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5.華やか過ぎて、まあ場違い

突然の展開

胃が痛いなあ、と彼女は思った。

気が重い、ではなく胃が痛い。気のせいではなく実際に、しくしくと胃壁が泣いている。それを表に出すわけにもいかずに浮かべた微笑みは無理矢理で、しかし崩すわけにもいかずにストレスは溜まる一方だった。

気を利かせてくれたウエイター係が「如何ですか?」と差し出してきた発泡酒をやんわり断って、全然減らない果実水入りのグラスを持ち上げて見せる。それに合わせて己の手首を飾る金色のブレスレットがしゃらりと音を立てたから、小心者のメロディの胃は更なる悲鳴を上げるのだ―――――本当に、どうして、こんなことに。


「食べないの? メロディ」

「胸がいっぱいでして………」


ふぅん、と気のない返事を寄越してもりもりと鴨のローストを頬張る雇用主のお孫様に引き攣った笑みを向けながら、彼女は現実逃避のように今の自分を客観視した。

柔らかな布地に淡い色合いのワンピースは光沢がありながらも上品で、裾や袖口にあしらわれた緻密な刺繍は図案から糸の手触りに至るまでのすべてに細やかなこだわりが窺える。かっちりと閉じた首元にスカート丈はやや長め、野暮ったくならないバランスで八分程度に長い袖、と極力露出を控えたデザインなのは素直にありがたかったけれどもまず間違いなく高級品だ。素材からして一流なのか肌触りの良さが尋常ではないが胃にはまったく優しくないし値段は考えたくもない。

ぱっとしない容姿の庶民でしかないメロディをそこそこのお嬢さんに見せる衣装としては些か上等過ぎる気がして、しかしそれを口にするには勇気と度胸が足りなかったのでこんなことになっている。たった一言「分不相応ですので」と声に出して拒否出来たなら―――――可能性に縋るには、あまりにも遅過ぎるし今更だ。

ワンピースに合わせて用意された、と思しき踵が高めの靴についても同様のことが言えるだろう。だって履き心地が恐ろしく良い。頼りない細さのヒールの割に安定感も抜群で、市販品にしては自分の足に些かフィットし過ぎているのがメロディには恐ろしくて堪らなかった。

そしてトドメとでも言えばいいのか、品良く緩やかに纏められただけの髪はさておき「これは絶対に必要だから」と腕に装着させられた瀟洒なブレスレットに至ってはまさかまさかの純金製。黄金色の小さな蝶々が思い思いに飛び立つような、繊細さを備えた躍動感ある意匠がとにかく可愛らしいが所々にさりげなくあしらわれた金剛石の輝きを思えば値段的にたぶん可愛くはない。

今の自分の全身は、果たして総額いくらなのか―――――粗相などけして許されない、と蒼白になる顔面に血の気よ通え、と願いつつ、それが無理な難題だとは彼女自身が痛感していた。


「これ美味しいから食べなよ、メロディ」

「すみません胸がいっぱいでして………」

「さっきからそれしか言ってなくない?」


呆れたような顔をして、慣れた様子で料理を平らげるキャルム・ドニエが憎いったらない。絶世の美少年が連れて来た見たこともない冴えない娘が一体何処の誰なのか、と入場した瞬間から突き刺さってくる視線の数々に辟易しながら、メロディは必死に溜息を堪えてちびちびと果実水を口に含む。


『ああ、あの港湾都市の商会ですな。聞けば王都にも出店したとか………』

『―――――なんと、既にご存じでしたか。いやはや、流石にお耳が早い』

『―――――………が本っ当に色鮮やかで! 私、圧倒されましたもの!』


右を向けば立派な紳士の集団、左を向けば可憐な淑女の皆さん、振り返れば招待客をもてなす物腰柔らかな使用人たち、正面には美味しそうなビュッフェ―――――そして、傍らには絶世の美貌の持ち主こと雇用主の孫のキャルム坊ちゃん。


―――――なんで私、此処に居るんだろう。


ガーデンパーティーの真っ只中で顔を青褪めさせながら、メロディはひとり自問していた。しかし実際は問うまでもなく答えは単純明快で、雇用主である奥様ことマダムに請われたからである―――――孫のパートナーとしてちょっとしたパーティーに出てもらえない? と、困り顔で頼まれてしまっては引き受けざるを得なかった。

あくまでも身内の催しでかない本当にちょっとしたパーティー、という言い回しを鵜呑みにして気軽なホームパーティーを想像していた己の迂闊さを呪うしかない。そもそも『パートナー』を必要とするパーティーが気軽な催しである筈がなかった―――――なお、彼女がその事実に気が付いたのは、当たり前のように存在していたドレスコードをクリアするための衣装一式を『坊ちゃんからの贈り物』として受け取った瞬間だったのだから本当に鈍いにも程がある。己の正装であるいつものお仕着せ―――雇用主からの支給品だが正直言って自分の所有している服の中では群を抜いて上等な品なのは間違いない―――で行けばいいか、と考えていたのは浅慮以外の何でもなかった。

“パートナー”として伴われるパーティーでお仕着せメイド服を着用した自分を連れ歩くのは何かが違う、とは流石のメロディも理解している。必要経費の現物支給、と言われてしまえば突き返せない。パートナー役を引き受けた以上はむしろありがたく拝領するかたちで、小心者の雇われメイドは腹を括るより他にないのだ。

なお、余談だがどうにかこうにか取り繕って外見だけなら良家の子女風に仕上げられたメロディを見て雇用主のお孫様ことパートナーであらせられるキャルム・ドニエは大変ご満悦そうだったのだが本当にこれは余談でしかない。


メロディ・ラインの心境は、はっきり言ってそれどころではなかった。


特権階級のみに許された高級別荘地の一等区画、立派な門扉を潜り抜ければそこには別世界が広がっている。比喩ではなく、本当の意味で、別世界だなと彼女は思った。

掃除が大変そうなレベルの豪邸に面した庭園は細部にまで手入れが行き届き、今はガーデンパーティーのためにテーブルと軽食が並んでいる。立食形式を採用しているのは招待客同士の歓談に花を咲かせるためだろう、上流階級者の集いという品位をまるで損なうことなく堅苦しさは適度に緩和して、あちらこちらから漏れ聞こえる声は春の日差しのように和やかだ。なんというか、全体的に、品というか華がある。


「坊ちゃん、あの、やっぱりわたくし、居た堪れないです。場違い過ぎて」

「え? 正規の招待客だよ? ていうかこの僕のパートナーなんだから場違いなワケないじゃん。気のせいだよ」


余裕綽々で否定して、どころか「何を言っているのか」と言わんばかりの呆れた様子で、キャルムは気のせいだと断言するなりメロディの口に問答無用で鴨肉のローストを捻じ込んだ。小さく折り畳んだ状態でフォークに突き刺してくれていたのであっさりと口には入ったけれど、この状態から吐き出すわけにもいかないのでもう食べるしかない。じっくりと低温で調理したらしい肉質はなんとも柔らかく、さっぱりとした味わいに濃いめのソースがなんとも合う。もぐぐ、と美味しくいただいて、果実水で喉を潤して、ようやく彼女は息を吐いた。


「おかわりいる? 甘いのがいい?」

「お気持ちだけで大丈夫です………」

「食べればいいのに」

「今はちょっと………」


何故かやたらと食べ物をすすめてくる坊ちゃんの美貌から目を逸らしつつ、そのマイペースさが羨ましくてほんの少し気分が上を向く。もしもメロディが冷静だったら今のキャルムの行動を目撃した他の招待客たちがあらゆる意味で驚愕していたのをきちんと感じ取れただろうが、今の彼女はいっぱいいっぱいでそれどころではなかったために周囲の反応を見逃した。


「ちゃんとした“お客様”として招かれて此処にいるんだからさあ、堂々としてればいいんだよ。招待状だってあるんだし………あれ、そういえばメロディには見せてなかったっけ招待状………ごめんね、出すからちょっと待って」

「大丈夫です大丈夫です招待状出さなくて大丈夫ですこのような場にご招待いただいたのが初めてなので緊張のあまり食事が喉を通りそうもないというただそれだけの話ですのでどうか坊ちゃんお気になさらず!」


息継ぎ無しで噛みもせず言い切った自分を褒め称えたい。思考をフル回転させながら、メロディはどこか他人事のようにそんなことを考えていた。同時に、ちょっと困ったように眉尻を下げた表情で自分のことを見下ろしてくる雇用主の孫を見て思う―――――彼なりに、気遣ってはくれているのだ、と。

それは分かる。だがズレていた。どうしようもなく致命的な程のズレを感じてどうしようもない。だってメロディが気を揉んでいるのは招待状の有無ではないのだ。というか、キャルム宛ての招待状には彼の名前しかないだろうから見せてもらっても意味がない。それを提示すればメロディはきっと安心出来るだろう、という彼の認識はズレている。そして、たぶん分かり合えない。

もっと究極的に言ってしまうなら、この催しの何処をどう指してちょっとしたパーティーという認識なのかがメロディにはまるで理解出来ない。けれども価値観の違いはどうしようもないのでそこのところは諦めた―――――というか、やっぱりうちの奥様、本来であれば私如きがお姿を拝見することさえ適わないような上流階級の御方なのでは?

そしてそれは本日のパートナーであらせられるキャルム坊ちゃんにも言えるのでは、と思考を巡らせたメロディはこのあたりで詮索を放棄した。止めよう、ここからは本当に小心な私の胃が死んでしまう、との防衛本能が成せる業だったか結果的にそれが功を奏して彼女は今も立ち続けている。

万が一にも卒倒なんかしてパーティーを台無しにしてしまったら―――――あり得てしまうその可能性の方が、もっと、ずっと、怖かった。

分類的には(一応、ではあるが)実家がギリギリ富裕層枠だったメロディにだってホームパーティーの経験くらいは多少あったし家政学校でも授業を通して一通り実践的に学んだけれど、前者に関しては規模からして違うし後者については視点が違う。市井のホームパーティー経験とメイドとしての立ち振る舞いなどこの場合は何の役にも立たない。友達の家で開催されるお誕生日のパーティーを想定していたらお貴族様主催の園遊会に投げ込まれた、といった感覚が正しいというか実際にはその通りである。無茶振りも大概にしていただきたい、と彼女は心の中で呻いた。声に出したりはしないけれど。


「あったあった。はい、これメロディの招待状」

「いえ、ですから坊ちゃん宛ての招待状を私が拝見したところで………んん?」


ぴら、とキャルムが開いて見せた招待状に踊る文言を、目で追ったのは惰性だった。畏れ多くも今はパートナー、雇用主のお孫様の気遣いを無碍にしてはならないとの心理も作用したのだろう。メロディは彼が持っている上質な厚紙に書かれた内容をざっと簡単に流し見て―――――宛名がメロディ・ライン様になっていることに気付いた喉が、引き攣った。


「なん、なんで私の名前………!? 坊ちゃん宛ての招待状では!?」


受付でキャルムが提示していたのはこの招待状で間違いなく、そこに記載された招待客は何度確認してもメロディ・ライン。キャルム・ドニエの名など無く、どころか日付も時間も場所も何一つ記されていなかった。あるのはたったの一文だけ―――――お会い出来る日を楽しみにしています、という、躍り気味な筆跡の社交辞令。

“招待状”としての体裁をなにひとつ満たしていないそれを前に震えるメロディを見下ろして、キャルムは小さく首を傾げた。


「僕宛ての招待状? 無いよ、そんなの―――――母様主催のホームパーティーになんでそんなものがいるの」


心底不思議そうに彼は言う。カアサマシュサイノホームパーティー、なる情報を噛み砕き、メロディはすべてをかなぐり捨てて眼前の美少年に視線を注いだ。一目でも見たら強制的に恋に落ちるレベルで整っているお坊ちゃまのご尊顔を真正面から直視したのは初めて会った日以来だったが、今の彼女には普段の自制心をかなぐり捨てるだけの理由がある。

相手はかなり背が高いので睨み上げるような構図にはなったが、彼は何も言わなかった。気分を害した様子もなく、ただほんのちょっと挙動不審気味に眼球だけで視線を彷徨わせている。何事かを隠しているらしい、とはメロディにだって見当がついたが問い詰めていいのかどうかを迷い、けれど懐疑の念は拭えず気まずい沈黙だけが続いた。

華やかな場には相応しくない緊迫感が、そこにはある。膠着状態に陥っている二人の状況を打破してみせたのは、どこからともなく現れた穏やかな壮年男性だった。


「キャルム坊ちゃま、メロディ・ライン様。ご歓談中失礼致します。まことに申し訳ございませんが、お時間を頂戴出来ますでしょうか」


落ち着き払った雰囲気で恭しく静かに腰を折り、控えめな調子で彼は言う。


「恐れ入ります。キャルム坊ちゃま―――――奥様が、お呼びでございます」


なお出張手当はちゃんと出ます(要らん豆知識)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 良かったねメロディ…こんな苦行に付き合わされて無給だと虚しすぎるもんね…
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