11.祈るばかりの人生だ
「あの流れは頷く流れじゃんかよ―――――ッ!!!!!」
「キャルム・夢見がち・ドニエの都合の良い妄想をメロディ女史に期待するのは止めて差し上げろいい加減懲りたらどうですあなた」
「あああああ! あああああ! ああああああああああ!!!」
「うるさ」
何度目だこの無意味な遣り取り、と思いながらも付き合ってやる己の忍耐力の高さに若干の呆れを覚えつつ、ローシェ・ディディエは手土産だと渡されたケーキを遠慮なくゆっくりといただいていた。場所は彼女の下宿先にしてディディエ商会イーニータ地区エリペン支店の応接室で、形式上は又従姉弟同士に違いない彼らはいつものように何の憚りなくテーブルを挟んで向かい合っている。
親戚付き合いというよりも顔見知りとの茶会に近いなんとも絶妙な距離感は、腐り落ちる程の湿度も持たない乾燥しきった縁の証左だ。仲は良くも悪くもない。お互いにそんな認識で、ただ他人とはほんの少しだけ共感出来る部分があった―――――ほんのそれだけで成り立っている何度目かも忘れた交流で、ローシェはスポンジ生地を飲み込んで鋭く短く息を吐く。
「情けない愚痴吐き反省会でしたら他所でやるかお一人でどうぞ。当商会の応接室はお客様をお迎えする場であって浮き沈みの激しい恋愛初心者の相談窓口ではないのだとご理解ください、キャルム・ヘタレ・ドニエ」
「人のフルネームに罵倒を挟まないと死ぬ病気にでも罹ったのかディディエ」
「そこを拾う余裕があるなら大丈夫そうですね。お帰りはあちらです」
「超絶に雑な接客マニュアルと笑顔で退室を促すんじゃないよ止めろ止めろお見送りを装って追い出そうとするんじゃない泣くぞ!?」
「いやそんな涙目で宣言されましても………分かりました、ひとまず落ち着きましょう。一世一代の求婚を冷静にお断りされて悲しいのはまあ流石に理解出来ますからね、私は席を外しますので存分に泣けばよろしいかと………」
「泣かないよなに気ィ利かせましたみたいな雰囲気しれっと醸してんのお前!? ていうか僕はまだ振られてない、求婚そのものは断られてない!!! 『ちょっと考えさせてください』って返事が保留中になってるだけだ―――――いっそこのままずっと保留でもいい気がしてきた。振られたくない。振られたくはないけど会いたいんだよなあどうしたらいいんだろ。ディディエ、なんか名案ない? ケーキ食べただろ」
「はは、あったらいいですね。しかしながらそんなものは大陸一の品揃えを自負する当商会でもご用意出来ません、無駄に整った顔面で真面目に無駄な抵抗をするのは諦めましょうキャルム・ドニエ。ここまで事態が進んだのなら後はもう沙汰を待つのみですあとケーキは一昨日のガーデンパーティーで活躍した私への返礼であると他でもないあなたが言った筈ですがもうお忘れなんですかねこの鳥頭美少年」
「美少年って耳が腐る程聞いた誉め言葉の定型文だけどその使用例は初めて聞いたし今後一生聞きたくないな………」
げんなり、と又従姉弟の口の悪さに辟易した態度を演じつつ、しかし相手の言うことがもっともだったから反論はせずにキャルムは大人しく口を噤んだ。実際、ケーキを買ってきたのは彼女への感謝を示すためであり応接室に通された時点でそう申告して渡している以上はあちらの言い分の方が正しい。
キャルムがメロディに諸々打ち明けてなんやかんやで勢い余って求婚までしたあの運命の日、返事を保留にしたことで開催中のガーデンパーティーをなんとかいい具合に切り抜けなければならなくなった二人を救ったのはイレギュラーのローシェ・ディディエだった。
『要はメロディ女史のお立場を曖昧にしたまま恙無くパーティーを終えられればいいわけですよ。お任せください、ディディエ商会はお客様へのアフターケアも万全です―――――正々堂々、正攻法で、なんとかしてご覧に入れましょう』
そう請け負った彼女は恐ろしいことに、本当に機転と話術だけで勘違いだらけのガーデンパーティーをなんとかして切り抜けてみせたのである。キャルムがメロディにパーティー付き添いのお礼として贈ろうと注文しておいた蝶の髪飾りを前倒し納品して「ディディエ商会の新商品です」と流行りに食い付き易い貴族に正々堂々殴り込み、話題の中心をメロディ本人から彼女がつけている髪飾りへとスライドさせて売り込んで、正攻法で紳士淑女の興味と関心を掻っ攫った挙句「差し支えなければご来場の皆様方に当商会の最新カタログをいち早く送らせていただいても?」と顧客獲得に余念がない営業トークをぶちかまして宴もたけなわなあたりで和やかに商人スマイルで帰って行った―――――終わってみればドニエ家末子の婚約者のお披露目パーティー(仮)ではなくドニエ家縁戚のディディエ商会の新商品(一部)のお披露目会の印象しか残っていないという、まさに力業である。本当に十八歳かこの女、とキャルムは二歳差しかない筈の又従姉弟の胆力に感嘆を通り越して戦慄した。
ちなみに、独断専行で勝手に髪飾りを前倒し納品した件に関しては当日真摯に謝罪されていたので既に片付いているけれど、それでも彼女のその行動に救われたのは確かだったので労いもかねて柄にもなく手土産にケーキなどを持参してみたわけだが―――――ひとつ、どうにも納得いかないことを思い出してしまったキャルムの眉間に皺が寄る。それはそのまま言葉として彼の口から滑り出ていた。
「ていうかお前たった一日でちゃっかりメロディと僕以上に仲良さげな感じになったんだからさあ、なんかこういい感じにフォロー入れるとかしてくれないわけ? 昨日ディディエがお婆様の家を訪ねた件についての詳細を聞きたいんだけどなあ、僕としては」
「黙秘します。と、言いたいところですが隠し立てするようなことでもないですしお答えしましょう………娘と孫が迷惑をかけたお詫びがしたい、とのお手紙があなたのおばあ様から届きましたのでお茶にお呼ばれしてきただけです。第一線を退かれたとは言えども流石は先代ドニエ侯爵夫人、情報も行動も早くていらっしゃる―――――メロディ女史も交えた女子会は楽しかったですよ。羨ましいでしょう」
「あああああああああ聞くんじゃなかったァッ! 羨ましさだけで憤死しそう―――――僕がいくら誘っても誘っても絶対同じテーブルにはついてくれなかったのになんで会ったばっかりのコイツとは普通にお茶を飲むんだよメロディ!!!」
「先代ドニエ侯爵夫人が執り成してくださったからですね。メロディ女史への慰労も兼ねたささやかな席とのことでしたので、今日くらいは持て成される側に回れと雇用主から言われてしまっては彼女も断れないでしょう………ものはついでなので申し上げますが、同じテーブルについてくれないのは何でも何も住み込みのメイドさんとして正しい対応をされているだけです。頼めば美味しい紅茶を淹れてお菓子を自作してくれるでしょうが、雇い主と使用人が一緒にお茶を楽しむなんて行動は現実にはまずありえません。そういった線引きの曖昧な関係は主に創作物界隈で蔓延している特殊ケースです。理解しなさい、キャルム・ドニエ」
「うるせぇええぇぇぇぇ羨ましいだろって煽ってきた後に正論でぶん殴るの止めろディディエ!!!」
「正論だと判断する理解力はあるのにメロディ女史が絡むとあなたはどうしてああも残念になるのか………」
度し難い、と言わんばかりにローシェが口をつけた紅茶はすっかりと温くなっていて、不毛な時間を存外長く続けてしまった自分に呆れた彼女はひっそりと小さく苦笑する。テーブルに突っ伏してうだうだぶつぶつ何事かを呻いている悄然とした美少年の旋毛あたりを眺めつつ、世間話でもするかのように何気ない雑談を舌に乗せた。
「そういえば、ここの大通り沿いには名の知れたパン屋さんがありまして。特に自家製のフルーツジャムと焼き立てのブレッドが絶品で、それを目当てに観光客が訪れることもある程だとか」
「は? いきなり何の話?」
のっそりと、気怠げに、キャルムの顔が持ち上げられる。彼の視線が探るように自分を見詰めるのを他人事感覚で眺めながら何事もなくローシェ・ディディエは言葉を続けた。自然体なまま、引っ掛けのように、どこか面白がる口振りで。
「いえ、ただの世間話ですよ―――――手土産にお持ちしたらメロディ女史が大喜びしてくださったので、そうと分かっていたのなら使い切り用のお試しセットではなく全種類揃えて行けば良かったなあと思った話をしただけです。ああ、相性抜群と噂のブレッドも一緒にお持ちすれば良かったですねえ、お茶会には少々不向きかと敢えて持ち込むのを避けたもので。気を利かせたつもりが逆効果でした。食べたがってましたので、メロディ女史」
「へえ。ふーん。何処のパン屋さん?」
「ここを出て左、青い壁と赤い屋根の目を引く建物が目印ですね。余談ですがあと十分程で焼き立てのブレッドが店頭に並ぶのであなたの幸運を祈っておきます」
「適当な祈りもあったもんだよなっていうかまず間違いなく神様とかそういうの信じてないだろお前………どうせ祈るならメロディからの色好い返事を祈ってくれない?」
「手土産に喜ばれるものが買えることを祈るくらいしか出来ないですね」
ローシェ・ディディエはそう言って、相手より早く席を立つ。キャルムが退出しようとしているタイミングを的確に見定めてその先導を務める姿は既に商売人のそれだったが、直前に彼女がこぼした台詞もまた本心には違いないと知る美少年は呆れた顔でその背に続いた。
「お前ってヤツは本当にさあ………まあいいや、なんでもない。邪魔したね、エリペン支店長」
「厳密には支店長補佐ですよ。それさえ未だ修行中の身には過ぎた肩書きだとは思いますがね………さて、お気を付けて、キャルム・ドニエ。次回は“お客様”としてご来店いただきたいものです―――――ああ、指輪がご入用の際は是非ともご相談くださいね。既製品、リモデル、フルオーダー。お客様のご要望に沿い幅広く対応いたしましょう。思い出に添える誓いの品は、ディディエ商会にお任せを」
芝居がかった口振りで、慇懃無礼にローシェは謳う。内容的には商売人の営業トークに違いなかったがキャルムはそれを又従姉弟からの煽りというか嫌味と取った。実際は九割近くが皮肉で一割程度は激励だろうが、本当に口が減らない女だとの捨て台詞くらいは許されるだろう。
「ていうかそれこそ僕が“客”としてメロディと一緒に来られるよう祈れよ………」
そんな弱気な発言を最後に、情けない美少年の気落ちした背中が大通りの雑踏に紛れていくのを他人事目線で見送って、ローシェ・ディディエは扉を閉めた。急な来客ではあったが、未来のための布石と思えば休日に押し掛けられたことなど水に流しても構わない。
「とはいえ、敢えて言いはしませんでしたが今日の場合は“客”のつもりで来店していたら絶対に中には入れませんでしたよ。定休日にサービスを求める輩はお客様ではなく賊です………まあ、あの蝶々の装飾品を作るのは楽しかったので、“お得意様”のために揃いの指輪のサンプルでもご用意しておきますかね。ちょうど店もお休みですし」
港湾都市イセルマの共通認識を誰にともなくこぼしつつ、休日で自分以外の人間が居ない店の中を歩く彼女の口元には笑みが浮かんでいる。それは存外穏やかで、不安要素や懸念の類など一切ないと分かっている者特有の余裕に満ちていた―――――二度目の野暮は本当に言わなくてもいい野暮でしかない、との認識があるので触れたりしない。
それこそ晴れやかと言い換えてもいい明るさと朗らかさを伴って、さながら演劇の舞台のように、ただ己のみを観客として部外者の少女はひとりごちた。
「既に叶うと知っていることを祈るよりも、有意義です」
好きなように書いていたら影の主役みたいなことに(敢えて誰とは言わないけれども)