10.
龍の翼は大きく、広い空を風を切って飛ぶ。
空気の層が全身を纏い、バランスを崩しそうになるが、後ろに包み込むように座るランスロットのお陰でレイの身体は軽々と支えられていた。
自由。
この真っ青な空が、チカチカと眩しい。
真下には緑の大地がはるか遠くまで続く。
見るもの全てが初めてで、レイは言葉を忘れていた。
先程の最愛の弟との別れや、この国の足枷など忘れて、レイはただ感動に打ちひしがれていた。
どれほど、空を飛んでいただろうか。
ようやく肌の感触、背中の温もり、龍の動きを実感したレイは、ゆっくりと冷静さを取り戻した。
あぁ。
外に出てしまった。
恐怖。不安。希望。罪悪感。
様々な感情が、レイを襲った。
すると、握った拳の上から大きな掌が包んだ。
「大丈夫です。レイ様。今はただ私に身を任せていればいい」
後ろから抱きしめられる。
上空を羽ばたく白龍は、そこから更に何千キロも遠くへ飛び、やがて雲の彼方にたどり着いた。
霧のような靄をかき分け、白い雲の中に、建物が見えた。
次第に近付くそれは、天界に浮かぶ大都市だった。
本の中で見た、伝説の国。
天界に築かれた都市文明、竜族の国。アルスラン王国。
「ここが私の国です」
大きな宮殿の石畳に、ゆっくりと白龍は着地した。大きな翼が役目を終えたとばかりに風圧を纏いながら地面に下ろされる。
長い首を下げ、白龍のエメラルドの瞳と目が合うと薄く目を細める。
降りろと言っているようだ。
「レイ様。こちらに」
手を取られるが、足が震えて上手く身体が動かない。見かねたランスロットはレイを軽々と抱き上げた。
「まだ混乱されてますね、レイ様。まずは、ゆっくりできる場所に行きましょう」
「ランス…」
「殿下!!」
大きな声が響いた。
宮殿の柱の影から現れた一人の男。ランスロットと同じ風貌に竜族だと分かる。赤みのある髪色でガタイはランスロットと引けを取らない。
男は顔を輝かせて近付く。
「殿下の白龍がこちらに向かっていると聞き、まさかと思いました!よくぞご無事で!」
「今戻った、心配をかけたなロキ」
「いえ…え、あの、その方は」
腕に抱えられたレイを見て、男の顔が変わる。
レイは恐怖した。
見つかってしまった。
他の者に見つかった時点で、処刑される。
殺される。
長年培って植え付けられた常識はレイを激しく混乱させた。
身体を硬らせ、レイは襲いかかる恐怖に耐えきれなくて、咄嗟に逃げ出そうとした。
だが、ランスロットの大きな体に抱き込まれた状態では抵抗は全く意味をなさず、レイはバッチリと男と目があった。
男は、目を大きく見開く。
「殿下…とうとう見つけたのですね…やっと」
「あぁ、国王に謁見を」
「はい!直ちに!」
男は人間の身体能力より遥かに速く大地を駆けて行った。
レイは震えが止まらない。
「国王に、差し出すのか、私を」
終わりだ。
晒される。
殺される。
ランスロットがここに連れてきた理由を考えればそれしか思いつかない。
怖い。
ガタガタと震えが止まらない。
息が荒くなり、レイの瞳に涙が滲む。白い肌は更に血の気を失った。
「レイ様、私を見てください」
「っは」
ランスロットは正面から顔を近づける。
エメラルドグリーンの瞳がジッとレイを見つめた。
「私は貴女を傷つけない。私を信じて」
予想と反してランスロットの目は真剣で優しい。呼吸をゆっくりと整える。
奥歯を噛み締めて震えを静止する。
冷たくなった指先に、やっと体温が戻った気がした。
その間にも、ランスロットは歩みを進みていたらしい。
神殿の広間から長い廊下に差し掛かる。
幾人の竜族とすれ違うが、皆頭を90度に曲げ敬礼をしていた。
混乱していて気付くのが遅かったが、先程の男はランスロットを何と呼んでいた?
「ランス…さっき、殿下って」
「ふふ、ようやく、会話ができるようになりましたか?」
「返答になってない…ってか、いい加減降ろしてくれ」
「しまった。落ち着きすぎましたかね。ですがもう少しお待ち下さい。すぐに王室ですから」
大きな扉が、家来によって開かれる。
輝くほど眩しい光の中に、神々しいオーラを放つ男が一人。
紹介されなくても、それが国王だと分かった。
貫禄があるが、まだ若い。竜族の特徴をもった眼と尖った耳。髪はさっきの白龍と同じような白髪で、ランスロットより青みがかったターコイズブルーの瞳をしている。隠しきれない品格に萎縮して、自分も床に伏そうとするが、いかんせんランスロットに抱えられたままでは何もできなかった。
「ただ今戻りました」
「遅かったな」
威厳とは裏腹に、国王は切れ長の瞳を柔らかく細めた。ふわりと椅子から降り、レイの前まで歩くと、目線を同じに腰を折った。
「初めまして、私はアルスラン帝国第25代国王、カルオス・エル・デュセルだ。よく来てくれた。歓迎する、黒龍の神子よ」
レイは何を言われたか分からなかった。
黒龍の神子とは一体なんだ。混乱が先立って言葉を発することを忘れてしまい、国王の前であり得ない醜態を晒す。
しかし、それを気にすることないランスロットは、王を嗜めた。
「レイ様はまだ状況が呑み込めておりません。今日はお休みいただき、後ほどゆっくり説明します」
「そうか」
「今日は報告だけにいたします」
「まぁいい。お前も戦明けだ、ゆっくり休め」
「はい」
そう言った国王は、父に似た慈しみの目で微笑んでいた。




