12.
ポテポテと廊下を歩く。身の安全は理解した。
だが、それはレイの中に新たな疑問を生んだのも事実だった。
何故、私は処刑されないんだろう?
今のレイは髪も瞳も、忌み子といわれる所以を人前で惜し気もなく表に出している。
長年隠し続けていた自分の存在。
見つかったらすぐに捕まると思っていた。
家族以外に会うことは、死を意味すると、昔から教わっていたのに。
恐怖は意味を変えレイを襲う。
17年という長い年月、信じていた常識を足元からガラガラと崩れている、そんな感覚。
これからランスロットの話を聞いていいのか。レイは顔を曇らせる。
ふと、廊下に差し込む窓の光に気付く。
ガラス張りの外は、真っ青に輝いていた。
明るくて美しい。
「綺麗な空」
「…えぇ、この国は雲の上にあるので一年中晴れているのですよ」
「え?一年中?」
「地上は雨や雪、台風など気候は様々に変化しますが、天界にはそれがない。なぜなら天候を左右する要素はこの雲の下にありますから。しかしその分太陽に近い為、日差しから身を守る特殊な結界が張られています」
「そうか、常識が覆るね…ということはこの国に水は無いということ?」
「さすがレイ様は博識ですね。確かに雨は降りませんが水はあります。地上では降り注ぐ水を天界では吸い上げるのです」
「吸い上げる…?」
「そう、地上とは逆ですね。基本的に竜族は日差しに強く、僅かな水でも生きられる身体に進化したと言われてますが、近年では外交も増え地上から他種族が来ることも増えました。その為、雨雲から水を吸い上げる技術と水路が発展したと言われています」
「なるほど、興味深いな。歴史の背景から言うと、ここには竜族以外の種族もいるということか」
「割合で言えばまだまだ少ないですが、地上の野蛮民族と違い、我が国では種族間の偏見や差別は少ない。それに混血種族も多いです。だからレイ様の外見を見ても誰も咎めません」
友好的なのはその為か。
戦闘種族と言われる竜族だが、見た目に反して皆優しい印象を受ける。
地上の野蛮民族。そうランスロットが言うのは、竜族への差別と迫害があったのだろうか。文献でしか知らない僅かな知識だが、レイは察した。
だが、レイは思った。
混血も多い。種族間の差別も少ない。
ならば、自分のような黒髪と黒い瞳を持った人種もいるのではないか。
自分だけでない、仲間がいるからこそ、ランスロットも国王も受け入れてくれるのではないか。
レイに希望が見えた。
国が違うのであれば、自分はまだ大丈夫。
忌み子ではない。
嫌われない。
異国の地に来て、レイは初めて自分の容姿を受け入れた気がした。
部屋に戻り、ランスロットは侍女に言って人払いをした。
グッと身構えながら、レイは椅子に座る。
椅子も竜族仕様で大きいため、レイは足が付かず子供のようで軽く自尊心が折れた。
「さて、レイ様。約束通りお話しします。これから話すことを、信じてくれますか?」
ランスロットはそう言って保険をかける。レイには即答できなかった。
「信じるかどうかは、私が決める。だって…私が今まで信じていたモノも真実だ。国が違えば見方も違う。常識に違いがあるということが知れれば、それ以上は望まない」
ランスロットは目を見張る。
レイはランスロットが思っている以上に聡明だ。
そして、臆病ながらも真実を受け入れようとしている。
ランスロットはそれが嬉しくて愛おしかった。
「レイ様は、まずこの国において、黒目黒髪という存在が如何に崇高であるか、知っていただきたい」
初めから、常識が覆るランスロットの話にレイはグッと言葉を飲み込んだ。
なにを知り、なにを感じても、ランスロットの話を最後まで聞こうと思ったのだ。
「我が国には龍神様と崇拝する神がおります。以前話しましたね。この国で唯一人型にも竜の姿にもなれる存在です。神として信仰される龍神様は百年に一度、子孫の種を撒く。それは私達のような性的交わりでなく、生まれ落ちる命に降り注がれる神の魂です。この国の竜族だけでなく、稀に地上の人間に与えられることもある魂。龍神様の子孫、別名『黒龍の神子』と呼ばれる吾子は、その特徴として黒目黒髪の人の姿をしています」
黒龍の神子。
昨日、国王にも言われた言葉を思い出す。
「黒龍の神子の存在は我が竜族の誉。我々竜族は生まれ落ちた命を御守りし、崇拝し、大切に慈しむのです。この国で誕生した場合はすぐに龍神様のご加護が与えられます。しかし稀に地上に産み落とされた場合、黒龍の神子を保護する為、我々は地上に降り立ちます。そして、神子を探し出し我が国に迎い入れるのです。それは長い歴史の中でずっと続いていた。しかし、地上の野蛮民族はその見た目から黒龍の神子を迫害したり、外交の人質とすることもありました。その度に、竜族は怒り神子を助けるために地上の野蛮民族に戦争を起こした。そんな時代があったからでしょう。『黒目黒髪の子が生まれると戦争が起きる』そう信じられてレイ様の国は法律で黒目黒髪の子はすぐに処刑した。戦争の火種は元から断つという馬鹿らしい法律だ」
ランスロットの眉間に血管が浮き出る。
握りしめる手にも力が入った。
「黒龍の神子の生誕と絶命は龍神様のお声によってこの国全土に知れ渡ります。だからレイ様がこの世に生まれた時から、竜族は貴女を探していた。しかし生存しているのは分かっているのに17年間貴女を見つけることができなかった。国交でも的を得ない回答ばかり。やがて私を含む龍騎士が貴女を探しに地上に降りた」
ランスロットはレイを見つめる。
「地上にいることは明らかなのに長年の交渉は叶わなかった。私達はとうとう戦争の火蓋を切った。レイ様の知らない所で戦乱は起こっていたのです。そんな戦の最中、私は吹雪に見舞われ白龍の背から落ち大怪我を負いました。そこで貴女に会った。ずっと探していた貴女に」
そっと手を取り、宝物のように目を細める。
「貴女は塔の中に幽閉されていたことを知りました。しかも、家族ぐるみで国にさえ内密に。外から全く見つからないように、何重にも掛けられた強い結界の中にいた。貴女に会った時は歓喜と同時に怒りが湧きました。一度も外にも出されず、食事も最低限の物しか与えられず、17年間も長い間、ずっとずっと。それを当たり前だと受け止めている貴女の姿を許せなかった。私は貴女の常識を覆したい」
「常識を…」
「外の世界の自由を。美味しくて温かな食事を。何者にも支配されない未来を。この差別も偏見もない、命を脅かされることのない私の国で、貴女を護り、共に生きたいのです」
ランスロットは握り締めた手を、今度は両手で包み込む。
逃しはしないと、真っ直ぐで真剣な目と視線が交わる。
嘘偽りの無い、レイの知らない常識。
だが、否定できる要素が見当たらない。否定どころか、今までの全ての事柄が一本の糸のように繋がるのだ。
日に日に病んで焦っていくアルフレッド。
国から守ろうと幽閉した家族。
だが、安心もした。
自分の境遇も決して嘘偽りではなかった。家族はみな、隠し事はしても騙していた訳ではなかったのだ。
レイの国には黒髪黒目は処刑される法律が確かにあった。自分が処刑される危険は生まれてからずっとすぐ側にあったのだ。
愛する家族、弟が必死に守ってくれていた。
自由と引き換えに自分が守られていたのは紛れもない真実。
「良かった…」
レイはポロポロと涙が溢れた。取りとめもなく流れ落ちる涙。
ランスロットの世界の常識と、自分の世界の常識が食い違っていただけ。
この国には確かにレイにとって優しい世界だが、今まで生きていた17年間も家族と過ごした紛れもない優しい世界だった。
それでいい。
「ランス、話してくれてありがとう」
「レイ様」
「正直、私はアルを置いてこの国に来た事が良いとは思わない。だが、ここには新しい未来があることは分かる。ランスに会えて良かった。真実が知れて良かった」
何故自分だけが黒髪、黒目で生まれたのか知れた。
何故幽閉されたのか知れた。
何故アルフレッドが必死だったのか知れた。
ランスロットが空から自分の元に落ちてきた奇跡を、胸にギュッと大切に仕舞う。
「信じるよ。やっと私は自分を好きになれる気がする。未来を歩める気がする」
ありがとう、と綺麗に微笑むレイを見て、一度惚けた後、ランスロットは我に返り慌てて手を離した。破壊力のある笑顔に、顔の紅潮が止まらない。部屋の温度が5度程上がった気がする。
「話は以上です。信じて貰えて良かった。レイ様は安心して私の国で過ごしてください」
「…それなんだが、私はここにいなければいけないのか?」
「え?」
ランスロットは、意表を突かれて目をパチクリする。
「国同士の異文化で、私は幽閉されていたに過ぎない。真実を話し、ランス達が戦争を止めると約束すれば、私はアルの所に帰ってもいいのではないか?」
「なにを…言っているのですか…?」
「私は地上に居てもいいと言っている」
首を傾げる。頑なにランスロットがこの国に自分を置く理由がレイには分からなかった。
誤解さえ解けば、自分は家族の元に戻れると、レイはまだ信じていたのだ。
だが、ランスロットは顔色を変える。
「貴女は…今までの黒龍の神子が地上でどれほど迫害されていたか知らない…!」
怒りに燃えるその顔は、まさしく戦闘種族のものだった。
部屋の空気がぴりりと一変する。
「ただでさえ…貴女の容姿は人を陶酔させる。あの忌々しい愚弟さえ、貴女を手籠にしようとしていたではないですか!」
「アルが?」
「あの目、血の繋がった姉弟に見せるものではない。アレは家族にレイ様は死んだと偽っていたのですよ?」
「え?」
レイは目を見開いた。
初耳だった。
「貴女の家が怪しいと気付き、徹底的に調べました。竜族の五感は人間よりも遥かに発達している。だから直接貴女の家族に聞いたのです。黒龍の神子がいないかと。しかし、貴女の両親は黒髪黒目の子供を産んだことは認めましたが10年前に亡くなったと言った。それは虚言ではないと我々の五感で判断しました。貴女の両親はレイ様が亡くなったと信じ葬儀まで身内で済ませていた。アレがそうやって親を騙していたのです。心当たりはありませんか?」
レイはそう言われて、思い当たる節があった。
10年前。
まだ7歳だった頃。アルフレッドがレイの髪色を変えようと魔法をかけ、レイは生死を彷徨った。
あの時、レイは無事命を繋ぎ止めたが、あの事件以来、両親が塔に姿を現すことは無くなった。
パッタリと無くなったのだ。
「アレはレイ様を自分の意思で囲ったのです。さらにレイ様の存在を知る者は、直ちに抹消した。執事や召使いも、アレの手によって消されることもあった。食事もアレがレイ様の存在を知られないよう内密に用意したものです。だから朝の僅かな食事しか与えなかった。両親を10年も欺きレイ様を欺き、手籠にしていたのです」
レイは今度は受け入れなかった。
「前言撤回だ!信じないぞ!」
「レイ様!」
「嘘だ!アルを侮辱するのは、いくらランスでも許さない!」
「…レイ様」
耳を塞ぎ、現実逃避するレイに、ランスロットも心が折れた。
話し過ぎたと思った。レイには時間が必要だったのだ。
「レイ様…私よりも家族を信じるのは仕方がないこと。貴女の気持ちを無視して押しつけはしません。ですが、地上に戻るのは考え直してください。いくら我々が戦争を白紙に戻しても、貴女の容姿への差別や迫害が消える訳ではありません。法律も撤回はしないでしょう。そんな悲しい人生をレイ様に送って欲しくないのです。どうか、これだけは私の我儘を聞いてください」
大きな身体で、小さな自分に頭を下げる。
レイは如何に自分が場違いに優遇されているか思い出し恥じた。
ランスロットもアルフレッドもレイに優しすぎるのだ。
「うん。ごめん。私を想って言ってくれたのは充分理解した。少し頭が混乱している。知らなかった事が多過ぎたのだな。しばらく一人にしてくれないか?頭を整理して冷静になる時間がほしい」
「もちろんです。この部屋は自由に使ってください。しかし部屋を出る時は私を呼んでください」
「わかった」
そう言って、下がり眉でランスロットは笑った後、部屋を出て行った。
朝食の後だと言うのに、レイは再びベッドにダイブした。ふわふわのクッションに頭を埋める。
ランスロットが話した内容を脳内で反芻する。
理解はしたが、納得はしていない。
この数分で受け止めるには、17年は長過ぎた。
「私は…黒龍の神子。所詮、地上では忌み子であることに変わりはなかったのか」
アルフレッドは自分を手籠にして、何の益があるのだろうか。両親に死んだと思わせて何がしたかったのか。
それは分からないが、両親が自分の元に来なくなったのは捨てられた訳ではなかったと知れて安心した。
ランスロットは嫌っていたが、アルフレッドは毎日毎日欠かす事なくレイに会いに来てくれる家族だったのだ。
そう簡単に嫌いになれるわけが無い。
最後に泣きながら名前を叫んだアルフレッドの姿を思い出す。置いてきてしまった弟に、今どんな顔をして会ったらいいのか分からない。果たして、アルフレッドは自分を許してくれるだろうか。
「欺いていたのは私も同じだよね…」
ランスロットを助け、秘密にしていた。
魔法の練習を密かに積み重ねていたことも秘密にしていた。
お互い全てをさらけ出していたわけじゃ無い。
ただ今はアルフレッドへの贖罪よりも、新しく広がった未来の選択肢への希望に胸が高鳴っているのも事実だった。
「悪い姉だな…」
クッションをギュッと抱きしめて、レイは瞳を閉じた。




