41.
霞となった雲が頬を撫ぜる。
重力のまま地上に向かうレイの身体を、キースは背後から腕で抱き抱えた。
連れ去った時と違う扱いは、鋭い爪でレイを傷付けない為だろう。
「キースはいい人だね」
「は?」
眉間に皺を寄せる。ぶっきらぼうに翼を揺らしてそっぽを向いた。
こんな出会いでなければ、親しくなれただろうに。レイは胸にチクリと痛みを感じて苦笑した。
大きな翼でゆっくりと降りてゆく。
あまりに高度が高くて何も見えなかった地上の景色は、次第に鮮明になった。
くんと鼻を掠める焦げた嫌な匂いに、レイは顔をしかめた。
雲とは異なるむせ返るほどの煙。やがて見えた地上の景色は真っ赤に燃え上がる大地だった。
レイは目を見開いて絶句する。
「あぁ…」
声を押し潰した嘆きが背後で聞こえた。キースは唇を噛んで、涙をボロボロと流す。その表情にレイは悟ってしまった。
故郷が焼かれると言っていた。間に合わなかったのだ。
地上は降り立つ場所もないほどに広範囲に炎が上がり、山々は焼かれていた。遠くで大砲の音が響く。遅れて爆発音が各所に鳴り響いた。木々がパチパチと燃え、力を失った幹は次々に倒れる。
(こんなの地獄絵図だ)
レイは火を消そうとしたが、魔力が足りなくて微々たる水しか作れなかった。
僅かな水は落ちていく瞬間に熱風に煽られ無情にも水蒸気となって消えた。
無力だ。
レイはキースにかける言葉が見つからない。
きっと怒りのまま手を離せばレイを火の海に落として命を奪えるだろうに。レイを抱き抱えた腕は震えながらも固く握られていた。
火の手のない森の外れの高台に、キースは降り立った。地面に足を付けると、レイを放り崩れるように地面に伏す。キースは何度も地面を叩いて嗚咽した。悲痛な泣き声だった。
レイは悔しさと怒りで奥歯を噛み締めた。
取り返しの付かない事をした。こんなにも怒りが湧いたのは初めてだ。握り締めた拳が震える。頭が沸騰して目の前が真っ赤になった。
やがて近づく気配に、レイの怒りは爆発した。
「姉さん」
背後から聞こえる馴染みの声。
その声の主は、一歩一歩とレイに近づく。
レイは感情の全てを込めて、拳を振り上げた。
「馬鹿野郎!!!」
大きく振りかぶった拳は確かにアルフレッドの頬に当たった。
だが、アルフレッドは微動だにもせず、レイの小さな拳をいとも簡単に掴むと、存在を確かめるように手の甲に唇を這わせる。レイはそれでも怒りに任せて腕を振り上げた。
「なんてことを…!!こんな残酷な!許さない!許さない!!」
もう一方の手でアルフレッドで殴りかかるが、それも容易に掴まれ両腕を拘束された。
力の差を前に、レイは悔しくて涙が止まらなかった。
「どうしたの、姉さん。そんなに泣いたら瞳が溶けてしまうよ」
眉を下げて、親身に心配する弟。
この優しさのほんの一部でも他人に向けることは出来なかったのか。
アルフレッドの青い瞳はレイを捉えて、口角をゆっくりと三日月に描いた。
「姉さん、おかえりなさい」
久しぶりに会った弟は、頬が少し痩け、背筋が凍る程に美しく冷酷な笑みをレイに向けるのだった。




