38.
次に目覚めた時には、酷く喉が乾いていた。どれくらいの時間が経ったのか分からない。
声を出そうとしたが、掠れて空気が漏れるだけだった。
傷つけられた身体は放置され、時間の経った血液は黒く固まっていた。
近くにいる気配は一人。見張り役だろうか。
「起きたか」
男はレイが起きたことに気付いて顔を向けた。指一本動かないレイは、眼球だけ動かして男を見た。
浅黒い肌に、短髪の鳥人族。仲間の暴行を止めてくれた男だと気づいて、レイはこんな状況でも内心ほっとした。
「傷だらけだが、どうせ治癒魔法で治せるんだろ?地上に行く前に小綺麗にしとけ」
男の言葉に、息をのむ。憶測はしていたが、やはりこの人達は、自分を地上に連れていくつもりなのだ。
今でさえ、この仕打ち。地上に行けばレイの命は無いと悟った。
僅かな抵抗と男の問いかけに対して、レイはゆっくりと首を振る。
「わた…しに…魔法は効かない…」
「は?」
「…魔法を…あてられると死ぬ…今…死んでも…いいのか?」
「ふざけた事言ってるんじゃねぇよ」
ふざけていない、と男の目をジッと見れば、男は大声をあげて頭を抱えた。
「あー!!くそっ、予定が狂った!だから傷付けるなって言ったんだ!アランの野郎!」
暴力を与えた男はアランと言うらしい。
男達が話す僅かな情報を必死に組み立てるに、皮肉にも身体の傷がレイの命を引き伸ばしたらしい。
「無傷で連れてこいって、そういう意味かよ。ふざけやがって…!」
「アルが…そう…言ったのか?」
「あぁ?!そうだよ!大事に大事にされていいご身分だな!こっちは、早くてめぇを連れて行かねぇと…俺の家族が…故郷が無くなっちまうっていうのに!!」
「……え?」
男の顔は、悲しみと怒りと憎しみに歪んでいた。
何が起きている。
地上で何が起きている?
「どういうこと?」
「しらばっくれんじゃねぇ…地上の戦火で故郷が焼かれている…黒目黒髪の忌み子を、天界から取り戻すための戦争だよ…天界に向けられた砲弾は地上を容赦なく焼く…空を飛べる鳥人族は、天界に近付ける種族…てめぇを攫う為の駒だ。俺たちを使うために、アイツは俺たちの村を人質にした。お前が早く地上に戻れば、まだ助かるのに…!」
伝えられた事実に、目頭がカッと熱くなる。
なんだ、それは。
なぜそんなことが起きている。
自分が人質ではなかった。鳥人族が人質となっているのだ。
無関係な鳥人族が、自分のせいで…!
『正式な家督となったことで権力を得たアレは、国の騎士を集め、この国に戦争を起こすと言っている』
リオウは言っていた。
『待っててね姉さん。俺は姉さんを絶対に助けに行く』
アルフレッドは言っていた。
レイは、生まれて初めて、実の弟の…アルフレッドに対して心の底から怒りが湧いた。
それが事実ならば、レイはこんな所にいる場合ではなかった。
「…この縄を解いて」
「は?そんなこと出来るわけねぇだろうが!」
「早くして!魔法は効かないが、傷は隠す…!」
「…は?」
「私を早く地上に連れて行くんでしょう!」
レイは叫んだ。
さっきまで、ビクビクと震えていた姿は微塵も無かった。
一変した態度に圧倒され、男はレイに言われるままに手首の縄を解いた。
レイは床に向かって魔法陣を描く。レイの周りに幾通りの光がホワホワと灯る。
「…おい、やっぱり魔法が効かねぇなんて嘘だろ!」
「静かに、集中してる」
レイは生成魔法を使う。タイザーに教わった医術の知識も併せて、即効性の治療薬を生成した。
上着を脱いで、身体をみる。傷も酷いが青痣も多い。内臓も少しイかれたか。骨も何本かヒビが入っているが、今は表から見えなきゃいい。水を錬成して破いた服で身体を拭う。自然治癒よりは治りが早くなるよう、的確に治療する。
呆然とした男は、しばらく無言でレイの行動を眺めていた。高度な魔法でテキパキと処置をする。
レイは薬以外にも、自分の肌に近い色の塗料を作る。青痣を隠す為だ。自然治癒で消えるまで、誤魔化せればいい。
(傷付けずに引き渡せって?アルは私をなんだと思っているんだ)
自分自身に魔法をかけずとも、レイはさっきよりも見違えるほど『小綺麗に』はなった。
「待たせた。縛るならまた縛ってくれていい。地上にはいつ行く?間に合うのか?助かるか?あなた達の故郷は」
「…は」
男は混乱していた。
逃げる素振りもなく、連れて行けという。レイの言葉は違和感でしかなかった。
「すぐには…無理だ。龍騎士達がこっちに向かってきている、アラン達がいま足止めをして」
「龍騎士なら大丈夫、知り合いだ。説得する」
「…は?なんだ…?意味が分からねぇ…なんでお前そんな」
男はレイの行動が理解できない。
戦争の火種となった忌み子が、何を言っているのか。
「そんな…そんなことなら、初めからお前が天界になんて逃げなきゃ…いや…そもそもお前が、この世にいなければ」
「そうだ」
スッと、正面から男をみる『忌み子』の顔にゾッとした。
無表情で無慈悲。
感情の欠片もない、冷酷な顔。
「ここで生きて行こうだなんて思ったのが間違いだった」
レイはこの時、自分の存在価値を理解した。
地上に居ても戦争は起きた。
天界に居ても戦争は起きた。
そうだ。
ひとときの夢だった。
希望を持っちゃいけなかった。
初めから、レイの運命は決まっていた。
「あなた達を犠牲にしてまで生きる価値などないのだから」
レイは、すべての感情に蓋をして、心に強く誓った。
地上に戻って…私はアルの前で…
この争いを
忌み子の存在を
全ての元凶を
この人生を終わりにしよう と。




