11.
通された部屋は、今まで住んでいた塔よりも遥かに広かった。さっき乗っていた白龍も中に入れてしまうんじゃないかとレイは思った。調度品が綺麗に並べられている。異国の馴染みのない置物に興味津々になる。
寝室にはキングサイズのベッドが一つ。
レイの小さな体ではでんぐり返しができてしまいそうだ。
「ここが貴女の部屋です」
「は?」
目が点とはこのことだ。
あまりに様々なことが起こり過ぎて、レイの脳内は交通渋滞を起こしている。
「待って、なにも理解できない」
「きちんと説明します。レイ様が納得するまで話します。しかし今日はもう遅い。一度お休みになられてください」
やっとランスロットが降ろしてくれたのは、ベッドの上だった。ずっと抱き抱えていて疲れたかと謝ろうとしたが、ガチムチの二の腕を見てやめた。「羽根のように軽かったですよ」などと歯に衣着せぬ台詞を言われたら困る。
確かに、脳内がパンクしそうなので一度休みたい。だが、レイは安心していなかった。
目覚めた時は処刑台にいるのではないか。寝ている間に殺されるのではないか。今度は檻に入れられるのではないか。
思わず部屋を出ようとするランスロットの服を咄嗟に掴んだ。傷付けないと言ったランスロットを信じたい気持ちと、一人では押し潰されてしまう恐怖。
弱い自分が心底嫌になりながらも、唯一の拠り所に頼りたかった。
「側にいてほしい…お願い…今日だけでいいから」
「…わかりました」
ランスロットは上着を脱いで身軽になると、一緒にベッドに横になる。
軋んだベッド。大きな肢体。
ランスロットは太い腕を伸ばし、レンの頭の下に敷くと、もう一方の手で優しく髪を撫ぜた。
「大丈夫です。私は貴女を護ります」
何度もそう囁かれ、ゆっくりと撫でられていると、心臓の音がようやく一定のリズムに戻った。ランスロットの温もりと安心感に瞳が重くなる。微睡む眠気に身を委ね、レイは瞳を閉じた。
翌朝、目覚めると部屋にはレイ一人だった。
布団もベッドも天井の装飾も違い、昨日の記憶を頼りにレイは今の状況を思い出す。
理解はしても実感は湧かない。
それだけ17年という年月は長かったのだ。
ベッドから出て、部屋を見渡す。小物や家具が今までいたレイの部屋とは違い異文化を感じた。だけれど、懐かしい。そんな気もした。
誰かいないのか、とレイは扉に手をかける。
と同時に部屋の扉が引かれ、掴んだドアノブと共にレイの身体は引っ張られた。
「わっ」
「大丈夫ですか、レイ様」
「お、おはようランス」
ガタイの良い胸に飛び込んでしまったが、見慣れた顔にホッとする。
ランスロットは、髪を整え衣服も今までの軍服と違い貴族の装いだった。
レイは察していた。
昨日、殿下と呼ばれていて、国王とも謁見できる存在。
ランスロットは王族なのだと。
龍騎士としか身分を明かさなかったのに、今更身分の高さを言われても困る。それ以前にレイには王族に対する礼儀作法など知らずに育ったのだ。今更不敬だ、礼儀をわけまえろと言われたところで態度を改めるなど不可能で。それを分かった上で、今までと変わらぬ態度で貫こうと決めた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「まぁ、いまいち理解が追いつかないけれど」
「着替えを持ってきました。昨日今日では仕立てが間に合わず、レイ様の体型に近いものを見繕ったのですが」
「ありがとう、着れれば何でもいいよ」
手に持った衣服を受け取る。竜族の民族衣装だろうか。色鮮やかな刺繍が所々に施され、シンプルながらも華やかさがある。着ていた服を脱ぎ、早速衣装に着替えるが、紐の位置やボタンの作りが独特で着方がイマイチわからない。
「すまない、ランス手伝ってくれ」
「レイ様…人前でそう簡単に脱ぐものではありません」
「え?どうしたランス。顔が真っ赤だぞ」
衣装に意識がいっていたが、振り向いた時にはランスロットは顔を覆い耳まで真っ赤に染まっていた。熱でもあるのかとレイは心配になる。
「大丈夫か?昨日のことがやはり負担で体調を崩したのか?」
「ち、違いますレイ様。それよりも、早く前のボタンを閉めてください」
「すまない、このボタンに馴染みがなくて。形が特殊なのか閉まらないのだが」
「…そうですか、すみません、失礼します」
ランスロットは恐る恐る手を伸ばし、レイの胸元のボタンを閉めてくれた。ひんやりとしたランスロットの指先がレイの胸を触れ、少しビックリする。
「んっ」
「!レイ様、すみません」
「い、や。冷たくてビックリしてしまった。すまない。ボタンありがとう」
着てみればサイズはピッタリだった。書物の挿絵にあった異国の衣服。孫にも衣装かもしれないが、郷にいれば郷に従えだ。クルリと回ると裾がひらりと舞う。
「似合う?」
「っ…えぇ…とても」
「良かった。どうした、また顔が赤く」
「大丈夫です、それよりもお腹が空いたでしょう、朝ご飯の支度が出来ています。参りましょう」
なるほど。衣服に食事まで用意してくれるのか。
迎え入れられているのか、最後の晩餐なのか。この時点でレイには判断できない。ランスロットが側にいることだけが不安要素を和らげる唯一だった。
扉の外に出ると人が10人並んで歩けるんじゃないかというくらい幅広い廊下。
部屋もそうだが、今までの生活と規模が違いすぎてビックリする。
ランスロットに付いて歩くが、歩幅が違うので遅れそうになり、思わず先行くランスロットの服の裾を掴む。
「レ、レイ様?」
「すまない、もう少しゆっくり歩いてくれ」
「あ、申し訳ありません」
レイの歩幅にあわせて歩き始めるが、レイはランスロットの服を掴んだまま離さない。無意識に一人になる恐怖が現れていた。
「まだ食堂は遠いの?ん?どうしたランス?」
「…可愛すぎて…つらい」
「ん?すまん。よく聞こえなかった。やっぱり具合が良くないのか?」
「大丈夫です、もうすぐ着きます。本当は食事を部屋に持って行きたかったのですが、皆がレイ様に会いたいときかなくて」
「え、…他にも人がいるのか…?」
ランスロットと二人だと思っていたので他の人と一緒に食事を取るとは聞いていない。途端に緊張が高まる。
「心配しなくても、レイ様を嫌っている者はおりません」
ランスロットはレイを心配してそう言うが、全く安心できなかった。会うのは王族だ。そもそも、ランスロットの態度がいけない。
「ランス、その敬称と敬語を今すぐやめろ」
「え?」
「突然現れた私が、王族に敬語を使われているなんて、可笑しいだろう」
「いえ、これは私の癖です」
「その癖を今すぐ矯正しろ」
「なんと、無理難題を」
「ちなみに私に敬語や礼儀作法は無理だ、ははは」
「レイ様はそのままでいいですよ。誰も咎めません」
「本当に大丈夫か?心が広いんだな竜族は」
「そうです、心が広いんです。みな優しく迎えてくれますよ」
話している間に、食堂に着いたらしい。
扉の向こうには、煌びやかな食器の数々。
そして、昨日会った国王と、その隣に美しい女性。周りに座る男性が一人。従者と思われる男達が5人立っていた。
皆、背が高く竜族の風貌をしており、一人だけ違うレイは全身で萎縮した。
この扉より先に入りたくない、と足が止まってしまうが、ランスロットは背中をそっと押して椅子に誘った。
「おはよう、レイ嬢よく眠れたか?」
「お、おはよう」
国王に話しかけられてとりあえず、ペコリと頭を下げる。座っていいのか迷うが、ランスロットが隣に座ったのをみてレイも席につく。
それが合図のように、メイド達が食事を運んできてテーブル一面に見たことのない食事が並ぶ。
レイにはパンとスープしか名前は分からなかった。
パンもレイの顔以上に大きく頬のように柔らかそうで。スープには骨つきの肉と野菜が汁よりもたっぷり入っていた。
なんだこれは。食べ物なのか?
手を伸ばして、パンを指で突くと柔らかく押されてふわりと元に戻る。クッションのようだ。
「レイ嬢、嫌いなものがあれば言ってくれ」
国王はにこやかに笑う。
しかし、レイはそれどころではない。
嫌いもなにも、食べた事がないものばかりでよく分からないのだ。
「ランス…これは何だ?」
「卵をスクランブル状に焼いたものです。甘い味付けなので、食べてみてください」
「ん」
恐る恐る、お皿にのった黄色いものを口に入れる。
ふわりと広がる甘い香りとふわふわの食感。温かい温度も何もかも初めてだった。
「何だこれは」
「お口に合いました?」
「食べた事がなくて、戸惑う」
パンも一口千切ってみるが、温かくて柔らかでスープに浸さなくても口の中で溶けた。
ほのかな甘みもとても美味しい。
「その果実のジャムを付けて食べてみてください」
「こ、これか?赤いが食べ物なのか?」
「イチゴの実を砂糖で煮たものです。甘くて美味しいですよ」
「そうか…」
言われた通りにジャムを付けて口に入れる。芳醇な果実の香りと甘味が口の中に広がって、レイの目は星が舞ったようにキラキラした。
その様子を側から見ていた国王を始め、竜族の人達は目を見開いて手を止めながら凝視していた。
その時、やっとレイは注目の的になっていたことに気付く。
「ランス…すごく見られているのだが」
礼儀作法は気にしなくていいと言われたので、特に敬意も払わず目の前の食事に夢中になってしまった。
やはり食べ方にも作法があったのか。
今更言われても何も知らない。
レイは困って眉を下げた。
すると、国王は至極真面目な顔で言った。
「ランスロット、レイ嬢は何故そんなに可愛いのだ」
ランスロットも至極真面目な顔で返答する。
「可愛いでしょう?」
「可愛いわね」
「可愛いくて、自己紹介を忘れてしまった」
「私にも紹介してちょうだい」
目の前の竜族達が次々に口を開く。
可愛いと言われたが、聞き間違いだろうか。何度も聞こえたが聞き間違いだろう。
レイは自己完結して、挨拶もしなかったことを恥じた。だが、名前を明かしていいのかとも思う。
それを察してか、ランスロットは代わりに口を開いた。
「この方はレイ・フォン・ファルセン様と言います。レイ様、昨日紹介しましたが、こちらがカルオス国王、隣がリリス王妃、そしてこちらが私の兄ジェームズです」
やはり予想通り、皆揃いも揃って王族だった。途端に緊張の糸がピンと張る。
レイは萎縮して声も発せなかった。
ついランスロットの腕を掴んで、ギュッと顔を埋めた。皆にこやかなのは分かっているが、怖いという感情が先に勝ってしまうのだ。
無礼だと思いつつも顔を上げられない。
その様子に、国王はムッと訝しげに眉を寄せた。礼儀がなってないと怒られると思ったが、発せられたのは意外な言葉だった。
「何故、お前にばかり懐くのだ。ずるいぞランスロット」
「父上の顔が怖いのですよ」
「こんな優しいイケメンを捕まえて何を言う」
「貴方は分かりますが私は優しいですよ、レイ様。なんといっても国の母ですからね」
「それを言うなら私は国の父だ。レイ嬢、ランスロットの近くばかりにおらず、こちらにおいで」
孫可愛がりかペット可愛がりのように、手を拡げる国王と王妃。
「可愛いというか、麗しい。…異国の者はこんなにも小さくてか弱い生き物なのか?触ったら折れそうではないか」
隣でジェームズもぶつぶつ呟いている。
皆一様にレイに好意的だった。
レイは、やっと迎え入れられているのだと理解した。ランスロットの腕から顔を上げ、皆を見やる。
そして今までの態度を恥じた。
「私は王族に対する礼儀を知らない。突然現れて不躾な態度で申し訳ないが、しばらくここに居させてくれ」
頭を深く下げる。
ランスロットに付いてここまで来てしまった。
ひとまず、ここに居る人達は自分を処刑しないことはわかった。しばらくの間、先のことが決まるまで匿ってもらう他ない。
食べ物も部屋も与えられて、これ以上有難い事はない。レイは感謝を込めて言った。
その様子に、ランスロットは複雑な表情をしていた。
「ランスロット、お前まだ何も話していないのか?」
「昨日はお疲れでしたし、今日朝食を食べてからと思いまして」
「それは昨日聞いた。そうではない、それ以前に、ここに来る前から一緒にいたのにお前は何も話していないのか?何をしていた。そもそも、ここに連れてきたのに何故レイ嬢はこんなにも無知なのだ」
「父上、ここで話すには些か良い話ではありません」
「ここで話せないようなことなのか?」
「はい。私自身、怒りを抑えるのに必死でしたから」
二人のやり取りが分からないが、最後のランスロットの怒りという言葉にビクリと肩が跳ねた。
それを肌で感じたランスロットは慌てて謝罪する。
「レイ様、貴女に怒っているわけではありません。分からないことばかり言って申し訳ありません。食事を終えたら、きちんと話します。今は少しでも食べて体を回復してください。父上達も、レイ様が落ち着いてからもう一度逢瀬の機会を設けますから、今日はこのくらいでお願いします。私からも報告がありますので夕刻にお時間をください」
「…相分かった」
国王は渋々と納得した。
一瞬気まずくなったが、それでも場は和やかに食事は再開する。王族という高貴な身分にも関わらず、みんやランスロットに似て雰囲気が優しいと、初対面のレイにも充分伝わる。
目の前のスープでお腹いっぱいになり、席を外そうとしたが、これが前菜といわれ、次の料理が出てきてレイは目を丸くした。
もう、これ以上お腹に入らない。
「ランス…目では珍しくて食べたいけれど、これ以上は無理だ」
「前菜もほとんど食べてませんが…無理を言っても体に悪いですね。せめて、フルーツジュースはお飲みください」
「これも色鮮やかな液体だね。果実の汁?」
「果物と野菜も少し入ってます。身体に良いですし甘酸っぱくて美味しいですよ」
コクりと一口飲むと、様々な果実の味が口に広がる。先程のジャムといい、ジュースといい、果実は様々な味わい方があるのだと知った。
今日は食べられないが、お肉をスライスしたものや、魚を焼いた物も美味しそうだ。
異国でも美味しいものが美味しいと感じる共通の味覚で良かった、とレイは思った。
人生で一番食べてしまった朝ごはんは、苦しくも嬉しい初体験だった。
「ではレイ様、部屋に戻りますか」
「ありがとう」
「父上、母上、兄上、失礼します」
ランスロットの食事は途中なのに、レイに合わせて席を立つ。
これから何かを話すと言っていた。
皆が聞きたいのはその事なのだろう。色々探られる前にと、空気を読んだのだと思う。
国王は去り際の二人に声をかけた。
「レイ嬢。明日の朝もまた、一緒に食事をしよう。そして、これだけは念頭においてほしい。私達は貴女の味方だ」
鋭くも優しい瞳が真っ直ぐにレイを見つめる。
レイは神々しい圧に押されて、唾を飲み込む。それでも友好的な意思は伝わった。
「ありがとう」
レイは再び皆に向かって、深く頭を下げたのだった。




