6.見当違いも甚だしい
似た者ナントカ。
「話に聞いてはいたけれど―――――呆れる程ダメね! うちの息子は!」
侍従長に連れられて邸の一室に入るなり、華やかな装いの貴婦人にキレ散らかされて嘆かれた。キャルムは一切の表情を消して、開口一番駄目出しをしてくる実母の叫びを傾聴している。言いたいことがあったとしても、今は聞いてはもらえない。経験則で知っていたから、大人しく口を噤んでいた―――――内心同じくらいの熱量でブチキレたい心境だったけれど。
「せっかくメロディさんをご招待したのにあなたは何をしているのかしら、パートナーを楽しませる努力をこれっぽっちもしていないじゃないの! 女性への気遣いが足りていない上にエスコートだって粗が目立つし、何よりちょっとした会話すら満足に盛り上げられないなんて………まさかとは思うけれどあなた、ずっとあんな調子なの? 普段は小憎たらしい程にずけずけとものを言うくせに、何をまごついているのです! 気難しい末っ子にようやく春が巡って来たかと喜んでいればこの有様、実際のところは結婚どころかまずお付き合いにすら至れていないとはじれったいたら! 本当にもう! いいことキャルム、よくお聞きなさい。甘ったれている場合ではないわ―――――あのお嬢さんに、きちんとあなたが、好意的であると示すのです! もちろん恋愛的な意味で!!!」
「うるさい母様! 言われなくたって分かってるんだよそんな分かりきってること言うためだけにわざわざ呼び出したりしないでよ、ていうか示しても示しても一向に伝わらないから今日の計画を立てたっていうのになんで母親の小言を聞くためにメロディを一人にしなきゃならないのさ!!!」
お連れ様はどうぞこのままパーティーをお楽しみいただければ、と主催者からのメッセンジャーに言われてしまえばメロディは弁えるに決まっている。如何にも上級の使用人です、と年齢的にも貫禄的にも申し分のない壮年男性に恐縮しながらあっさりと了承の意を示した彼女は、直前までの気まずい沈黙など無かったかのような切り替えの早さで文句ひとつなく頭を下げて“キャルム坊ちゃん”を送り出すことを選んだ。
『かしこまりました。わたくしはこちらでお待ちしております。行ってらっしゃいませ、坊ちゃん』
瞬時に繕った微笑みで、丁寧な一礼をしてみせた彼女は悲しい程いつもと変わらない。祖母に雇われる住み込みメイド、というメロディの立場を考えるなら、それは正しいことなのだろう。着飾った姿で雇用主の孫のパートナーとしてパーティーに参加していようが勘違いなど一切していません、と態度で示すその様は、使用人としてはひどく正しい。
正し過ぎて、その残酷さにキャルムは泣きたくなったけれど。
「私だって実の息子にパートナーを放り出させてまでお小言など伝えたくはなかったわ、けれどもしょうがないじゃないのだってキャルムあなた本当に不甲斐ないったらないんですもの! 『彼女を家族に会わせたい』と切り出してきたときは将来を誓い合った報告でもしに来るのかしら、と思ってせっかくだからパーティーでも開いて大いに歓迎してあげましょう、と指折り数えてメロディさんにお会い出来る日を楽しみにしていた母様の気持ちも考えて頂戴! 親不孝者!!!!!」
「いやそれに関しては完全に母様が先走って勘違いしただけじゃん!?」
わっ! と大袈裟に泣き真似を差し挟む実母に苦々しいものを感じつつ、それでも叫ばずにはいられない。キャルムは確かに、言うには言った。あの慇懃無礼の権化のような協力者の提案を受け入れて、一向にこちらを“雇用主の孫”としてしか見ないメロディの認識が少しでも変わることを期待して、確かにそのような文言を用いて祖母以外の家人の協力を仰いだ―――――のだが、それがとんでもない悪手であるとは彼自身が気付いていなかった。
提案者であるディディエが聞いたら「違う、断じてそうじゃないですなんですかあなた大概にしなさい」と即座に罵倒が続いただろうに、彼女に詳細を伝えないまま計画は順調であるとしか伝えなかったばかりにこんなことになっている。
ディディエだってこんな展開はきっと予想していなかった―――――出来て堪るものですか、と彼女なら吐き捨てるだろうけれど。
「んもう、とにかく今日のパーティーでしれっとあなたの婚約を発表しようと思っていた母様の計画が台無しです!!! というかまだお付き合いすらしてない片想いの一方通行ですって言うのが遅過ぎるわあなた、せめてお客様に招待状を送る前に教えなさいそういう大事なことは!!!」
「は? ハァ!? なにそれ知らない! なんてこと計画してるのこの人!? 信じらんない、ていうか待って、その口振りだとまさか今日のパーティーって僕とメロディの婚約発表とかそういう感じで招待状出したの!? よくやってる『庭のお花を愛でましょう』みたいな気軽なガーデンパーティーじゃなくて!? なにやってんのさ見当違いもそこまでいくと神経を疑うレベルだよ母様!!!」
「お黙りなさいバカ息子ー! “彼女”を家族に会わせたい、ってあなたの言い方が紛らわしいのです! だって捻くれ者の末っ子があんなにも大真面目な顔で切り出すからには一世一代の大告白かと思うじゃない普通に考えて! だったら盛大に祝って義理の娘さんを大歓迎してあげたいなって思うじゃないの、親として!!! だから張り切って準備したのにまさか招待状を発送した後に『雇用主のおばあさまの孫、としか思われてないっぽいからその認識を改めてもらうために協力してね』とか言われるなんて―――――本当にもう!!!」
信じられない、と吠える母は貴婦人の体裁を遥か彼方に投げ捨てているがそれだけ腹に据えかねたらしい。実際、彼女が真実を知ったのはなんとパーティーの前日だった。
キャルムがメロディに贈った衣装が婚約者ないし将来の伴侶の装いとしては地味ではないか、と直前になって情報を掴んだ母が言い出したのが発端である。彼女としては未来の義娘に気を遣って手持ちの宝飾品のひとつでも貸し出しましょうか? と提案しただけなのが、母親所蔵の宝飾品など高価過ぎて絶対に拒否されるから不要だとキャルムが突っ撥ね言い合いになった末に発覚した。親子間の意思疎通が見事に失敗していたにしても時間的猶予の無さが酷い。
「知らないよ! ていうか待って、まさか母様本当に僕の婚約者お披露目パーティーって名目で招待状出しちゃったの!?」
「いいえ、流石にそこまで直接的な表現を使ったりはしませんよ。貴族特有の言い回しを駆使して思いっきり匂わせはしましたけれども」
「匂わせたならもう完全に駄目じゃん!? 事実はどうあれ招待客は僕の婚約者のお披露目会だと思って参加してるの確定じゃん!?」
「そうと分かっているのならさっさと戻ってメロディさんを口説き落としていらっしゃい―――――と、発破をかけたいところではありますが、安心なさい。バカ息子。先走りこそしたかもしれませんが母様は名の知れた侯爵夫人、私が主催するパーティーともなれば招待客は自ずと限られます。特に今回は平民であるメロディさんをお招きするという関係上、更に厳選を重ねに重ねて信頼出来る人々を招待しました。というか、本当に身内ばかりで固めたからどうとでも出来るのよ。それこそ婚約者のお披露目会からただの園遊会でも構わない程に」
貴婦人はそこで言葉を切って、息子を前に目を細めた。先程まで淑女らしからぬ大音声で元気一杯に喋り倒していた人と同一人物とは思えない落ち着き払った大人な態度で、彼女は笑みを深めて言う。聞き分けのない子に言い聞かせるような、説教臭い口振りで。
「一番の賓客を煩わせるような無粋な輩など招きはしないわ。私の庭に、敵など入れない。そうでなければ無防備なお嬢さんを一人になどさせるものですか。彼女の心身の安全が完全に保障されている、という前提がなければあなただけを此処へ呼んだりしません。招待状の件にしたって匂わせはしたけれど、それだけだもの。今日という日がただのなんでもない集まりで終わったところで文句なんて何処からも出ないわ。出させないし、言わせない。だから、その、なんというか………周りの皆さんはそういう意味深な態度でそわそわしているでしょうけど、あなたたちは気にせずありのままパーティーを楽しんで頂戴ね、とだけ伝えたかったの。母様は」
先走った、という自覚はあるらしい。反省して眉尻を下げている母の表情を目の当たりにして、キャルムは喉元まで出かかっていた文句の言葉を飲み込んだ。殊勝な態度を取られると表立って責めにくい。そして発案はともかくとして、雇用主の孫脱却プランとも呼ぶべき今回の場を調えてくれたのは間違いなく目の前の貴婦人なのだ。
母親の協力がなかったら、メロディをこの場に連れてくるなど夢のまた夢で終わっていただろう。ドレスコードを利用して服や靴や装飾品を贈ることも出来なかったし、自分が選んだもので着飾った彼女のエスコートもかなわなかった。
「言いたいことはまあ、分かったよ。とりあえず僕もう戻るから………あとでさりげなくメロディ連れて会いに行くから、よろしくね、母様」
「ええ。私は少し時間を置いて庭に下りるから、そのときに」
楽しみねえ、と少女のように、美しい貴婦人は笑っている。キャルムも釣られてほんのちょっとだけ口角を持ち上げた―――――そのタイミングで。
「奥様、坊ちゃま。申し訳ございません。お耳に入れなければならないことが」
「まあ。どうしたの、そんな顔をして。あなたにしては珍しいわね?」
それまで部屋の端に控えていた侍従長が真面目な顔で切り出して、母はおっとりと応対しているがキャルムは嫌な予感がしていた。この壮年の使用人は大変に仕事が出来る男だと知っているからこそ、余計に。
「僭越ながら申し上げます、奥様。デラージュ伯爵家にも招待状を出すよう指示されたことをお忘れではないかと」
「………………」
沈黙が、何故か耳に痛い。貴婦人のおっとりした微笑には綻びも何も見当たらないが、それが固まった笑顔であるとはこの場に居る全員が気付いていた。ふふ、と控えめに母が溢した言葉は正直聞きたくない。
「ありがとうゴードン、忘れていたわ―――――そうね、私、確かに送ったわ。招待状を。挑発で」
「信頼出来る人を厳選した、みたいなことさっき言ってた気がするけどそんな人たちに挑発目的で招待状送るなんてことあるの母様!?」
キャルムが疑問を叫び終えたのと母の視線が彼に向いたのはほとんど同時だったろう。優しい目をした貴婦人は、固まったままの笑顔にそぐわない好戦的な台詞を吐いた。
「いいえ。そんなことする筈がないわ。ただ、例外を忘れていたのよ。当家の可愛い末っ子に、『是非とも我が家の娘を』と本当にしつこかったから―――――いい機会だし黙らせようかしら、と呼んだことをすっかり忘れていたわ。招待状で散々煽れたから私ちょっと満足していたのだけれど、あちら、参加しているの?」
「既にお着きになっております」
有能な侍従長の返答に遅れて室内に響くノック音。敵など入れない、と言っていた口で思いっ切り敵でしかなさそうな人物に招待状という名の挑発文を送りつけていたらしい母に詰め寄ろうとしていたキャルムの勢いは、少々慌ただしく入室してきた使用人の報告を聞いて削がれた挙句に血の気が引いた。
「失礼致します、奥様。坊ちゃまの、お連れの、お嬢様ですが―――――」
そんな馬鹿な(そんな馬鹿な)