16.
この国に来てから数ヶ月が経った。
塔にいた頃は、毎日退屈で窮屈で時間があんなにも遅く感じたのに、月日が流れるのがとても早く感じた。
ランスロットの健康管理がしっかりしているので、ここに来たばかりの頃よりも体力が付き、背も少しだが伸びた気がする。
レイの遅めの成長期だ。
とはいえ、竜族は平均でも二メートルを超える身長なので、ひと回り小さいレイはまだまだ子供のようだった。
レイはこの短い期間に城内のみんなと顔馴染みになった。ランスロットかロキが一緒ならば城内は自由に歩いていいと許可を貰っている。
初めは恐縮していた執事や兵士達も、今ではフレンドリーに話してくれる。
何に関しても興味津々で、目をキラキラさせて話しかけてくるレイに、黒龍の神子信者は今や城内の大半を占めつつあった。
だが、ランスロットは最近溜まっていた政務に追われ、以前より一緒にいる時間は減ってしまった。その分ロキと一緒にいる時間が多くなり、今ではすっかり仲の良い友人だ。
「ロキ、医務室というのがあるって本当?」
「ありますよ。騎士の練習場の側です。行ってみますか?」
「うん、ロキがいいなら、行ってみたい」
「もちろんですよ!」
ロキはいつも嫌な顔せず、レイの我儘に付き合ってくれる。以前聞いたら、レイの護衛役を任命されたお陰で、嫌いな朝練や騎士道の勉強を免除され、迷惑どころか感謝していると笑った。
それが本心かどうか知らないが、ロキの屈託のない笑顔にはいつも明るくさせられる。
楽しそうなロキは早足で先に行く。歩幅の違うレイは思わずロキの手を握る。
だが、とっさにその手は跳ね除けられた。
「うわっ!レイ様!そんな簡単に俺なんかの手握っちゃダメっすよ!」
「わ、悪い、気持ち悪かったな」
「違いますけど!もぅ、見た目に反して自信ないのは相変わらずなんだからぁ」
ロキは苦笑いした後、歩みをレイに合わせて歩き出した。
「その見た目に反してって何だ」
「あれ?藪蛇?」
「悪かったな、こんなチンチクリンな貧相な見た目で」
「え、レイ様、自己評価そんななの?」
まん丸になった目で、ロキはレイの顔を見た。
「レイ様が無自覚なのは、今に始まったことじゃないけれど、やっぱりまだ城の外に出るのは危険ですねぇ」
「危険なのか?ランスの話だと、城下町の治安はいいのだろう?」
「んー、治安は悪くはないですけど、犯罪がゼロなわけではないですから。俺たちが付いていても、レイ様が無自覚過ぎて守れる自信ないです」
「別に、一人で走り回ったりしないよ」
「そういう意味じゃないんですけど…あ、医務室着きましたよ」
話しているうちに、医務室の前に来ていたらしい。
扉を開けると、沢山のベッドが並んでいた。
ザッと30人は寝られるだろう。
「あれ?ジェームズ殿下」
「え?」
医務室の椅子に座って、治療を受けていたのはジェームズ殿下だった。
もう一人の男性は、レイに気付いて目を見開いて固まった。
「レ、レイ様」
「ジェームズ殿下、怪我ですか?」
治療中だったらしい、ジェームズ殿下は右手を包帯で巻かれている最中だった。
鍛錬中に怪我をしたのだろうか?
レイも心配になって近付く。
「大丈夫か?利き腕だろう?」
痛々しく、包帯から血が滲んでいる。平和な国なのに戦闘種族のサガなのか、身体に傷痕のある人は多い。
「レイ様、汚れますから触らない方が…」
「うわぁ、ランスの時より傷口が深い。この塗り薬は痛み止めを含んでいるようだが、治るまで時間がかかりそうだ」
「レイ様?」
「ジェームズ殿下が良ければ治癒魔法をかけてもいいか?」
傷口に白く細い指がなぞると、ジェームズは固まった。コクコクと首を縦に振る。
それを良しと捉えたレイは、指先に魔力を集める。そして傷口に向かって光を放った。
キラキラと温かい光が腕を覆うと、スッと傷口は跡形もなく消えた。
それは息をするように当たり前で、たった数秒の出来事だった。
ロキは、レイのいつもの行動力と魔力に慣れていたが
、初めて目にした医務官である男はフルフルと拳を握りしめている。
ジェームズも、目の前の奇跡に目がパチクリと開いて静止した。
「よし、綺麗になったな。やっぱり戦闘種族とはいえ、男前に傷痕が残るのはもったいない」
レイはニッコリ笑うと、ジェームズは無言のままその場を立ち上がる。
と思ったら、そのまま猛スピードで走り去った。
「ちょっぱや」
「え、ジェームズ殿下どうした?」
「殿下はあぁ見えてウブなんで」
「そ、そうなのか?」
よく分からないが、またもやジェームズ殿下と話す機会を逃してしまった。文通はしているが未だに会話は少ない。
やはり竜族にとって傷痕は男の勲章、勝手に治してはダメだったのか。
レイは反省した。
「今のは何だ?治癒魔法か?」
ふと、目の前の男が声をかける。
短髪に浅黒い顔。
医務官の服装をしているが、龍騎士に劣らない体格の良さだ。
「何だと聞いている」
「ち、治癒魔法だ。毛細血管と皮膚細胞を繋いだだけだ」
「は?それが…治癒魔法だと?」
男はレイの前まで近づき、睨んだ。
威圧感に流石のレイもビビる。
「治癒魔法とは細胞を活性化させ治癒力を促進させるものだ。お前がやったのは医療だ」
眉間にシワを寄せた男は、今にもレイに掴みかかりそうなほど、迫力があった。
「タイザーさん、顔怖すぎ!レイ様びびってるから」
見るに見かねて、ロキが間に入る。タイザーと呼ばれた男は、更に眉間のシワを深くする。
「顔が怖いのは生まれつきだ」
「うそだね、タイザーさんにもきっと天使のような幼少期がありましたって!」
「ふん、あってたまるか、そんな時代」
それでもタイザーはロキの言葉を素直に聞いて、レイの肩から手を離した。興奮していたらしい。タイザーは改めてレイを見やる。
「お前が噂のレイ様か。噂以上にか弱そうだな」
レイはこの国にきて、初めて面と向かってモノを言う人に会った。いつも『レイ様』と呼び、まるで宝物を扱うように優しくされ、一歩距離を置かれていたからだ。タイザーの歯に衣着せぬ物言いは新鮮で、そして堂々とレイが気にしていることを言われてカチンとした。
「そういうお前は口が悪い。そう無闇矢鱈に人のコンプレックスを言うのは良くないぞ」
「え、レイ様コンプレックスだったの?」
「ロキ、うるさい」
「すみません」
とはいえ、レイは初対面だということを思い出し頭を下げた。
「挨拶が遅れてすまない。レイ・フォン・ファルセンだ。新参者だが、よろしく頼む」
「タイザーだ。この城の医務官をしている。よろしくな黒龍の神子様」
淡々とそういうタイザーに、レイは少なからず同族の匂いがした。レイも本音と言葉が直結してしまうタイプだが、この男も同じなのだろう。
嫌味ではなく、単純に思ったことをそのまま言っただけなのだ。
「レイでいい。それより、医療とはどういうことだ」
「は?さっきお前がサラッとやってただろう」
「アレは治癒魔法だ。魔法の延長だろう?」
「どこに血管繋ぐ魔法がある。しかも毛細血管までもだぞ?」
「こう、身体の構造を網羅してたら魔法で繋がるだろう?」
「網羅してたらそれこそ医療だっての」
「何が違うんだ?」
「おい、ロキ。こいつ、頭良いのか悪いのか、どっちなんだ?」
とっさに、話題を投げられてロキも困る。二人の会話自体、ロキにはさっぱりだ。
「レイ様は、地上の国の、さらに特殊な環境にいた人なので、色々ズレてるんですよ」
「ロキ、私ズレてるのか?」
「え、いまさら?」
仲介役のロキもレイの敵にまわった。これでは分が悪い。
タイザーは呆れて言った。
「例えばな、トカゲの尻尾は切っても生えてくるだろ?それは自然治癒だ。治癒魔法は新しく生える尻尾の細胞を促進して早く生やす。だがお前のは切った尻尾の断面を血管も神経も細胞一つ一つをつなぎ合わせてるんだ。これは治癒魔法じゃねぇ」
「なるほど」
「確かに繋げる魔法はある。だがな、下手に繋いだらそれこそ死に繋がる。知識のない奴が動脈と静脈を繋いだらアウトだろ。それを毛細血管で繋げるなんて、あんた天才かバカだな」
「そうか、すまない、独学なんだ。それなのに王族にかけたことに怒っているのだな」
「ちげぇ、だから怒ってねぇ。この顔は元からだ」
見慣れてくると、タイザーは確かに口調と顔は怖いものの、感情的に話しているわけではないと分かる。これがデフォルトなのだ。
そういう人格だと分かったら、気を使う必要は無かった。
「タイザーさんにお願いがある。医療を教えてほしい」
「は?そんなの釈迦に説法だ。そんだけ魔法と医療で人治せるなら必要ないだろ」
「私は今のは治癒魔法だと思って使っていた。だが、私自身には魔法は使えないんだ。だから医療を学びたい」
「はぁ?」
タイザーは顔色を変えた。そして慌てて目配せをして、ロキに部屋の鍵を閉めさせる。
カーテンをも閉めて、声を小さくして言った。
「今の話、本当か?」
「?医療を学びたいと言ったことか?」
「違ぇ。お前に魔法は使えないという話だ」
「あぁ、本当だ。私には治癒魔法も毒になる。魔力を当てられたら死んでしまう」
「おまえなぁ……ロキ、お前も知ってたのか?今の話知ってるのは誰だ」
「えーと、ランスロット殿下と俺ですかねぇ」
「他に聞かれてねぇだろうな」
「多分」
「おまえらなぁ、そんな機密情報、無闇矢鱈に言うんじゃねぇ。黒龍の神子の弱点が魔法だなんてバレたら国の一大事じゃねぇか」
「あ!」
「ロキ、てめぇも脳味噌少しは使って護衛しろ」
「す、すみません!」
「そんなに怒ることか?あ、顔が怖いだけで怒ってないのか」
「今は怒ってるわ!」
「わ、わかりにくいぞ」
ワナワナと怒り心頭しているタイザーを他所に、レイはイマイチ怒りの原因が分からなかった。危機感の無い黒龍の神子に、タイザーは深い溜息を吐いて椅子に擡げた。
「この能天気な神子様の教育は殿下とロキに任せるわ。それより、神子様は魔法が毒になると知ったからには、それなりに失敗があるんだろ?試したのか?」
「あぁ。生死を彷徨ったのは十年前だが、その時は魔法が原因と分からなかった。だが、簡単な治癒魔法で確信した。それからはどこまで可能なのか少しずつ自分にかけて実験していた。魔法は発動できるから、逆に厄介なんだ。私も境界が分からない」
「自分の命で実験してんじゃねぇよ。想像以上に馬鹿だったか」
「ぬ」
「だが、生きてて良かったな」
タイザーは大きな手をレイの頭にのせると、グリグリと髪を撫ぜた。
頭を撫でられたことのないレイは、一瞬呆けたが、次第に湧き上がる胸の温かさに、緩む口元を隠せなかった。
今まで生かされていたのに、生きてて良かったなと褒められた。それはレイの人生の中で一番嬉しい言葉だった。
「ふへへ」
「…」
「うわぁ。レイ様ぐにゃんぐにゃん」
「…おい、この神子様はいつもこうなのか?無防備すぎねぇか?」
「慣れてください、タイザーさん」
タイザーは何とも言えない感情を眉間のシワで隠した。今までどんな生活をしていたのか知らないが、話を聞く限り普通ではないのだろう。詮索はしないがこの国の常識を知っていないと、この神子はあまりに危険だ。
足元の基盤が、薄っぺらい氷なのだ。
才があるから逆に厄介。一歩間違えば取り返しのつかないことになる。
今まで良く無事だったな、とタイザーは素直に思った。
「独学と言ったな。どこまでの知識があるのか知らないが、この国はさほど魔法は発展していない分、医学の方が発展している。俺に教えてほしいと言ったな。これでも宮廷お抱えの医務官だが、俺に見返りはあるのか?」
「え」
そう言われて、レイは戸惑った。
そして、恥じた。
教えを請うばかりで、自分は何も持っていなかった。
当たり前のように、要求ばかりしていた自分に恥ずかしくなる。
「タイザーさん、意地悪ぃ」
「うるせぇ、こちとら忙しいんだ。タダ働きは御免だからな」
「いや、すまない。私が我儘言ったのが悪かった」
「なんだ、もう引き下がるのか?」
「だって、私は何も持っていない。対価になるものを与えてやれない」
「…ふーん、なるほど、そこまで無自覚か。これは骨が折れる神子様だな」
ロキは思った。
あ。この人、鎌をかけたな、と。
タイザーは宮廷という上流階級に居ながら、高飛車で計算高い人間が大嫌いなのだ。
タイザーにとって、異国から来た神子の存在は、関わりたくない人間ナンバーワンだったのだろう。神子と神聖化され周りの過保護っぷりに拍車がかかって、どんなに甘ちゃんで、常識外れのモンスターが現れるか、今まで遠くで離れて関わりを避けていた。
だから、現れたか弱い神子様が、こんなに自分に自信のないとは思わなかったのだ。
あれだけ高度な魔法と医学知識を見せつけて自分は何も持っていないと言う。
ここで、教えてもらうことが当たり前のように主張するならば、バッサリ切り捨てていた。
いい意味で、この神子は無自覚で無知なのだ。それは真っ白なキャンバスのように、これからどんな色にも染まる。
「お前、オスカーと会ったか?」
「オスカー…?いやまだ会っていない」
「そうか、あいつより先に俺に会えて良かったな」
「え?」
「教えてやろう。神子様の命に関わる事だ。国の命と言っても過言ではない。これをネタに昇給してもらうから充分な対価だ。悪くねぇ」
「え、いいのか?」
「え、それはそれでいいんすか?」
「うるせぇ。よし、明日から講義してやるが、まずはこの本読破してこい。みっちり教えてやるから覚悟しろよ」
タイザーは獲物を捕らえた獣のようにニヤリと笑う。
ロキには背筋が震える恐怖の言葉だったが、レイにはご褒美にしか聞こえない。
「ありがとう!これから世話になる!」
目をキラキラさせて、タイザーの手を取った。
この日を境に、二人は長年の師弟関係となるのだった。




