい」
アルフレッドは目覚まし、視界にレイとタイザーが楽しそうに話す姿を見た。見知らぬ他人と仲良さげに話す姉の姿があまりに新鮮でアルフレッドは言葉を失った。
「アル、良かった気付いたか」
レイはホッとして笑顔を咲かせた。
久しぶりに見た屈託の無い笑顔に、アルフレッドは眩しそうに目を細める。
上半身だけ起き上がり、周りを見渡す。知らない場所に戸惑いながらも、アルフレッドは側にあるレイの手をギュッと握りしめた。
「少し栄養失調だが、他に異常はねぇ。裁判の事は覚えてるか?」
タイザーに問われて、アルフレッドは自分の手を見た。手を握ったり開いたりした後、ポツリと呟く。
「なんだか、利き腕を無くしたような…不思議な感覚だ」
「魔力を無力化させられたんだってな。俺達には分からない感覚だが…」
「アル、大丈夫?身体が辛いならまだ寝てて良いからね」
レイは心配そうに声をかける。だが、アルフレッドは少しだけ清々しい気持ちで答えた。
「ふふ…十分眠ったよ。姉さんに心配されるのは悪い気はしないけどね」
「この国は魔法が使えなくても生活には困らないと思う。地上とは違って…」
「そうみたいだね。ここは地上とは全然違う」
アルフレッドは周りを見渡した。人間とは体格から違う種族の国。建物の造りも外の風景もまるで違う。
そして、少し離れたところに見覚えのある顔もあった。ここに来たくないけれどもレイが心配で付いてきたランスロットの姿だった。
「昔、一度だけ姉さんの髪色を変えようと発動した魔法、覚えてる?あの時は魔法が毒になるって知らなくて姉さんに重傷を負わせてしまった。あれは俺にとって今でもトラウマだよ。あれからずっと、側にいる間は姉さんに魔力が当たらないように、傷付けないように全神経を張り詰めていたんだ。姉さんを守る為に魔力は必要だったけれど、この国は姉さんに優しいようだ。この国が姉さんを守るなら、もう必要ない。姉さんを傷付ける魔法なら俺はもういらない」
守るために覚えた魔法は、反対にいつでも傷付けられる。表裏一体の魔力が、今は全く使えないという不思議な感覚をアルフレッドは素直に受け入れた。
ランスロットは、アルフレッドの話を半信半疑で耳を傾けていた。
二人が一緒に話しているのを見たのは、レイが幽閉されていた時以来だ。あの時のアルフレッドは、レイへの独占欲と恐喝じみた発言が目に余り、ランスロットの印象を更に悪くしていた。だからこそ、今の憑き物が落ちたような穏やかな雰囲気に違和感を感じずにはいられない。
「今回の件は、リオウが区切りを付けた。鳥人族もこの国に受け入れることが決まった。私もこの国に償っていくつもりだ」
「ごめんなさい。俺はただ単純に…姉さんと離れたく無かった。それだけだったんだ」
「アル…」
レイは、胸がすく思いだった。一番の要因は、アルフレッドに何も相談せずに塔を出た自分にあるとレイは思った。きちんと向き合って話し合わなければいけない。家族のことも、この国のことも、これからのことも。
「アルが良ければ、これからはずっとこの国に」
「レイ様。その話はレイ様の一存で決められては困ります」
レイは突然の横槍に目をパチクリした。横を見ればランスロットはとても不機嫌な顔をしていた。
今にも抱き合わんばかりの二人の間に割って入ると、眉間にぐっと皺を寄せた。
「この者を生かしていたのは、あくまで裁判の判決が下るまでのこと。裁判が終わった今、ここに居る必要はありません」
「ランス、どうしたの。それはあまりに邪険にし過ぎだ。こんな身体でアルが地上に戻っても魔力が無い以上、まともな生活はできない。それでも地上に戻れというのか?」
「それがこの者の対価です」
レイは思わず言葉を失う。
優しく紳士であるランスロットを知っているからこそ、驚いてしまった。
あのオスカーでさえ、アルフレッドがここに居ることを許諾してくれたというのに。
レイは拳を握ってプルプルと震えた。
「…見損なった!ランスがそれほど狭量だったなんて!」
「…レ、レイ様?!」
「リオウはこの件に終止符を打った。全て無かったことにして地上に戻ることは簡単だ。だけれど私たちはこれから、この国で償っていく事が一番だと思う。そう思っていたのに!」
「しかし、この者がまた何をしでかすか」
「魔力を失って、竜族に囲まれて、アルに何が出来ると言うんだ!ランスは私たち地上の人間を何も理解していない!」
レイは珍しく声を荒げてランスロットを睨みつけた。それは弟を守りたい気持ちとは別に、地上の人間と竜族との訴えも含まれていた。
「混血の俺からも言うと…ランスロット殿下はその辺、デリカシー無いよな」
「な」
「あと、懐が狭いと嫌われますよ」
「…」
タイザーはこの国が異種族に優しいとはいえ、あくまで『この国に居る』という前提があると感じていた。
この国の一部の竜族は、幾度となく勃発した地上との戦乱の中で、種族とは別に『地上の人間』を敵と見做している部分が少なからずある。
地上の人間の混血であるタイザーは、差別とまではいわないその微妙な偏見を、幼い頃から肌で感じていた。
今まで、敢えて気付かないフリをしていたその事実は、この黒龍の神子の存在で浮き彫りになって身に沁みた。
タイザーは頭を掻いた。
(ランスロット殿下は龍騎士でもあるからなぁ)
戦地にいた殿下だからこそ、余計にレイの弟を毛嫌いしている節はある。だが、王族でもあるランスロットの差別の矛先は、タイザーも含めた混血種や祖父にも向かっている気がして、気分の良いものではない。
思わずレイの不満にタイザーも同意してしまう。
体格も戦闘能力も竜族に劣る地上の人間は、この国では非力だ。魔力が無くなった今、アルフレッドがこの国で問題を起こす可能性は極めて低い。それなのに、この国からも追放するのは、弱い者いじめをしているようで、この国の方針に背く行為だ。
王族のこの発言は、アルフレッドへの嫉妬とはいえ許しがたい。タイザーはそれを肝に銘じてほしかった。
「殿下、医師の俺からしたら、当分の間はここに居てもらわなければ困ります。この身体で追い出すほど薄情な性分ではないのでね」
「…すみません、レイ様。私情を挟みました」
「…私の方こそ、言い過ぎた。ごめんなさい」
我に返って、二人は謝り合った。
そのやりとりを見て、アルフレッドはただ無言で微笑んでいるだけだった。




