39.
ロキは全速力でレイを追いかけた。
ブラウンズ博士の移動魔導装置のお陰で、すぐにでも城の騎士団は呼べるだろう。
ロキは失態を悔やむよりも、目の前の成すべき事を優先した。
消えた方向から推察し、ようやく鳥人族達の住処と思われる岩山に駆けつけた頃、後方から沢山の龍の群れが列を成してやってくる。
「で…殿下ぁ!」
上空の龍から飛び降りて、ランスロットがロキの元に駆けつけた。今までになく、鬼の形相をしていた。ロキの安堵は一変して恐怖に変わったが、お叱りは後で受けると決めて、ランスロットに事の報告をする。
「鳥人族の気配が4…5人。この付近に間違いはありません」
「時間が経ち過ぎだ…!レイ様は無事なのか!?」
ロキはぐっと口を噤んだ。連れ去られた時点で、レイの肩には鋭い爪が食い込んでいた。それだけでも無事なはずが無い。
「ネズミ一匹、逃すな!すぐに探し出せ!」
「「はっ!!」」
ランスロットの指揮に従って散り散りに龍騎士達が出陣した時、爆音と共に地響きがした。
背後に真っ黒な排煙が巻き上がった。
方向は、ロワシールド湖。
この国唯一の水源地から、真っ黒な汚水が湧き上がったのだ。
レイが美しいと言った湖が、漆黒の水に変わる。
信じられない光景に、龍騎士達も目を見開いて呆然とした。
「な…なにが、起きている…?」
この国に、途轍もない異変が起きているのは確かだった。
「湖が汚れた。真っ黒な水に変わってしまった」
森に棲む妖精族の長は、龍神の前に姿を現した。妖精族に性別はなく老化もしない。中性的な少年のような少女のような容姿をした妖精族の長は、悲しそうに涙を流した。
ロワシールド湖の水源は、国の生活用水だ。町に流れ出した水の異変に、民も困惑した。
城内に緊急で集められた国の上層部は、『黒龍の神子』の誘拐という由々しき事態と共に起こった湖の異変に騒然となる。
神殿には、龍神や国王も含め、種族の長達が集結した。
そこに、鳥人族の長もいた。
鳥人族も妖精族も、数百年前に地上から移住した種族だ。今は異種族も平等に天界の国民であるが、今回の事態に鳥人族の長は複雑な想いを抱えていた。
「我が同胞が、神子様に多大なご迷惑を…」
長は頭を下げる。だが、リオウはこの場に似つかわしくない感情を読み取った。
リオウは重い口を開く。
「下手に取り繕わなくていい。鳥人族には竜族のように『黒龍の神子』に対する信仰心など皆無なのだから」
「…」
「鳥人族は、地上の戦乱に巻き込まれた被害者。貴方にとっては、同胞の方が気になるのだろう?」
鳥人族の長は、図星を突かれて面を食らったように唇を噛んだ。困惑と怒りの複雑な感情が入り混じっている。
それは仕方ないの無いこと。
『黒龍の神子』の存在は、竜族にとって遺伝子に刻み込まれた何にも代えがたい存在である。
だが、異種族にとっては無関係。国の定めとして賛同はするが、何物かを天秤にかけた時、重要視する程の存在ではないのだ。
暗黙の了解で有耶無耶だった異種族の信念が、今回明るみに出た。
鳥人族にとって『同胞の命』と『レイの命』。天秤にかけるまでもない。
「今は地上の…鳥人族の村が戦火にある。気が気ではないね。レイを人質にしてでも取り戻したいようだ」
鳥人族の長は、フッと口元を緩める。
「…おっしゃるとおり。私共にとって神子様を地上に返して、戦争が終わるのならば願ってもないことだ」
鳥人族の長の言葉に、城内がザワつく。
「そもそも、わが種族がこの国に移り住んだ歴史も、先祖が数百年前の戦乱でこの天界の地に逃げてきたのだ。その戦争の発端も地上に生み落とした『黒龍の神子』の存在と聞く。すべての元凶は貴方でしょう?」
「龍神様になんて口の聞き方を…!」
「いいよ。無礼講だ。本音で話さなければ先には進むまい」
確かに、長い歴史の中で数人の『黒龍の神子』が地上に存在した。戦争のすべてが『黒龍の神子』ではないが、少なからず原因の一端にはあった。
言い分は分かる。だがリオウにとっては、取るに足らない話だ。
リオウはゆっくりと微笑んだ。
「ならば、この国から出ていけばいい」
鳥人族の長は、バッと顔を上げた。意味を理解して、次第に顔の血の気が引く。
リオウはあざ笑うように続ける。
「この国は、竜族の地。君達がそれほどまでに私の子を嫌い蔑ろに扱うのであれば、出ていくのは君達の方だ」
数百年保たれた異種族の均衡が崩れる、龍神の発言は、この場にいた誰もが恐れ慄き言葉を失った。
差別のない、争いのない、平和な国。それがこの国の掛け替えのない財産だ。
それが今、この瞬間。この龍神の一声によって、崩れ去ろうとしている。未知の脅威は、リオウの笑みと共に冷ややかにゆっくりと侵食する。
「君達のその感情のせいで、私の愛おし子が死んでしまったら、私は君達を一生許さないからね」
この時、誰もが思い知る。
親愛深いと言われ慕われる龍神の愛情は、平等ではない。
リオウにとって、『神子』の存在は、国民の扱いとは得てして異なるもの。
その無慈悲な愛情は、民の意思に関係なく国の根幹となる。
リオウは人間ではない。この国の神なのだから。
ピンと空気が張り詰める。呼吸の音さえ出来ない静寂。龍神の纏う厳格な威圧感に、精神の弱い者はガタガタと震え出す。
「龍神様。それはいけません…!」
震える声で静寂を破ったのは、この国の宰相。
今にも泣きそうな悲痛な声で、龍神に訴える。
「貴方が異種族を嫌うのはいけません…!!絶対にいけない!!それでは神子様が…レイ様が悲しみます…!」
オスカーは哀願した。彼は異種族に両親を殺された過去がある。この国の誰よりも異種族への平等に対して思入れのある一人だ。その彼が、レイの為に必死に哀願する。姿形が先代の神子の想いと重なって、リオウは息をのんだ。
「オスカーはすっかりレイの味方か…そうだね…ごめん言い過ぎた」
スッと威圧感が消えて、いつもの龍神へと戻った城内は、張り詰めた空気を和らげた。
やっと呼吸が出来ると、深く息をした国王は重い口を開いた。
「龍神様。今はレイ嬢の命が最優先。龍神様のお気持ちは分かるが、国内で争っている場合ではない」
「…カルオスの言う通りだ。私も感情的になって冷静さを欠いていたね。鳥人族の長、この件は、仲間の命運がかかっているのだから、思う事があるだろう。だけれど、互いの敵は地上の人間だ。私も鳥人族を助けるために最善を尽くす。今は協力してくれ」
「…御意」
震える声で鳥人族の長は頭を下げた。
神の威厳を垣間見た後では、顔を上げることすら恐れ多かった。
「レイにかけた加護が発動した。すでに命を脅かせる事態が起きてしまった。ごめんね、私も気が気では無い」
リオウは、動揺し焦っていた。
レイは幽閉されていたせいで、体も小さく力もない。しかも怪我をしても治癒魔法が使えない。ちょっとしたことでレイの命は簡単に消えてしまう。危うい。愛おしい子の命。
加護がある限り、命は護れる。
それだけが、たった一つの命綱だった。
それなのに。
リオウは我が子にかけた加護の異変を感じ取ってしまった。
たった今。
レイの魂に、生きる為の意思がプツリと途切れたのだ。
「あぁ…駄目だよレイ」
リオウの加護は生きる為の術。それを望まないのであれば、護ることもできない。




