26.
この日は、タイザーとの勉強の前に中庭に出た。
レイの要望で、花壇の一角を分けてもらい、薬草を育てているのだ。
食事を終え、ランスロットも付き添って外に出た。
毎日晴れというこの国の気候は、雨風の心配は無いが、水不足で枯れやすいので気をつけなければいけない。
じょうろを持って、毎日の日課となった水やりをする。薬草は水を浴びて艶やかに葉っぱを揺らした。
「だいぶ育ちましたね」
「あぁ、もうすぐ収穫時期だ」
初めて育てた薬草。レイの喜びも一入だ。
「レイ様が毎日水やりを欠かさなかったので、元気に育ちましたね」
いつもの如く、ランスロットは息をするようにレイを褒める。
だが、この薬草を収穫したらレイはやってみたい事があった。
それは、密かにレイの研究テーマの一つだったが、この国の環境に関わるのでランスロットに相談するのをグッと堪えている。
ある程度計画を練り実験結果をまとめてから提案してみよう。
礼儀作法を学んでいるレイは、ツルッと思った事を言う性格に歯止めがかかっていた。
「それより、ランス。そろそろ仕事の時間じゃないか?」
「…そうですが…まだレイ様と一緒にいたいです」
「私もタイザーさんの所に行く。途中まで一緒に行こう」
ふふ、とレイは笑ってランスロットの手を取った。
敬語を身に付けてきたレイだが、ランスロットには完全拒否されており、以前と変わらない話し言葉で通している。
それでも、国王と王妃の前では言葉遣いを改めた。ジェームズ殿下への文通も、かなり訂正が入っている。
まるで従者の業務報告のようになった文通に、ジェームズ殿下が密かにショックを受けていることをレイは知らない。
タイザーとの講義は師弟という認識の元、レイの態度はガラリと変わった。
初めは気持ち悪い!と拒否していたタイザーだが、日常生活で身につけたいと哀願されて渋々折れた。本来タイザーも王宮医務官で地位も高く、人から敬われる立場にいる。それにオスカーとレイのやり取りを見たからには、協力してやりたいという気持ちにもなった。
だが、
「タイザーさん、質問よろしいでしょうか」
ピシッと手をあげるレイに、腹の奥がムズムズするのは慣れない。
「なんだ」
「その臓器を損傷した場合は、どのような治療方法があるのですか?」
「…ここはだなぁ」
もやもやを感じながらも、講義は続く。
慣れない、やり辛い。
耐えていたタイザーも、日に日に甘受したことを後悔した。
懐かれた子犬が、しばらく会わない間に警察犬に調教された、そんな気分だ。
(聞けば、ランスロット殿下には普段通りだっていうじゃねぇか。早まったかぁ?)
タイザーは、ムズムズを抱えながらも、レイの勉強にはしっかり手を抜かずに教えた。
今日の講義は終わり、片付けに入ると、レイは深々と頭を下げ腰を折った。この国の最上の敬意を込めた礼だ。
これには、タイザーも訝しげに顔を歪めた。
「あのなぁ…全て丁寧にやればいいってもんじゃねぇんだ」
「はい?」
「最敬礼ってのは、時と場合と相手を選ぶんだよ。俺に使うものじゃねぇ。最高位の相手に形式だった場所で使う礼儀作法もあるって教わらなかったのか」
「!失礼いたしました、申し訳ありません」
「あー……」
タイザーはムシャクシャした。
謝って欲しいわけじゃないのだ。
なのに、非を認めるレイにとうとう堪忍袋の緒が切れた。
「やめた!駄目だ!もう我慢できん!」
今まで耐えたのが急に馬鹿らしくなる。
そもそも、あのオスカーのせいで、自分が毎日ストレスを抱えているのもムシャクシャする。
「敬語、一切禁止だ!改めないなら、医学の講義は今日限りにする!」
「えぇ!!!?」
「こんなやり辛くて、ムカムカする時間に割く暇はねぇ。帰れ帰れ!」
「どどどういうことだタイザーさん!」
ビックリし過ぎて、レイの敬語はぽろりと抜ける。
それに、ハッとしてレイは口を押さえた。
「も、申し訳あり…」
「あ“ぁ?」
「ひっ!」
鬼の形相で睨むタイザーに、流石のレイも怯む。顔の怖さと体格の良さでレイに敵う要素は一つもないのだ。
「世間知らずな神子様よぉ。一つ教えてやる」
威圧感を抑えようともせず、タイザーは真顔でレイに近付く。
「人との付き合いは、信頼関係だ。一度出来た信頼を壊すのは、時にその他人行儀な壁を作られることだってのを覚えておいた方がいい」
気分が悪いと、タイザーは部屋を後にする。
レイは驚きと、じわじわと襲う悲しみに、その場を動けなかった。
「…私は…また…失敗したのか…?」
何がいけなかったのだ。
今までよりも、勉強し、気を遣い、人に敬意を払う。
これの何を間違えたのか、分からない。
人との付き合い?信頼関係?
そんなの、今まで築いたことないのに分かるわけない。
だって…17年間愛して信じ続けた両親も弟も、結局は信頼関係など、何一つ無かったのだから。
「私はどうすればいいの…?」
失敗し、失敗し、それでも前を向いていたレイだったが、この時わずかに残っていた努力によって培われた自信が足元から崩れ去った。
あぁ、駄目だ。
レイは目の前が真っ暗になった。




