8.別室にて
とても楽しく書きました。
「なんでお前がここに居るディディエ―――――ッ!!!」
「開口一番言うことがそれとは軽蔑しますよキャルム・ドニエ」
「うるっさい軽蔑でもなんでも好きにしろそんなことよりメロディは!?」
「メロディ女史には落ち着く時間が必要だと判断しましたので、勝手ながらそのように手配させていただきました。もちろん、こんな居心地の悪い場所で彼女を一人にはしていませんのでそこのところはご安心ください」
「物言いが一切安心出来ない! 又従姉弟とはいえ他所の家だぞいくらなんでも自由が過ぎるだろ! しかもよく見たら仕事着じゃんか、その装いでこの場に来ることをよくあの従叔母様が許したな………ていうか、ディディエ。さりげなくうちの母様自慢の別荘を居心地の悪い場所とか言うな」
来客用のパウダールームとして用意されていた部屋のひとつで、キャルム・ドニエとローシェ・ディディエは剣呑に睨み合っていた。キャルムとしてはメロディの危機を知らされて急ぎ駆け付けたというのに、指定された場所に赴いてみれば不遜な面持ちの不機嫌そうな知人もとい親戚筋の少女が怒気も露わに待ち構えていたのだから調子が狂うのもいいところである。
まあ、もっともそんなこと、怒りを堪えているのだと分かる淡々とした態度のディディエには知ったことではなかったけれど。
「事実でしょう。少なくともメロディ女史にとっては居心地最悪の空間でしたよ」
「見てきたように言うなよ、ディディエ」
「見てきたからこその発言ですよ。大馬鹿者の、キャルム・ドニエ」
よく聞け、そして考えろ。
視線ひとつでそれを促すローシェ・ディディエには容赦がない。吐き出す言葉も同様に、淡々と冷え切ったものだった。
「貴族の溜まり場に何の説明もなく連れ出されたと思ったら、会場中の人間が主催者の息子の“婚約者”だと寄って集って決め付けてくる。悪意はほんの一握りで大多数は好意的だったとしてもそんなことに意味はありません。違うのに、誤解も甚だしいのに、誰もがそれを事実と疑わず生温かい好意と善意でさも『自分たちは分かって居ますよ』と味方面をするのです。美しい侯子に見初められた素朴で健気な平民の娘、市場に溢れながら現実では稀有なラブストーリーを期待して無責任な声援を寄越すのです。自分のあずかり知らないところで未来が勝手に定まっている、自分の意思など関係なければ心の置き場も逃げ場もない。その気になれば平民の首など苦も無く刎ね飛ばせる特権階級たちから身に覚えのない配役を押し付けられて持ち上げられる、そんな環境に一人残されたメロディ女史の心痛を思えば、ここは居心地が悪いことこの上ない空間であると断言せざるを得ないでしょう―――――これはただの私見ですが、私の目から見たあの光景は、メロディ女史を取り巻くあの状況は、気持ちの悪いものでした」
だからあの場から連れ出せて良かった、との自己満足を彼女は語る。持ち込んだ髪飾りを使用したヘアセットを理由にメロディ・ラインをパーティー会場から連れ出したのは他でもないディディエの機転だったが、もしもの場合を想定して彼女を連れ出すそのためだけに小道具まで持参していたことをキャルム・ドニエは知る由もない。
自分が連れて来たパートナーが遭遇した騒ぎについての概要は使用人経由で知らされてはいても顛末までは聞いていなかったから、ディディエからすべてを聞かされた美少年の驚きは大変素直に顔に出た。慇懃無礼の化身じみた商人の装いで武装した少女はその間抜け面を睨み据えながら呆れたように息を吐く。
そんな彼女の唇が次に紡ぎ出したのは、回りくどくて長ったらしい迂遠極まる糾弾だった。
「言い訳をひとつ挟むなら、こんなものは予想の埒外でしたよ。発案者は確かに私でしたが、なにをどうしたらこんな気持ち悪いことになるのか未だに分かりかねます。ええ、好意を示しても伝わらないどころかほとんどまったく手応えがない、それなりに話せるようにはなっても何一つとして進展しない。彼女の認識の根底においてあくまで“雇用主の孫”でしかないあなたをせめて近場の異性感覚まで変革せねば話にならないならその好機を自ら作るべくご家族に協力を仰いでは? と確かに提案しましたとも―――――ですが私は『外堀を爆速で埋め立てろ』なんて言っていないでしょう、キャルム・ドニエ。何ですかコレは。なんですか、今日のこのガーデンパーティーは。身内だけのちょっとしたパーティー、とは聞いていましたがこの規模はちょっとではありません。あなた一体自分の母親に何と言って協力を取り付けたので? 適当に理由を付けるにしても懐の広い侯爵家が使用人たちのために催すちょっとした慰労会、くらいのものを想像していたんですがね私は。というかそういう体裁でいかないとまず参加してもらえないから細心の注意を払いつつしっかり計画を練るべきだ、と念を押したのにこれですか。ふふ、ふふふ。笑えない」
気迫に押されて慄くキャルムにディディエは冷淡な視線を突き刺し、ついでに鋭利な毒を吐く。口籠って何も言えない美少年を鼻で笑って、しかし彼女の真剣な表情には嘲弄などなければ慈悲もない。あるのは呆れと憤りと、ほんの少しの罪悪感だ。
「私が言えた義理ではないのは百も承知していますがね、あの場からなんとか連れ出した直後の彼女の顔色は酷いものでした。随分と思い詰めていたのでしょう、血の気が引いて真っ青な顔で表情の類も抜け落ちて、立ち尽くすという表現がぴったりな酷い有様でした。なのに、誰も彼女を見ない。肝心のあなたは側に居ない。味方面をした味方でない者が周りに溢れて助けはこない………控えめに申し上げて最悪でしょうよ。彼女には休息が必要ですし傷付いた女性の心のケアは手厚く丁寧に行うべきです。あなたは説明責任を果たし真摯に謝罪をするが良いでしょう、それでもパートナーを放り出す最低野郎の謗りは免れないでしょうが自業自得ですざまあみなさい」
「う………そう言われると、それは、否定出来ないけど………! 先走ったのも招待状で匂わせたのも母様だし僕はこんなこと望んでなかったっていうか正直こっちもつい今さっき母親のお節介で外堀とか諸々埋まりかけてるって知らされたからどうしようもなかったっていうか………!!!」
「だから何ですか。そんなものメロディ女史には関係ないでしょう。婚約者周知が仮にお母上の暴走だとしても止められなかったのはあなた自身ですし何なら勘違いの尻馬に乗っていい感じに事を運ぼうとかふんわり安易に流されたのでは? あなたそういうところありますよ。自分に都合の良いものに弱い」
「そんッ………な、ことは、ないったらないけど!?!? 断じて! あるわけないじゃん何言ってんだ見縊るなよディディエッ!!!」
「私の目を真っ直ぐ見て言えないくせに吠える元気はありますか。その調子ならもう少し言わせていただいても大丈夫ですかね。そういうわけで、煽りましょう。極端な話、侯爵夫人も、あなた自身も、パーティー会場に居た人々も結局のところで貴族なのです。特にあなたのお母上、そして来客のご婦人方は美しい貴公子に見初められた平凡な町娘が優しく周囲に受け入れられて円満に二人が結ばれることが最善だと信じ込んでいる。美貌の伴侶、玉の輿、平民が貴族家と縁続きになれるのだから喜んでくれるに違いない、名誉に思うに違いない、幸せになれるに違いないと決め付けてハッピーエンドという耳心地が好いだけの型にやたらと嵌めたがる。メロディ・ラインという彼女自身は身分差というものを正しく理解しているからこそ貴族に逆らうことなどしないし賢明であるからこそ出来ない―――――頷くことしか許されていないと知っている女性を好意的な態度で有無を言わさず囲い込み身内を動員して外堀を埋め逃げ道を塞ぎ本人の意思は悉く無視して強制的に手中におさめる、という脚本演出登場人物その他すべてが下手な芝居じみた催しが今日のパーティーの主旨なのだ、と自分のあずかり知らないところで勝手に発生してしまっていた身内のお花畑ド真ん中企画が最悪のかたちでメロディ女史に露見した気分は如何ですか? キャルム・ドニエ」
「あああああああああチクショウ絶好調だなこおおぉぉおおの口が減らない女ァ―――――ッ!!!」
絶世の美少年にしか見えないキャルムが奇声を発している様は、幸いにもディディエの目にしか触れない。部屋中に響き渡ったとしてもパーティー会場の庭園までは届かないから問題ないだろう。なお室外で待機している有能な侍従長は坊ちゃんの奇声に慣れているので動じない。だから、邪魔は入らない。
ここぞとばかりに表情を消して感情の一切を封印し、口の端だけを持ち上げた器用な笑顔でディディエは言う。
「うるさ」
「うるさいのはお前だディディエェェェ! 僕が悪いのは分かってる、分かってるんだよそんなこと! だから大人しく聞いてはいたけどあんまりな言われようで腹立ってきた! そうだよ母様に誤解させたのは僕だし気付かなかったのも能天気だったのも考えが浅かったのも自分本位だったのも全部僕だよ分かってんだよ!!! でもこんなことになるだなんて思ってなかったのは本当だし何よりメロディに嫌な思いさせたくて呼んだわけじゃないのもホントなんだよああもうヤダヤダ彼女と仲良くなりたいだけなのになんだってこんな上手くいかないんだよ―――――!!!!!」
「駄々捏ねたって可愛くないんですよもう嫌だって喚いたところで相手は絆されてくれないんですよ、泣いて拗ねてる暇があるなら我が身を省みて素直になりなさい具体的に言うとあなた本気で往生際が悪いんですよ。仲良くなりたいと思っている女性の精神に自己都合でずるずると負担を強いるな。カッコ悪いったらないですね――――――あなたがはっきりしないから、彼女も困ってるんでしょうに」
ぴたり、とキャルムは停止して、探るような視線を相手に向けた。その機を逃さずローシェ・ディディエは確信とともに言い放つ。暴くのではなく、詰るでもない、けれども力強い口調で。
「もう何度目かも分かりませんが、関わった手前言ってやります。あなたが一言、一歩踏み出せばあちらもリアクションが取れるんですよ。あなたの言う『仲良くなりたい』の種類が彼女にはいまいち分からないから対処に苦慮しているのです。付け加えるならあまり親しくもない間柄の異性から切っ掛けも理由も意味も不明なまま段階ガン無視で距離詰められたら大抵のお嬢さんは普通に引きます。そこに身分の上下だの雇用関係云々等が関わってきたらもう最悪、無下に扱うのは論外だとしても下手な真似など出来やしない。しかし決定的なことを言われてもいないのに自分から切り出すのは流石にまずい。だからこそ彼女はお困りなのです―――――『好きです』とたった一言添えれば済むだけの話をいつまでも! ぐだぐだぐだぐだ予防線張ってないで玉砕するならさっさとしてきてもらえませんかねえかったるいんで!!!」
「お前それ結局要するに愚痴聞かされ続ける役回りが面倒になってきただけだろディディエェェェェェェッ!!! ていうか久々に声張ったと思ったら『かったるいから玉砕して来い』って何!? 言う!? 又従姉弟にそんなこと!?」
「言いました。我慢の限界でしたので。ちょっとだけスッキリした気分です。スッキリついでにぽろっと言いますがあなたの場合は初手の時点でかなり気持ちが悪いのでいくら格好付けたところで無駄なんですよ、キャルム・ドニエ。いっそ初めて顔を合わせたときに伝えておけば良かったのでは? 今更でしかありませんがね」
「うーるーさーいー! 今更だってのは分かってるけどわざわざ気持ち悪いって再確認させるんじゃない! でも分かってたって言えないことって世の中には割とあるだろうがよ!!! 流石の僕も冷静に考えればアレはなかったって反省したけどじゃあだからってどうすればいいんだよ『顔も為人も何も知らなかったけど人伝に聞いて気になったからお婆様に頼んで雇ってもらってしばらくこっそり観察してたくらいメロディに興味があるんだよ』なんて気ッ色悪いこと本人に言えるか!!!!!」
「でしょうね。というわけで―――――現場からは以上です。メロディ女史」
「………は?」
ディディエの態度に釣られるかたちでどんどん大きくなっていたキャルムの声が引っ繰り返る。口が開きっ放しになっていると美少年だろうが間抜け面、という発見にはさして構わずに、ディディエは素知らぬ顔をしてふいっと視線を彼方へ移した。具体的には自身の後方、部屋の奥側を窺うように。
別荘とはいえども侯爵家、来客用にと割り振られているパウダールームの中は広い。実は入室直後のキャルムを迎え撃つような位置取りで立ち塞がっていたディディエにより、二人は今までの遣り取りをすべてその場から動くことなく立ったままで行っていた。当然、部屋の奥側になどキャルムは視線を向けていない。
まさか、と過った嫌な予感が、彼の身体を勝手に動かす。ギギ、と音が鳴りそうな程に不自然極まるぎこちない動作で美少年は又従姉弟の視線を追った。
パウダールームらしく鏡台があって、休憩用のソファがあって、レースのカーテンに遮られた窓は閉まっているから風はない。見える範囲に人影は――――――ない、と彼は思いたかったが現実はまあ無情だった。
余裕でゆったり三人は座れる立派なソファの後ろから、おずおずとメロディが顔を出す。ずっとそこに居たらしい彼女は出て行きたくはなかったけれど呼ばれてしまったので諦めた、と言わんばかりの面持ちで、困惑に彩られた眼差しを申し訳なさげに向けていた。
「な、な、なんっ………なんで!? メロディ!?」
「おや、どうかされましたか? メロディ女史は随分とお疲れのご様子だったので、こちらで休憩していたのです。というか、キャルム・ドニエだって彼女を探してこの部屋を訪れたわけでしょう? 何をそんなに驚くことが?」
「僕がメロディは何処だって聞いたときここには居ません会わせませんみたいな応対したヤツが何言ってんの!?」
「おや、なんとまあ。おかしなことを………メロディ女史には落ち着く時間が必要だと判断したので休める場を手配させていただきましたが、それがこちらの部屋でないとは言った覚えがありませんねえ。彼女を一人にはしていない、という言葉にも嘘はありません―――――私が付いていましたのでね。ご覧の通りですよ、キャルム・ドニエ?」
「おま、おまっ………ディィィディエエエエエエェェェェェエッッ!!!!!」
こんなことがあって堪るか、と思ったところでもう遅い。羞恥と憤怒が綯い交ぜになった今にも死にそうな断末魔がパウダールームを揺るがして、メロディの肩は恐怖に震えたがディディエは何処吹く風だった。
この日、キャルム・ドニエの怨嗟に塗れた魂の絶叫がドニエ侯爵家自慢の別荘に常駐している使用人たちによってまことしやかに「地底からの呼び声」として語り継がれることになることを、彼女たちは、まだ知らない。
お気付きでしょうが某キャラクターはもう完全に作者の趣味です(異論は認めるが受け付けない)