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7.庭園にて

(期待して読むとがっかりします)

「それで? ミス・メロディ・ライン。ただの平民のお嬢さんが、何故ドニエ家のご子息に伴われてこの場に参加してらっしゃるの? かの御方がとうとう婚約者をお決めになった、とまことしやかに囁かれている噂については私も存じていますけれども、まさか………あなたがそうだとでも?」


違います、と即答したくとも出来ない状況がなんとも歯痒い。繕った笑みが綻ばぬよう細心の注意を払いつつ、心底困って眉尻を下げながらこれどうしよう、と彼女は思う。

パートナーであるキャルム坊ちゃんが母君に呼ばれてしまったことで一人になって僅か数分、なるべくお庭の端に寄ろうとしていたメロディは笑顔のご婦人に詰められていた。口上と表情はにこやかだったが放出している圧が強い。詰られてはいないが詰められている。そうと分かる程度には強めの口調を向けられていた。

出会った瞬間敵対の意思も露わなそのご婦人、ドリアーヌ・デラージュと名乗った彼女は本人の言を信用するなら伯爵夫人であるらしい。名乗れ、と命じられたので畏まって名を告げはしたが、平民でしかないメロディにとっては雲の上の存在だった。ライン家なる名に覚えがない、所領は何処か問われたところで平民なのでございませんと答える他に道はない。

だって相手は伯爵夫人、地上の民とは一線を画す尊い身分のお貴族様である。この場に集った人々の中では自分こそが異質極まる珍客なのだ、と理解している一介の平民はとにかく頭を低く下げつつ極力発言を慎むしかない。

淑女としては至らなくともメイドとしては満点の営業スマイルを浮かべつつ、要約すれば『たかが平民のメイド風情がキャルム・ドニエと深い仲なのか』と問い質してくる相手を前に彼女はひたすら大人しく、つとめて必死に息を潜めた―――――何故なら。


「あら、デラージュ伯爵夫人。少々お言葉が過ぎるのではなくて?」

「そうですわ、伯爵夫人。繊細可憐なお嬢さん相手にその言い方はよろしくなくてよ。こちらの方が気の毒だわ………お困りじゃないの、お可哀想に」

「主催を待たないまま主役に尋ねる、なんて無粋な真似はおよしなさいな―――――だって、わざわざ確認せずとも、分かりきっていることでしょう? ねえ、メロディ・ライン様?」


ねえ、と淑女な微笑みで同意を求められても困る。

分かっていますよ、みたいな顔で、気品と自信に満ち溢れた淑女数名に庇われているかたちのメロディの胃は死んでいた。人知れずひっそりと死んでいた。伯爵夫人に臆することなく物申せるお立場の方々に助けられているらしい、と気付いた瞬間に死んでいた。もはや悲鳴も上げられない程に疲弊困憊の有様で、痛むどころか一周回って反応の一切がなくなっている。

何この状況。どういうこと。なにひとつ分かりませんけれども?

欲しい答えは返らない。

それはデラージュ伯爵夫人にも当て嵌まることだったらしく、メロディからも周囲の外野からも欲しい反応を得られなかった彼女は扇の向こう側で目を細めた。不快である、との婉曲表現が分かったところで胃は死なない―――――だってもう既に死んでいるので今更死にようがないじゃないのよ。


「そうねえ、分かりきっていることをわざわざ尋ねるのは確かに無粋だわ―――――ドニエ家ご子息の婚約者には、我がデラージュ家の至宝こそが相応しいとは言うまでもない事実ですものね?」


この場でにこやかにそれを言い切る伯爵夫人の胆力を、メロディは素直に称賛した。いっそ憧れさえしたけれど、同時に止めて欲しいと思った。お貴族様のお言葉を平民風情が遮るわけにはいかないので無言を貫くしかないが、もしも許可が下りていたなら全力で止めていただろう―――――まるで自分を守るように威風堂々と立っている、背が低くも頼もしい背中のご令嬢を。


「事実無根ですねお母さま! 止めてください! 恥ずかしいので! ドニエ家のお庭でドニエ家ご子息のお連れ様に失礼ですよ! いい加減にしてくださいまし!」


そう叫んでいるのは十二歳前後の背丈しかない小さな可愛らしいご令嬢であるが、ぽっと出の平民に詰め寄る敵意剥き出し貴婦人ことデラージュ伯爵夫人の実の娘らしい彼女はまさかのメロディ擁護派だった。なんなら他の淑女たちよりも前のめり気味に助けてくれているがメロディには意味が分からない。どういうことでしょうお嬢様、あなた様のお母様がすごい顔をしてらっしゃいますけれども大丈夫でしょうかお嬢様、と逆に聞きたくてしょうがないのだが勿論聞ける筈もない。

なんなのこれ、と彼女は思った。


「お黙りブリュエットどうしてあなたがそちらのお嬢さんを庇っているの! 私は愛娘のためを思って」

「キャルム・ドニエ様のお顔が好きなのはお母さまであって私ではないです!!! 美形好きなのは結構ですけれど入れ込むのは舞台役者だけになさって! こちらの方とドニエ侯子の門出の邪魔をする権限などお母さまにはありませんし私だって望んでいません、愛娘のためを思うなら過ぎた私欲を引っ込めて大人しく往生なさいまし!!!」


諦めろ、ではなく往生しろ、と言い放つあたりがなんとも強い。実母に対する言葉選びが尖り過ぎていてビックリするが、娘さんにもきっといろいろ思うところがあるのだろう、と賢い者たちは口を噤んだ。なお母親の伯爵夫人はショックのあまり言葉もない。一度母娘でゆっくりと話し合った方がいいと思う。

キャルム・ドニエの婚約者に是非とも娘を据えたい理由がバリバリの私情でしかない事実を当の娘から暴露されてしまった伯爵夫人の心境などまったく慮らないままに公言してしまうその胆力、血の繋がりを感じますねというかお嬢様は確実に大物になりますねとメロディは場違いな感動を抱いた。


「まったくもう! これまでのお詫びと、許されるなら一言だけでもお祝いを申し上げたいからとお母さまがおっしゃったから同行いたしましたのに―――――こんな極上のラブストーリーに水を差すなど野暮ですわッ!!! 大体いくら外野が喚こうが勝ち目などまったくないのだとどうしてお分かりにならないのです!? ご覧になって彼女の装いを! ルックゴッダの新作ワンピースにコルテス・バキラの刺繍アレンジ! 靴はウェースドゥの最高級品でバランス良く清楚にまとめられたコーディネートに繊細な金細工の蝶々が若さと躍動感をプラスして遊び心をくすぐる仕上がり―――――華美でこそありませんけれど、ドニエ侯爵家レベルの財力と伝手がなければ到底揃えられない品々で着飾った女性を相手に我々如きが割り込めるなどと本気でお思いなんですの!? 正気でして!?!?」


すごい喋るし歯に衣着せるということをまったくする気がないよねこの子。聞いてはいけない単語と誤解のオンパレードにメロディの意識は飛びかけていたが、ブリュエット、という名前らしい貴族の少女の勢いはこの程度では止まらない。

鈴の音のように転がる声からしてきっと美少女に違いないとはうっすら予想していたけれど、くるりと軽やかに半身を捩って眼前の母ではなくメロディを見た彼女は本当に可憐な美少女だった。この子とキャルム坊ちゃんが並べばさぞや絵になる光景だろうなと現実逃避的に思いつつ、しかしこの少女の脳内にあるのはどうもドニエ侯子と平民メイドの身分差を乗り越えたラブストーリーらしくて待って待って何それ知らないとメロディの頬と喉が引き攣る。

そんな彼女を仰ぎ見て、ブリュエット嬢はうっとりと幼さの残る顔を弛緩させた。憧れを見るような眼差しに、怖気付いた身体が半歩下がる。それでも表情を笑みのかたちに保てていたのは奇跡に違いが、気付けば好意的な視線に囲まれていたメロディ・ラインは―――――ぞっとした。


「お母さまが失礼しました、申し訳ございません、メロディ・ライン様。遅れ馳せながらブリュエット・デラージュ、ライン様にご挨拶申し上げます………その、さぞやご気分を害されたことと存じます。日と場を改めてのお詫びは当然させていただきますが、今日のところはお暇しますので、ご寛恕いただけますと幸いです」

「ブリュエット! あなた、伯爵家の嫡子ともあろうものが何を言っ―――――」

「お母さま! お酒の飲み過ぎでしてよ!!!」


恋物語の主人公を労わるような視線から一転、厳しい口調で実の母からの抗議を遮った勇ましい少女は険しい表情を浮かべている。方便だろうがなんだろうが未成年ながらに母親の暴走を咎め正さんと振舞う様は周囲に好感を与えていたが、メロディには心底恐ろしく思えた。

ブリュエット・デラージュだけでなく、この場に居合わせて“メロディ・ライン”という名の異物を好意的な目で許容しているすべての人々の存在そのものが薄ら寒くてしょうがない―――――誰も彼もが彼女のことをキャルム・ドニエのお気に入りだと信じて疑わないこの状況が、己の与り知らないところで事実ではない致命的な誤解が一人歩きしているのが怖い。

誰も味方がいなかった。デラージュ伯爵夫人のように分かり易い敵対者は居ないようだが、かといって味方なわけでもない。メロディとキャルムの関係を、使用人と雇用主の孫でしかない二人の空虚な距離間を、著しく誤解して受け入れている。そんな人々しか居ない。

肯定など到底出来ないメロディには同時に否定も許されない。発言権がないからだ。キャルム・ドニエはこの場に居ない。唯一堂々と「違う」と言える存在はメロディの側を離れている。


―――――ほんと、なにこれ。


彼女はひとり、呆然とした。納得いかないと喚く母親をどうにか連れ帰ろうとしている少女に加勢していく紳士淑女のちょっとした騒動をぼんやりと眺め遣りながら、どうして、と自問する。答えなんか出る筈もない―――――だって、自分の中には無い。

笑顔を繕うことも忘れて表情の一切が抜け落ちた彼女に、気付く人など誰も居ない。目の前の騒動に気を取られていて、誰もメロディのことなんて視界に入れてさえいなかった。


「だって、だって私の可愛いブリュエットがあんな平民に劣ると言うの!? 冗談じゃないわ、何かの間違いよ! そもそもあの娘が招待状にあったドニエ家ご子息の婚約者だなんてまだ分からないじゃない! だから探りを入れただけなのに、よりにもよってあなたが邪魔して―――――きっと別にいる筈なのよ、ドニエ侯子の想い人は!」


華やかなパーティーに相応しくないご婦人の絶叫が耳を劈く。あんな平民、と言われた娘の心は寒々しいまでに冷えていた。間違っているのはこの場に集う皆さんの認識の方ですよ、と言えたらどんなに楽だろう。小心者の彼女には、そんな度胸などないけれど。

ここで颯爽とキャルム・ドニエが登場してメロディを助けてくれたなら、絵物語のようだと思う。けれどもこれは現実で、彼はやっぱり戻らない。お姫様でないメロディ・ラインには王子様の手など望めない。

当事者である彼女を置き去りに周囲は勝手に盛り上がり、お貴族様を前にして平民にはどうすることも出来ず―――――そんな自分に嫌気が差した。

そのとおり、と声を上げるなら今が最善に違いない。不敬覚悟で意志を固めた。これ以上の混乱は、流石に主催に泥を塗る。否定をするなら今しかない。違うと言うなら今が良い。デラージュ伯爵夫人の言動が正しいかどうかはさて置いて、娘可愛さに暴走し続ける母親の情を利用すべく、一介の平民は決意も露わに―――――否定を放る、その前に。

この場を制した人が居た。


「失礼、そちらの蝶のブレスレットのお嬢様―――――ああ、よかった。やはりそうでした。お会い出来て光栄です、はじめまして。メロディ・ライン様」


混迷を極めたパーティー会場を難なく鎮めてみせたのは、冷静な女性の声だった。特に張り上げたわけでもないのに賑やかな場所でも良く通る、どこか慇懃な響きを含んでそれでも軽やかに流れる口調。

よかった、と驚く程に柔らかくメロディの近くから聞こえた声の主の印象は、一言で表すなら商人だった。

それも高級な品を扱う洗練された一流店の接客係を思わせる着こなしと振る舞いで、他の誰にも構うことなくただ真っ直ぐにメロディを見ている。勝手に舞台に引っ張り上げられて成す術もなく弾かれて、一人立ち尽くすだけだった自分に訓練の末に身に付けたと分かる美しい礼を披露する彼女にメロディはいよいよ首を傾げた。

誰だろう、との疑問はそのまま素の状態で表に出る。


「あの、すみません。お会いするのは初めてなのに、どうして私がメロディ・ラインだと?」

「ご指摘、ごもっともでございます。実はわたくし、ライン様に贈る品を用立てる名誉をキャルム・ドニエ様より賜りまして………具体的に申し上げますとそちらの蝶の金細工、我が商会がオリジナルで作製した一点物なのでございます。デザインはもちろん、素材についても依頼人であるドニエ様のご要望に沿い仕立てられたその品を身に付けておいでなのはこの広い世界でただ一人、メロディ・ライン様以外にあり得ません―――――あまりに繊細過ぎる造形であったために少々お時間を要してしまい、先日ようやく完成したばかりの無銘の作品ではありますが、あなた様に良くお似合いです」


にこやかに卒なく褒められたところでキャルム坊ちゃんのくれた可愛いブレスレットがちょっとどころかとんでもないこだわりで作製された一点物だと知らされたメロディの気は休まらない。あちこちから突き刺さる好奇の視線から逃れたくてたまらない。

己の限界を悟る彼女の前で、商人らしき雰囲気の女性は恭しく静かに言葉を紡いだ。敵ではないが味方でもない連中ばかりが犇めく場所で、メロディに次ぐ二人目の異物になってくれた見知らぬ人は堂々と―――――まるでそれが正義である、と言わんばかりの豪胆さで、軽やかに主導権を掻っ攫う。


「申し遅れました、ライン様。わたくし、あなた様のための髪飾りをお届けにまいりました、ローシェ・ディディエと申します」


主人公のピンチに駆け付けるのはヒーローよりもサブキャラの方が個人的にテンション上がります(私見十割)

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[良い点] 胆力お嬢様、思い込み激しいけど、めっちゃ好きです!
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