37.
掴まれた肩がギシギシと音を立てる。力強くて引きちぎられそうだ。
宙に浮いた身体は抗う術もなく、一瞬で知らない地まで連れて行かれる。
鳥のような脚。大きな翼。僅かに確認できた人間の顔。書物で得た知識でレイは悟る。
これは鳥人族だ。
やがて行き着いたのは岩の洞窟。硬い地面に投げ飛ばされるまで、無力なレイには何もできなかった。
乱暴に降ろされ自由になった身で、なるべく相手と距離を取る。動揺しながらも、レイは冷静を装って周りの状況を必死に確認した。
崖の上にある洞窟。鳥人族の棲み家だろうか。
洞穴は奥にまだ続いているようだが、先は暗くて分からない。
レイを攫った鳥人族は、大きな翼を折り畳んで背中に仕舞った。
灰色のウェーブのかかった長髪の男。大きな翼と鳥のような脚以外は、人間の体をしている。
初めて見る竜族以外の異種族。伝説といわれる希少な種族が、なぜ自分を攫ったのか。
恐怖と緊張感で、レイは震える体を奥歯を噛み締めて耐えた。
「黒目黒髪。お前が『黒龍の神子』で間違いないな?」
冷たい目をした男は、レイに尋ねる。
問いかけに言葉が出ないでいると、男は苛々と舌打ちをした。
「なんか言えよ、畜生が」
「っー…!!」
容赦ない拳がレイの左頬を殴り、吹っ飛ばされる。痛みで顔を歪める暇もなく、レイの首は男の手によって持ち上げられた。気管を押さえ込まれて息が出来ない。
男は指先に怒りを込めて、更に血管を圧迫した。
「っ…あ…」
殺意を持っているのは明らかだった。
憎しみの込められた眼光に、レイの身体はガタガタと震える。体格も力も差があり過ぎて、小さな抵抗は虚しく無に消えた。
(殺される…!)
酸欠で目が霞んできた。尚も男の手は緩まない。次第に痙攣する身体で、レイは最後にランスロットの顔を思い浮かべた。
次に気付いた時は、頬に硬い地面があった。
意識を取り戻して、手足の自由が効かないことに気付く。キツく締められた縄で芋虫のように寝転がされていた。
夢でなかった。状況は変わらない。
薄目で見えた視界の先に、焚き火の光が揺らぐ。人の気配が複数。きっと鳥人族の仲間だと察した。
「お目覚めか?神子さんよ」
一人の男が、レイに気付いて声をかける。連れ去った男とは違う鳥人族だった。
「……」
「怖くて言葉も出ないか?」
「おい、下手に触るなよ。また変な結界が発動するかもしれねぇからな」
「お前みてぇに、怒り殺そうとしなきゃ大丈夫だろ」
(変な結界…?)
男達の会話に、ふと思い出す。
レイの中指にはめられた加護の指輪。
(リオウは、命は護れるって言ってた…加護が発動したということは…本当に殺そうとしていたのか…)
怖くて、怖くて泣きそうになる。
魔法で逃げられるだろうか?
力の差は歴然なのに、複数人の男達にどこまで抵抗できるだろうか?
いや…そもそも空を飛べないのに、この高い崖の上からどうやって逃げればいいのだ。
先ほど殺されかけた恐怖が脳裏に過って、逃げる勇気は、今のレイには無かった。
「ったく…人質を傷付けて、交渉がうまくいかなかったらどうするんだ」
「そんなの、竜族がやったことにすれば良いだろうが。コイツはそもそも竜族に攫われたんだろ?どうせもう傷モノだろ」
男達の会話は続く。なんとか、冷静に会話の内容を拾った。
(人質?交渉?竜族に攫われた…黒目黒髪…)
それは、地上の物言い。黒目黒髪を知っていて、攫われたと言う。その言い分は…まるでアルフレッドのようだ。
(まさか……)
「アル…アルフレッド・フォン・ファルセンが何かしたのか…?」
「…ナニカシタ…だと?」
レイの問いかけに反応したのは、先程の男だった。
立ち上がると、レイに近寄り足を振り上げる。
「うっ…ー!!」
「人ごとのように言いやがって!!!」
「おい、やめろ」
「うるせぇ!!」
男は周りの静止を振り切って何度も何度もレイを蹴った。腹部と背中への容赦ない暴行と共に、鳥人族の鋭い脚の爪が皮膚を抉った。
レイの服にじんわりと血が滲む。何度も内臓を蹴られて呼吸もままならない。
「てめぇのせいで!!!」
「おい、傷付けるな!」
「俺たちの故郷が…!!畜生が!!死ね!!死ねよ!!」
「死んだら、使えねぇだろうが!!!冷静になれ!!!」
男はジタバタと暴れながら、仲間たちに押さえつけられ、ようやく暴行は終わった。
ヒューヒューと喉が鳴る。
手足を縛られた無抵抗な状態では、痛みに耐える事しかできない。
レイは思う。
これは、本来の自分の運命なのかもしれない。そうだ、小さい頃から何度も何度も教えてもらったじゃないか。
塔を抜け出し、この黒目黒髪を晒せば、拷問と死が待っている。
彼らは地上の者なのだ。地上では当たり前の仕打ち。当たり前の行い。
(そうだ…勘違いしていた…)
これが、自分の運命。
だって、自分は生まれた時から忌み子なのだから。
両親の言っていたことは本当だった。
アルが心配してくれたことは本当だった。
再び霞行く意識の中。冷たい地面に溢れる涙だけは温かく、頬を濡らした。




