44.
戦争の対価は大きかった。
神聖な龍の虐殺。同胞の戦死。国の水源の汚染。
だが、何よりも一番の問題は、この国の誇りであった偏見の無い異種族間の生活に、蟠りが確実に芽生えていたことだ。
由々しき自体だと、国王も含めた国の上層部は頭を抱えた。
『黒龍の神子』が地上の人間だという事実が、複雑な板挟みの感情を齎す。
何度目かの政務会議は、『黒龍の神子』が未だに目覚めないことで、更に希望が見えないでいた。
そんな暗い会議室に、一人の男がやってくる。
「なんだ、陰気臭い雰囲気を晒しおって」
「ブ、ブラウンズ殿」
国王は驚き思わず席を立った。
先代の宰相と仲の良かったブラウンズ博士は、一時期は国のツートップと言われる程の破天荒さで、昔から国王の良き協力者でもあり、頭の上がらない教育者でもあった。
「ご無沙汰しています、ブラウンズ殿」
「見ないうちに老けましたな、国王様」
ふぁっふぁっと笑う博士の白い髭が上下に揺れる。場の空気が一変して明るくなるのは、彼特有の空気感の為せる技だ。
「神子様の容態を聞きに来たが、それよりもこっちに手を貸して欲しいと、ジェームズ殿下に頼まれましてな」
「ジェームズが…」
「来てみれば、確かに酷い顔の面々だ。外の空気を一度吸った方が良い」
ブラウンズ博士は、会議室の大きな窓を開けさせた。
開かれた窓からは、日差しと共に心地よい風が流れた。
空気が澄んだ。
そして、ある者が外の変化に気付く。
信じられない物を見るように、やがて会議室中がどよめいた。
カルオス国王は、目の前に広がる青い空と、この世界に無かったはずの物を見た。
「…これは……?」
ブラウンズ博士は皆を見渡し、大きく声をあげて笑う。
それは、不安を払拭させる明るい笑い声だった。
「神子様がこの国を変えた。大丈夫だ。世界の常識は覆っても、それは新しい未来への第一歩に過ぎない」
そう。
この国は天界で、雲の上。
だから、天気という概念は無い。そのはずだった。
けれども、空に浮かんだ真っ白い雲。
雲から生まれる雨風。
そこから生まれる恵みの雨は、この国全土に降り注ぎ、やがて汚染した水は浄化され、この国を再び潤すだろう。
「全てを受け入れれば、未来は明るい。そうだろう?若人よ」
◇◇
「レイ様って、やっぱりスゴい人っすね」
医務室で治療中のロキは窓の外を眺めて呟いた。
包帯を取り替えていたタイザーも、手を止めて窓の外を見やる。
「あの小さな青い玉が、こんな威力をもっていたとはな」
「ランスロット殿下に、突然青い玉渡された時はどうしようかと思いましたよ」
「俺だって、レイが事前にじぃさんに相談してなきゃ、なんの魔道具か検討もつかなかったぜ」
二人は、レイが連れ去られたあの日の事を思い返した。
レイがランスロットに託した青いガラス玉のような魔道具は、その場にいたロキに手渡された。レイを追いかける為に地上に向かったランスロットは、その魔道具をブラウンズ博士に渡せと言う。
訳も分からずに、ロキは全速力でブラウンズ博士の元に向かった。
城で証言者として待機していたブラウンズ博士とタイザーは、目の前に突然渡された魔道具を見て、全てを察した。
それは、研究を持ち掛けたレイの命の産物だと気付いてしまった。
「あの馬鹿弟子が…」
レイは、あの日ブラウンズ博士にこう持ち掛けたのだ。
『私はこの国に“天気”を作りたいのです。地上にいた博士ならば、天気から得る恵みの価値が分かりますよね?』
天界の国で天気を創り出す。
それは、この国の概念を覆す突拍子のない提案だった。
気圧や気候の問題でそれは容易にできるものでもなく、この国の民が安易に理解できる物でも無い。長い年月を経て変えていくはずだったレイの考えは、この危機的状況で覆り緊急性を成した。
この国の貴重な水源を地上から得ている今、汚染された水の浄化は不可能。魔法が発達していない国に浄化魔法は高度すぎる。
だからこそ、今しかないと、レイは思ったのだ。
複雑な魔法陣は美しい式で構築され、魔力を込めれば滑らかに発動する。
博士も感嘆するほど完璧な魔導装置。
失敗すれば最悪爆発する。前例のない危険な魔法を、ぶっつけ本番で成功させるとは。
神子様の心意気と覚悟に背筋が震えた。若かりし頃の活力が博士の中で漲った。
「ここまでされて、諦めるなんて選択肢、わしには無いわい」
ブラウンズ博士はそう笑い、ロワシールド湖へと馬を走らせたのだった。




