23.
ランスロットは胸の動悸が止まらなかった。
それは、レイと一緒に湖に行ったあの日から、数日経った今でもだ。
政務に取り掛かるが、すぐに集中力が切れ、あの日の出来事を思い出しては惚けてしまう。
レイは言った。
『ランスが好きだよ』と。
レイが友愛の気持ちで言ったと頭の隅では分かっていても、頂いた言葉があまりに衝撃的で、ランスロットは気を抜けばすぐに顔がトロけてしまう。
いかんせん、と気を改めようとするが、意識は御座形だ。
あまりに手を止めるランスロットの業務態度に、さすがに堪忍袋の緒が切れた人が1人。
ブチっと音がした。
「どこぞの若造は、やる気が無いなら死んでくれませんか?」
「!!」
指元に鋭い爪が落ち、ランスロットの机に刺さった。ランスロットの手のスレスレである。
苛立ちを隠さない上司は、この国の宰相。
オスカーだ。
横長の黒縁メガネに、緑色の長髪。スラリと背の高い彼は、切れ長の目を薄っすら細め、ランスロットを威圧的に睨む。
王族に対してもこの態度。オスカーは忖度のしない性格だった。
「申し訳ありません」
「ふん。謝罪する暇があるなら手を動かしなさい。若造が」
文官のトップであるオスカーが、龍騎士のランスロットを配下に置いたのは、レイと国に戻ってすぐの事。
理由は、黒龍の神子を連れ戻したからに他ならない。
人事権を私用で行使するのは良くない、と抗議する前に、ランスロットの席はここにあった。
オスカーは、王族も認める優秀な宰相だが、一つ難点がある。
先代の黒龍の神子の血縁者であるオスカー。
幼い頃からお祖父ちゃんっ子だったオスカー。
先代に憧れて祖父と同じ宰相になったオスカー。
この国の中でも盲目的な『黒龍の神子』の信者なのだ。
ランスロットが、今でも頑なにオスカーとレイを会わせないようにしている理由は、これにある。
オスカーは訝しげにランスロットを見て深く溜息をついた。
「小耳に挟んだのですが、神子様はあのタイザーと、今お勉強中とのこと。勤勉で何よりです」
「…そうですね」
「しかし、何故タイザーなのですか?私が自ら勉学を教えると毎日嘆願書を出しているというに」
「レイ様は医学に興味があるのです」
「将来、医務官でも目指すわけでもあるまいに。私も僭越ながら医学は齧ってますがね」
「オスカー殿がいくら博識とはいえ、専門職の方には敵いませんって」
「ほほぅ、減らず口を叩いて…そうやっていつまで私を神子様から遠ざけるおつもりですか?」
「遠ざけているなど…滅相もありません」
ランスロットは何度目かの押し問答に引き攣った笑顔で応える。
オスカーがレイと会うのは時間の問題だが、ランスロットは未だに迷っていた。
レイは地上の人間で、さらに幽閉されていた身。成長は平均より遅く、本人の前では言えないが余りに小さくか弱い。竜族の巨体から見たら尚更のこと。触れたら傷付けてしまうんじゃないかと思うほどに儚いのだ。
一方、先代の黒龍の神子は、ガタイが良く、騎士にも劣らぬ豪腕ぶりだった。さらに宰相を務めるほどの頭脳は、この国の誰もが頼り憧れる存在だった。
つまり、見た目がレイとは正反対。
オスカーが幼い頃から黒龍の神子と慕い刷り込まれている盲目的な信仰は、先代の姿ありきだ。
だから、怖いのだ。
見た目の違う次世代黒龍の神子を見て、この熱狂的な信仰心は、果たしてどちらに転ぶのか。
ランスロットは賭けだと思っている。
レイは、ランスロットの欲目を抜いても素晴らしい人格者だ。それは間違いない。
だが、先代と比べた時に、タイプが違い過ぎて、先代の存在感が強いほど、レイに会った時に混乱する者も多い。
実際そのギャップに、ランスロット自身も国王でさえも、少し戸惑った。
それが、血縁者であるオスカーはどうなるのか。
黒龍の神子に期待した反動がどう転ぶのか、ランスロットは怖かった。
ただでさえ、仕事の鬼と言われる宰相の存在は怖いのだ。恐怖に拍車がかかる。
「龍神様より先に私が謁見できないと、我慢していましたが、先日それも終えました。私も神子様との謁見の場を設けてよろしいですね?」
「え…と、それは、まだ早いのでは?」
「は?」
眉間の皺が深くなって背筋が凍る程に睨まれる。ランスロットは無意識に背筋が伸びた。
「王家の者なら許しましたが、護衛兵士のロキや、あのタイザーまでも…宰相である私が何故、こんなにも後回しにされるのか、ご説明いただきたい」
「オスカー殿…、ですが、しかし」
「ほぅ。貴方がそのつもりならば、分かりました」
オスカーは、持っていた書類を机の上にドンと置いた。
「ボイコットします」
「え?」
オスカーはクルリと後ろを向いて執務室を出た。
パタンと扉が閉まってから、やっと理解したランスロットは慌てて追いかける。
「オスカー殿!待ってください!」
「神子様は医務室ですよね、分かっています」
「ちょ、オスカー殿、落ち着いて」
「落ち着くのは貴方では?その服の乱れ、王族として恥ずかしくないのですか?」
ズンズンと歩みを進めるオスカーは、早足で医務室に向かう。
今日もタイザーと勉学に勤しむレイの元に近づく。
言葉ではもう止められない。
医務室に着いて扉を開けた瞬間、ランスロットは思わず目を瞑った。




