04.
夜も更けた頃。窓が強い風で音を立てていた。
外は冷たい風が霙を含み、建物に容赦なく叩きつける。
レイは湯浴みを終え、最近覚えた物を浮かせる魔法を練習していた。
ふわふわと浮くその姿が、どことなく可愛く、物を操る魔法を特訓すればぬいぐるみを生き物のように動かすことができるのでは、と考えたのだ。
この年になって人形遊びとは情けないが、むかし絵本で読んだ猫がこの部屋に居たら、どんなに癒されるだろうかと、密かに夢描いていたのだ。
絵本の中でしか見たことのない愛らしい挿絵はレイの心を癒してやまない。
練習として紙を人型にちぎり、歩かせてみる。
最初は細かな魔法を何度もかけていたが、さすがに疲れるので、レイは小さな風を纏わせる魔法をかける。すると自由に靡く風は意図せぬ動きをして、紙は生き物のように動き出した。
「おぉ、これは可愛いな」
ふわふわとレイの周りを漂う。命を与えられたように手足を動かし、空を舞うようにクルクルと。
思わぬ産物にレイはニマニマと頬を緩めた。
これはササラと名付けよう。
早速名前まで付けてしまった。
どうせ誰も居ないのだ。自分の作った人形に名前を付けて可愛がる気持ち悪い奴を嘲笑う人はいない。
ササラと名付けた紙人形は、ふんふわと上昇し天井近くまで舞い上がった。
「こら、そんなとこまで行っちゃ駄目だよ。戻っておいで」
自分の作った物だが、風にコントロールはつけていない。意図しない動きをしながら更に上昇し続ける。
その時だ。
ドスン
天井の窓に、何がが大きな音を立ててぶつかった。
「え、なに!?」
ササラはここだよ、と言うように小窓の近くを彷徨う。
何がぶつかったのか分からない。あまりに高い位置にある窓。
だが、少しだけ。少しだけ肌色の、指のような物が見えた。
先程の大きな音も、まるで人間が落ちてきたような、ずっしりとした音だった。
「もしかして…人なのか?」
こんな吹雪の夜に。空から人が落ちてきたとでも言うのか。
半信半疑にレイは窓を見つめる。
すると、ズルリとソレは下に落ちそうになる。
ここは、高い塔。もし人だったとして、このまま下に落ちたら命は無いのではないか。
いや、もう亡くなっているかもしれない。
生きていてもこの吹雪の中だ、このままだと凍え死んでしまうのではないか。
レイはこの塔に張られた結界が天窓にもかけられているとは思えなかった。毎日わずかながら日の光の差し込んでくれる天窓は外と繋がる唯一の場所だったから。
だが、どうすればいいのだろう。
天窓は数メートル先の高さにある。到底届く場所にない。
物を浮かせる魔法もまだ練習中だし、レイ自身の体を浮かせるなど到底無理だ。モノを浮かせられても、ほんの一瞬だけ。鳥のように空を飛べる代物ではない。
どうすれば。
その時、レイは思った。
この部屋に沢山ある書物。
使える。
一刻を争うので、レイはすぐさま魔法を唱える。
本棚から一斉に書物が飛び出て、壁に沿って円を描いた。
書物は壁に浮きながら並び、ピタッと張り付く。
人の重さを浮かばせるのは無理だが、軽い書物を浮かせ、壁と接着することは可能。
即席の螺旋階段を作ったのだ。
書物は壁沿いにクルクルと段差を付けて並び小窓まで続いた。
レイは一段目の本に足をかける。
「踏んでごめんよ」
知識の塊である書物を足で踏むことに抵抗はあったが、人命救助が第一。
踏み込んだ足は、しっかりとレイの平均よりはるかに軽い体重を支えてくれた。
一歩一歩、上がっていく。
足場があるとはいえ、中腹に行けばあまりの高さに足が竦む。なるべく下を見ないようにし、小窓までひたすら歩く。
近づくほど物陰は鮮明になり、レイの予想通りソレは人の形をしていた。
10メートルは登っただろうか。ようやく窓に手が届く。
「鍵がかかっているかもしれない」
17年この部屋にいたが、初めて触る窓の鍵。
それは内側から捻る造りになっている。
結界が張られていたら開かない。一か八か。
レイは窓の取っ手を引いた。
硬くて動かない。
やはり結界が張られているのか?と思ったが、わずかに開いた隙間から冷気を感じる。
レイの力が弱いだけで、さび付いた渋い小窓が動かないのだった。
それはそれで困る。
さらに力を込めるが隙間はそれ以上開かない。
「おーい!生きてる?!動けるか?!」
声が届くだろうか。
大きな声で呼びかける。
窓の外に映る腕は、ピクリともしない。
何度も声かけて、窓を叩く。
その間も扉を引いたり押したり、なんとか外の人間に接触できないかと試みる。
その時、外の人がズルリと滑り落ちた。
と同時に、窓に重心が乗ったのか。
隙間は徐々に広くなり、やがて窓から腕がダラリと落ちた。
「開いた!」
腕を引っ張る。腕は氷のように冷たかった。
必死にその隙間から中に入れる。
足場を広げるため、残りの書物を集め今度はベッドの広さに平坦に敷き詰めた。
宙に浮く床と成した書物の上に、外の人を引き上げる。小さい窓だが頭と腕が通ればなんとか内側に入れることが出来た。
ようやく、上半身を引っ張り込むことができ、そのあとは重力で全ての身体が中に入った。
ソレは男性だった。
息も絶え絶え。
冷たい空気の吹き込む窓を閉める。
宙に浮いた書物に、今度は傾斜をつける。
彼には悪いが、持ち上げる力はもう無い。
坂道を転がすよにコロコロと胴体を押し、本で出来た緩やかな傾斜をジグザグに作り体を押し続けた。
部屋の地面に着いた頃には何時間経っただろうか。
俵のようにコロコロと転がしたにも関わらず、男は起きなかった。
レイはもう疲れて仕方ない。
はぁはぁと、汗をかいて床に倒れた。
「引きこもりには辛い作業だった。よく頑張った自分」
自分で自分を褒めてやる。
息をようやく整え、床に横たわる男を改めて見る。
金色の髪。20代くらいだろうか。整った顔立ちの美丈夫だ。
厚手の黒いマントに身を包み、紺色の隊服を着ている。
怪我が無いかと髪を梳くと、耳はやや尖っており、いつしか文献で見た種族を思い出す。
鋭い爪に尖がった耳。もし開いた瞳が蛇のように縦長の瞳孔であったなら、男はきっと竜族だ。
レイは他に怪我はないか、着ている服を脱がせる。古傷は沢山あるものの、出血を伴う傷は見当たらない。だが落ちた時の衝撃か打撲のアザは大きく、もしかしたら骨に異常があるかもしれない。
レイは男の胸元に手を当てる。
魔法を唱えると、手元に柔らかな光が灯った。
身体の内部に感覚を研ぎ澄ませる。
血液、細胞、筋肉、骨の構造を脳内で思い描き、身体のどこかに異常はないかと探り、損傷があれば修復する。レイはこれを治癒魔法と思っていたが、遙か高度な医療だった。
やがて、キズはみるみる消え顔色の良くなる男とは裏腹に、レイは疲れて疲れてぐったりした。
身体すべてを診終わって、安心した途端にレイは力尽き男の胸を枕に倒れ込み、そのまま意識を手放した。




