常連客の猫又
大通りの曲がり道の更に曲がり道。おおよそ人が見つけられぬ場所にその暖簾を掲げた居酒屋がそこにはあった。障子を通して橙色の光が漏れている。
「やぁやぁ、店主さんや。今日も閑古鳥が鳴いてるねぇ」
ガラ。ガラ。短い音が横開きの戸が動く。人が出すには短すぎる音。
「うるさいぞ。場所が悪りぃんだ。場所が」
「じゃあなんでここにしたんだい。まぁあたしのようなものには好都合だがねぇ」
伸びやかな声、実際に腕を伸ばして話す相手は一匹の三毛猫。二つに分かれた尻尾がゆらゆらと動く。
「俺にはここしか借りれなかったんだよ」
「人間は金で成り立っているからねぇ」
「お前にもそれを知っているのか。タダ飯を食らっといてから」
「ありゃあ店主さんの飯の方が美味しそうだったもんの仕方がない。だからこうやってちゃーんとお金を払いにきているじゃないか」
「だったら早く座って頼んでくれ。それと人型になれよ。あの時のように食い散らかせたら片付けが面倒だ」
喋る猫に気に留めず店主は店の奥へ入っていく。もう食べるものなど決まっているのだから。
「はぁ、人に化けるのは大変なんだがなぁ」
尾が分かれた三毛猫は縮こまってその柔らかい丸になる。そのままくるりと体を回せばそこにはすらりとした男性へと姿を変えた。白い髪を持つその青年は三毛猫らしく色がところどころ変わっている。だが面倒だったのか耳と尻尾は猫のままだ。
「おまえはちゃんと化ける気がないのか」
「どうせ人など来ないだろうに」
「その口を塞いでやろうか。あぁ違うな、こいつを出さないでやろうか」
「あたしの幸せの一品を人質にしないでおくれ。はぁこれでいいかい?」
男性は今度こそ耳と分かれた尾をしまう。そうしてやっと椅子に座った。おしぼりを渡された彼は念入りに手や腕を拭いていた。
「おまえは裸足で歩いているからな、大変なこった」
「うるさいなぁ。でも店主さんの飯を食べるんなら綺麗な方がいいだろうさ、土の混じった飯は嫌だからね」
「そりゃそうだ」
店主は頷く。折角拵えた料理を土混じりの手で食われたら料理人にすれば台無しにされるというもんだ。そんなものは一度でいい。
「で、なにを頼むんだ」
「もう分かりきっているだろうに。鯖の味噌煮だよ、酒もいつもの」
「はいはい」
店主はもう皿に持っていた鯖の味噌煮と日本酒を猫の青年の前に置く。毎度このやり取りをしている。
「しっかし店を始めて初めての客が猫又とはな」
おぼつかない箸遣いをしていた猫の青年は今や魚の骨をしっかりと取れるまで成長している。
店の前で行き倒れの猫に鯖の味噌煮を取られてからというものの人間より妖怪の方がこの店にくるようになるとは誰が想像できたものか。
「はぁ、これじゃ妖怪の居酒屋になっちゃうな」
「いいじゃないか妖怪居酒屋。あたし達はあんたの作る料理と酒が好きなのさ」
「おまえさんに言われてもなぁ」
店主は諦めたように呟く。苦労して持った店が妖怪の居酒屋となってしまった。されど悪くはないと思い始めている自分にも呆れたものだ。