17.
レイはジェームズ殿下の怪我の具合が心配で手紙を書いた。それから今日の出来事を綴る。医務官のタイザーさんとはどんな人なのか、ジェームズ殿下から見た人物像も聞きたかったのだ。
ジェームズ殿下は遅筆ながらも必ず返事を書いてくれる。数度繰り返した文通は、レイにとって楽しみの一つとなっていた。
毎日が胸が躍ることばかり。
分厚い医学書を宿題に出すタイザーに、ロキは心底嫌そうな顔をしたが、レイはウキウキと本のページをめくっていた。
「おや、それは医学書ですか」
「あ、ランス。お疲れ様。仕事は終わったのか?」
「はい。今日はもうこの部屋で寛がせていただきます」
「そうか、会えて良かった」
「そう言ってもらえると疲れが吹き飛びます」
ランスロットは何とか仕事の折り合いをつけて、レイとの時間を確保した。
長い間地上に出て戦地にいた為、政務が滞っていると宰相から口煩く言われているが、今日も力づくで逃げた。
きちんと、一日分の仕事は終えている。ランスロットにとってレイとの幸せな安らぎ時間を奪われる言われはない。
「その本は医務室から借りたのですか?」
「あぁ、タイザーさんが私に医療を教えてくれるんだ」
「え、あのタイザーが?」
ランスロットは驚いた。
あの優秀な医務官は、今まで弟子は愚か、人に教える時間さえ惜しむ人だ。更に権力にも屈しない性格だ。きっと『黒龍の神子』の肩書きで引き受けたのではないだろう。
物珍しさに、ランスロットは喉を唸らせた。
「良かったですね。あの者の知識は確かですから」
「あぁ、いい人だった。それに気持ちの良い人だ」
「そうですか。レイ様はみる目がありますね。私としては、少し悔しいですが」
以前のランスロットとの勉強会は、結局レイの覚えの速さで一ヶ月もせず終わってしまった。分野を拡げようと試みたが、レイ以上の専門知識をランスロットは持ち合わせていなかった。
その様子を察した宰相はここぞとばかりに政務を押し付け今に至る。
ランスロットが政務に追われている間にレイの交友関係が広がり過ぎて、今ではレイを天界に連れてきた接点以外、ランスロットに誇れる関係性はない。
しかも、チラリと目に入る便箋。
(また、兄上に手紙を書いている…。)
ランスロットは明らかに嫉妬していた。
自分だって、レイから手紙が欲しい。
だが、それを要求したところで、ランスロットとは毎日会っていると、ひと蹴りされて終わるのが目に見えていた。
「悔しいとはなんだ、ランスは変なことを言う」
レイはからかうように笑った。
「私は政務を手伝えない。私はランスと一緒に居られないのが悔しいけどな」
「レイ様」
「いや…すまん、今日は我儘を言いすぎる。ここに居させてもらえるだけで感謝しなければいけないのに」
レイはふと我に返る。
毎日が目新しく、みんなが自分に優しくて勘違いしそうになる。
優しいのが、当たり前なんて幻想だ。
自分を受け入れてくれるのが当たり前だなんて思ってはいけない。とレイは我に返っては自分を戒める。
だってここを出て地上に戻れば、自分はやっぱり忌み子であり、存在してはいけない存在なのだから。
この世界の感覚に慣れてはいけない、と数ヶ月経った今でも、レイは脳内の片隅で冷静に自分を見つめていた。
「さて、今日はこの本を読破しなければいけない。ランスには悪いが、集中する」
「えぇ勿論です。ですが私もここにいて良いですか?」
「私に許可を取る必要は無いよ。ランスが側にいてくれるのは私も嬉しい」
そう言って、レイは微笑む。
だがすぐに目線は本に釘付けで、あっという間に本の世界へと入り浸ってしまった。
もう少し話したかったが、ランスロットはレイの真剣な顔を眺めるのも好きだった。
毎日、楽しそうにしていて嬉しい。
ランスロットはレイに広い世界を見せてあげられて良かったと心の底から思った。
もう少ししたら城の外にも連れ出そう。
街中で買い物もしたい。
花の季節には丘に咲く花畑を見せてあげたい。
竜に乗って空の散歩もいい。
どこにだって連れて行ってあげよう。
きっと、レイは目をキラキラさせて、満面の笑顔を咲かせるのだ。
想像した未来に、ランスロットは微笑む。
レイの隣に椅子を置き、紅茶を飲みながら空気を共有した。
今行なっている政務の大半は、黒龍の神子が帰還したことで起こり得る国の対応策だ。
龍神様への謁見や地上への報復。
国民への披露目も近々進めなければいけない。
この国に慣れてほしい。好きになってほしい。ずっと、ここに住めばいい。
地上に残してきたレイの弟など切り捨てて、レイには明るい未来だけを見て欲しかった。
レイの心情とは裏腹に、ランスロットにはこの国での未来しか頭になかった。
本を読み終えると、窓の外は真っ暗で、隣でランスロットは眠っていた。
政務に疲れているのだろう。レイは起こすのも悪いと思い、薄手の毛布を掛けてあげる。
その時ふと、ランスロットの耳飾りに僅かな魔力を感じた。
なんだろう。
レイは指先を近づけた。
その時。
『ーー・・・姉さん!』
「ー!!」
アルの声だ。
すぐにレイは察した。
間違いなく弟の声。悲痛な声と共に、魔力は次第に強まり、放射状に光りだした。
彷徨うように揺らいだ光は、レイの姿を感知すると、やがて複数の光の線がレイに集中する。
『ー・・さん・ねえさー・・ん』
通信音のように途切れながらも聞こえるアルフレッドの声。
感知した光は、レイを捉えて一点に向かう。
「アル…?」
『あぁ、やっと見つけたよ、姉さん』
はっきり聞こえたアルフレッドの声。
その瞬間、耳飾りは床に投げられた。
「!!」
グシャリと音がする。
ランスロットが髪を逆立て、耳飾りを踏み締めていた。
光はスッと消えた。
纏っていた魔力も耳飾りが粉々になると一瞬で力を失った。
「レイ様…今のは一体…」
ランスロットは反射的に耳飾りを壊したが、理解が追いついていなかったようだ。
レイには分かった。
これはアルフレッドが仕掛けた探知魔法だ。
「アルが…ランスの耳飾りに魔法をかけていたようだ。私が触れた瞬間、魔法が発動した」
「アレの魔法…?」
「私を探していたんだろう。ここの居場所を探知された」
いつの間に。ランスロットと塔を出る時に放たれた魔法だろうか。レイに魔法はかけられないと知っていて、初めからランスロットに向かって放たれたのだろう。
塔にあれだけの強力な魔法をかけられる弟だ。これくらいの探知魔法など容易い。
「そうか、我が弟ながら素早い機転だな」
「感心している場合では…、私物に魔法がかけられていたなど、気付きもせず…」
「発動するまでの魔力は微量なものだった。気付かなくても仕方ない。それよりランスの綺麗な耳飾りを壊してしまった。申し訳ない」
「いえ、こんなもの、気にしないでください。それより、ここの居場所が分かったというのは本当ですか?」
「見つけたと言っていた。だが、天界の国への移動手段など、さすがのアルでも難しいだろう」
「…地上では転移魔法があるのでは?」
「転移魔導装置の研究はされていたが空想の産物だと言われている。地上でも転移魔法はまだ実現されていない魔法だ。しかも一度も来たことのない場所を繋ぐのは難しい」
「そうですか。良かった」
ランスロットはホッと肩を撫で下ろした。
レイは複雑な気分だった。
「ランスは、私に帰って欲しくないのか?」
「レイ様。帰るのはこの国です。地上はもう貴女の国ではない」
ランスロットは何度も言う。真面目な顔で、レイの国はここだと。
「そうか…」
「まだ納得していませんでしたか。貴女の居場所はここです。ここに帰り、ここで生き、ここで幸せになってください」
ランスロットはゆっくりと、レイの肩を抱きしめた。まるで、逃げていく霞を包み込むように。
レイはそれ以上、肯定も否定もせず、ランスロットの気が済むまで腕の中に包まれていた。




