9.エキセントリック・バタフライ
場外乱闘からの本題
ローシェ・ディディエはキャルム・ドニエの又従姉弟ではあるが平民だ。
『戸籍上は母方の親戚ということになりますが、血の繋がりはありません。イセルマの豪商ディディエ家とのご縁に恵まれこそすれど、私自身はただの養子でついでに言うなら孤児院の出です―――――もっとも、キャルム・ドニエからすれば、ただの口が減らない女といった程度の存在ですがね』
自虐も自嘲もまったく含まないただの事実を述べる口調で、いっそ事務的な報告のように他でもない本人が口にしていたその言葉に嘘はないのだろう。場所は既に庭園ではなく落ち着いた内装の部屋の中、来客用のパウダールームだと案内された休憩室。
勘違いばかりが蔓延っていた居心地の悪いガーデンパーティーでたった一人立ち尽くしていたメロディの前に現れた彼女、ローシェ・ディディエはその名乗りだけで港湾都市イセルマにある大商家ことディディエ商会の縁者だと詳らかにしたついでに「ドニエ侯子に依頼された品をお届けに参上しました」という名目で颯爽とメロディを連れ出してくれた。持って来た髪飾りを使用したヘアメイクを行うためだと公言しながらごくごく自然にパウダールームを手配した堂々たる振る舞いもさることながら、会場の話題の中心を『メロディ・ライン』から『ディディエ商会発案の新素材を使った髪飾り』にさりげなくすり替えて退場していくあたりが太々しいというか如才ない。
養子だ孤児だと告白されても到底信じられない程の自信に裏打ちされた所作。鮮やかで淀みのない弁舌に、礼儀作法に厳しい貴族と対等に渡り合うための術。身に付けるには並々ならぬ努力と苦労があっただろう。
そんなローシェに、メロディは、確かに窮地を救われたのだ。わけもわからないままに。
『あなたをパーティーから連れ出したのは、ひとえに私のためでした。キャルム・ドニエに与えた助言が巡り巡ってあのような状況を生み出したことに対する罪滅ぼしで、もっと言うなら自己満足です。この度はご迷惑をおかけしましてまことに申し訳ございません』
そんな謝罪を受けたところで、メロディにはよく分からない。よく分からないことを受け入れるのも許すというのもおかしな話で、どうすればいいのかと面倒な気持ちが鎌首を擡げた彼女に対してローシェはすかさずこう言った。
『などと謝罪を受けたところで正直意味がわからないでしょうしメロディ女史のお心には一切響かないと思いますので、僭越ながらご提案をひとつ―――――あなたを振り回すキャルム・ドニエが逆に振り回されているところをご覧になりたくはないですか? 事態は解決しないかもしれませんがとりあえず、たぶん、スッキリしますよ』
それは見たいかも、とメロディは思ったしぶっちゃけ普通に口に出ていた。恩人とも呼べるローシェ・ディディエとの心の距離があっという間に縮まった記念すべき瞬間である。はっきりと通じ合う何かがあったし今日この場所で出会った誰よりも好感が持てる人だと思った。限られた時間でも相手の懐に潜り込むに長けた会話の運び、まさに一流の商人である―――――若干倫理観に難ありというか我を貫く者の気配はするけれども。
そんな所感を抱きながらも、メロディはローシェの提案を呑んで彼女に促されるままに大きなソファの後ろに隠れた。それからさして間を置かず、彼女が語った予想通りに血相を変えた美少年が室内へと転がり込んで来て―――――今へと至る。至ってしまった。
「というわけです。アンダスタン?」
「いやアンダスタン? じゃないだろうがよ!!!!!」
慇懃無礼を通り越して最早キャルム・ドニエを煽り散らかす職人と化したローシェ・ディディエが晴れやかな声で嫌味に笑う。表情と声質を巧みに操る器用過ぎる使い分けにメロディは小さく拍手していたがキレ散らかしているキャルム坊ちゃんは目を剥いて吠えるだけだった。
「おま、お前本当になんってことしてくれてんの!? メロディを助けてくれたことには手放しでありがとうなんだけどそれにしたって一体全体誰の味方なんだよディディエ! よりによって本人が居る場所でとんでもないこと言わせるんじゃない流石に酷いだろこれはないありえない最低、冷血、人でなし! こんなかたちでメロディに聞かせることじゃなかったのに! 恋愛的な感情云々に関しては他人がおいそれと口に出しちゃ駄目だろ! 本人が気付くか自分が言うかしないとルール違反なやつだろ!!! デリケートな話題を土足で踏み荒らして楽しいか!?」
「まったく楽しくはないですね。ですが最低で結構。そのようなルールは知りません―――――私が言うべきことではない、口を出すべきことではない、そんなことは重々承知ですがね、だからってこんな馬鹿げた催しに素知らぬ顔して参加出来るメンタルの持ち合わせがあってたまるか。第三者経由で暴露されるのが嫌ならさっさと自分で言いなさい。というかですね、キャルム・ドニエ。他人が言うべきことじゃない、そんなものはこの世の中に吐いて捨てる程ありますが………それはそれとして言っちゃう輩はいるんですよ。私のように」
「あああああああああああ開き直られたァッ!!!」
ちょっと苦手に思っていた雇用主の孫ことキャルム坊ちゃんが分かり易い敗北を喫している。吠え立てて、噛み付いて、全身全霊で文句を吐きながら当たり前のように負けていた。口論というものに向いていないのか相性が致命的に悪いのか、或いは単にローシェ・ディディエのメンタルが屈強過ぎるのか―――――後者だろうなあ、とメロディは思った。こうして他人事目線で見ていれば本当にそれがよく分かる。
又従姉弟だという彼らの間に特別な感情など何もない。身内の親愛、情の類、そういったものとは無関係な次元で子供のように思うまま言いたいことを言い合っている。羨ましいとは思わなかった。微塵も、思わなかったけれど―――――案外言ってもいいのかな、との心境の変化はあったので。
「キャルム坊ちゃん。わたくしの何処に興味を引く要素とやらがあったのか、教えていただけますでしょうか」
「………えっ」
雇われメイドは意を決して、直に聞いてみることにした。小心者の自覚はあるが、腹を括ればローシェのように開き直れることもある。いつまでも胃を苛むだけの状況に甘んじるのは嫌だ。訪れた好機は掴むに限る。
「わたくしが坊ちゃんにお会いしたのは奥様に雇っていただいた後です。ですが坊ちゃんはそれよりも前にわたくしをご存じだったのでしょうか。人伝に聞いて気になったから、と先程はおっしゃっていましたが、一介の平民でしかない女の何処にあなたは興味を引かれたのでしょう? 教えてください。キャルム坊ちゃん」
「え、それは。その、あの………ええと………それって言わないとダメ………?」
なんだかやたらとちょっかいをかけてくるなこのお孫様、という認識で意図的に止めていたけれど、そろそろ真剣に向き合わなければならないらしいとメロディ・ラインは痛切に悟った。思うところはまあいろいろと、本当にいろいろとあるのだけれど、この胸の内をどう処理するかは相手の話を聞いてからでもきっと遅くはないだろう。
おずおずと、言いたく無さそうに、出来ることなら見逃して欲しいと言わんばかりに情けない顔をした捨てられた子犬みたいな表情をつくる絶世の美少年を前にして、メロディはにっこりと微笑んだ。営業用で、接客用で、メイドとしては満点だろうがキャルムが望んだものとは遠い使用人としての距離間で。
「このままですとわたくしの胃に穴が開くのは時間の問題で療養のために今の職を辞さねばならなくなりそうなんですが、坊ちゃんには関係のないことでしたねすみませんでした今の発言は忘れてくださいところでわたくし吐きそうなので申し訳ありませんが早退しても?」
「待って待って待って待ってメロディごめん僕が悪かった全部僕が悪かったから! 座って! 吐きそうなら無理をしないで! 話すから、メロディが知りたがってること全部洗い浚い白状するからお願い見捨てないで辞めないでええええええ!!!」
五月蠅いくらいの声量で、美少年がこの世の終わりを嘆くが如くに喚いている。顔が良過ぎて迂闊に直視したらうっかり恋に落ちそうだったから普段はさりげなく視線を外すことで敢えて見ないようにしていたが、向かい合うべきだと心を決めた今はそのような自制も必要ない。取り乱していようが喚いていようが元気一杯で五月蠅かろうが目の保養になる顔面偏差値に変わりはないってすごいなあ、くらいの感覚で見ていられる。
覚悟を決めた人間はこうも感じ方が変わるのか、と新鮮な発見に驚きつつ、キャルムの顔をまじまじと眺めてメロディは内心で首を傾げた。
うるさ、と冷め切った真顔で無情に切り捨てる又従姉弟の存在を完全に意識の外に置き、たかが雇われメイドの体調を心の底から案じているらしい彼の必死さは本物である。それが不思議でしょうがない。
「本当に、どうして坊ちゃんはそんなにもわたくしを気に掛けるんです?」
「ちゃんと言うからとりあえず座ろう。メロディ。座って話をしよう―――――ぶっちゃけすごくどうしようもなくて、ちょっと長いかもだから」
まるで恋人を労わるように丁重なエスコートで座り心地のいいソファに腰を落ち着けながら、不可解なものを処理しきれないメロディの眉間に皺が寄る。分からないことは分からない。だから人は言葉を交わしてどうにか相互理解を図る。そんな当たり前のことが、キャルムとメロディの間には一度として成立しなかった。
それは本人たちの気質と立場と行動が運悪く嚙み合わなかったせいだが、この日ふたりは最初で最後の機会に恵まれたのである。
「ああもう、ちくしょう、かっこわるい。これで満足か。聞いてただろ、そういうわけで―――――出て行け、ディディエ」
「私だってそうしたいのは山々ですがね、無理ですよ。流石にそれは出来ません。縁戚でもない未婚の男女が部屋にふたりきりというのはまずい、私だってこの流れで此処に居座りたくはないですが………そういうわけにも………しかし気まずい………」
「あ、あの、すみません。ローシェさんには居ていただけるとこちらとしても助かります」
「かしこまりました、メロディ女史―――――ああ、今日が初対面の私よりも信用度が低いんですね、キャルム・ドニエ」
「うるっさいぞディディエ! 頼むから黙ってろ! 真面目な話しようとしてんだからせめて部屋の隅っこで耳塞ぐくらいの気ィ遣………ってるなあ既に!!!」
侯爵家のご令息なのに、ノリツッコミが冴えていた。早々と二人から距離を取って部屋の隅でしっかりと耳を塞いでいるローシェに何とも言えない視線を向けて、キャルムは憂いの滲んだ美貌で深々と長い息を吐く。
「こんなことなら本当に、最初に言っておけば良かった………先に謝っておくけどごめん、メロディ。きみとってはたぶん、かなり、嫌だろうなって思う話をする―――――ねえ、『ヴニーズの日暮れ』ってタイトルの絵を、きみは今でも覚えてる?」
※『又従姉弟』表記は誤字じゃね? というご報告には及びません。ご留意ください。