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1.可もなく不可も、なくもない

お暇潰しにでもなれば幸い。


メロディ・ラインの人生は、特に可もなく不可もない。

平凡といえば平凡で、単調と言われればそのとおりである。否定の言葉が浮かばない。否定する理由すら見当たらない。

女学生らしく勉強をして、たまに友人らと遊びに出掛け、同じような毎日を繰り返し続けて気付けば十八になっていた。


―――――花嫁になる予定もないのに花嫁修業をしている気分。


主に家政と教養を教える女学校に通っていた三年間はそんな心持ちで過ぎていったが、なにも誰かと添い遂げて相手と家庭を築かなくとも「メイドとしての働き口が増える」という講師の一言に触発されて気付けば成績は最優秀。嫁ぎ先も決まっていないのに誰よりも家政に秀でた女、として名を馳せたのはまあまあ不本意だったとしても、あまり気にする性質でもないので概ね平和かつ平穏無事に花の女学生時代は終わりを告げた。

そして卒業と同時に結婚していった友人たちを寿いで、恋人どころか色恋沙汰にすら縁がなかったメロディは学校から斡旋された働き口で今日も今日とて働いている。中産階級――もしかしたら第一線を退いた上流階級者かもしれないが――のマダムが暮らす小さなお邸の住み込みで、メイドとしては賃金も待遇も破格と言って差し支えない。

運が良かった、とは思っている。実家の財政状況等は平々凡々に安定していて、家族仲も悪くない。花嫁修業のような三年間であれ学校に通わせてもらったことも、人間関係に恵まれたことも、怪我はともかく病気の類とはおよそ無縁な健康さも、こうして職にあぶれることなく自立した生活を送れているのも幸運であると彼女は思った。

今あるものを大切にして、これからも安寧と生きていきたい。これ以上の幸運を、人生を望むのは筋が違う―――――メロディ・ラインはそういう思考で、多くを望んではいない。

少なくとも、彼女本人は、心からそう思っている。

なのに。それなのに、どうして。


「はいこれ。あげる。受け取って」

「すみません近いです近いです坊ちゃん」


新鮮さを失った魚の目よりなお曇った瞳を明後日の方向に逸らしつつ、メロディは己の手を控えめに持ち上げて迫り来る相手への壁とした。ぐいぐい、と押し付けられていた一抱え程もある花束を飾る淡い色の包装紙がぐしゃりと潰れてしまった音が彼女の鼓膜を引っ掻いたけれど、憐れんでいる余裕はない―――――小柄なメロディからすれば見上げる程の巨躯を持つ美術館所蔵の美男子彫像そのものみたいな存在をどうにかしない限りは無理だ。しかしいくら考えたところでどうにも出来る気がしない。

近い、と言った意味を理解したのか、出会い頭に巨大な花束を押し付けてきた人は自ら腕を引っ込めたついでにのっそりとした動作で半歩後ろに下がった。直視したら最後、分不相応な衝動に駆られて二度と戻れなくなりそうな驚異の顔面偏差値を誇る生き物の視線を感じつつ、メロディはそっと目礼しながら己の立て直しを図る。


「失礼しました、坊ちゃん。立派なお花をありがとうございます。こちら責任を持ってわたくしが玄関に飾っておきますので後のことはお任せいただければ………」

「え、なんで玄関? 聞こえてなかった? きみになんだけど………これ気に入らない?」

「いえ、坊ちゃん、そのようなことは………その、ええと、おそれながら、わたくし個人にはこのように立派なお花を飾る花瓶の持ち合わせがありませんので………」

「ああ、そう。それじゃあどれでも好きな花瓶あげるから適当に選んで。運ぶから。それこそ玄関のやつでもいいよ、別に大したやつじゃないから最悪割れちゃってもいいし」

「違うとは思いますがタッカー社製の花瓶のことでしたらご辞退申し上げます大したことありますお心遣いだけで十分ですので!」


ご勘弁を、と祈る気持ちを口に出すことは立場上よろしくないのでやんわりとした言い回しと行動で拒否を示すしかないのだが、この眼前の美貌の塊にどこまで通じているのかは正直言って分からなかった。胃が痛い。容赦なく酸で溶かされていく内蔵の悲鳴が聞こえる気がする。

メロディの必死の抵抗に、恐ろしく整った相手の顔にちょっとだけ落胆の色が浮かんだ。


「ええ………あれただのレプリカなのに………思うんだけど、メロディって謙虚というよりなんかこう過剰に小心過ぎない? ああ、でも趣味じゃないモノが部屋にあるのは嫌だろうから、そこはごめんね。それはそれとして容れ物がないとお花あげても邪魔になるだけで困っちゃうから、やっぱり花瓶は必要だよね? うん、必要だ、買いに行こう。とりあえずコレは一旦玄関にでも置いて―――――メロディ、贔屓のメーカーとかある?」


駄目だこれ意思疎通失敗してるわ。

もどかしそうな声でまた一歩距離を詰めつつ花束ごとぐいぐい迫ってくる声の主に叫びたい衝動を飲み込んで、物理的な圧迫感が再び襲い来る前にメロディはとうとう顔を上げた。

真っ先に飛び込んできたものは、ピンクと白を基調にして可愛らしくまとめられた花々である。なお、可愛らしいのは配色だけであって一抱え程もあるサイズ感は正直なところ全然可愛くない。視界の占有率がすごいし醸される圧も凄まじかった。巷で流行りのミニブーケのようにコンパクトな花材をラッピングと錯覚の技法を駆使してトータルで美しく完成させている商品とは違い、ボリュームも色合いも全体のバランスも金をかけてきっちりと調えている花束の総額を考えると気が遠くなる―――――社会人としての根性を総動員してなんとか堪え、噎せ返るような芳香の中でどうにかこうにか口を開いた。


「かしこまりました、失礼しました、こちらお預かりいたします。それではこのお花は玄関に飾らせていただきますね奥様もお喜びになると思います素敵な花束を頂戴したとお伝えして参りますのでわたくしはこれで!」


にっこりと目を瞑る勢いで笑顔を作成したメロディが、花束を受け取りながら吐き出した台詞を噛まなかったのは奇跡に近い。怒涛の如くに一息で言い放ったのが功を奏した、と己の決断を賛美するより先にこの場からの離脱を選んだ彼女は、相手に告げた言葉のとおりに雇用主への報告という逃亡を試みようとして―――――当たり前のように、阻まれた。


「ちょっと。話が通じてない?」


横をすり抜けようとして、そこまではなんとか成功したのにそこから先がまずかった。使用人として許される最高速度で廊下を駆けようと花束を抱えて前のめりになっていたメロディの襟首に、後ろからにゅっと伸ばされた長い指先が引っ掛かる。

結論から言えば事故だった。逃亡を図ったメロディを止めようと咄嗟の判断で伸ばされたそれは、おそらくは彼女の肩あたりを掴もうとしたのだろうが実際に触れたのは襟首である。目算が盛大にズレまくった果てに失敗した、と気付いたところでもう遅い。言うまでもないが、遅過ぎた。

小柄な身体は前へと進む。なのに、メロディの着ているお仕着せのきっちりと閉められた首元部分は、その動きには付き従えず―――――彼女の首を、ぐい、と締めた。

不幸な事故のあとに待つのは無様に潰れた声の名残と、力負けして後ろに倒れる貧相な娘の身体である。

ばたん! と背中に結構な衝撃を感じて呻いたのとほぼ同時、その場で埃が舞い上がった。


「ええ………なんできみそんなことになるの………?」


ふっかふかの絨毯が敷き詰められた廊下で良かった、それはそれとして埃が気になるので新しいお掃除方法を試そう―――――と頚部及び喉付近の違和感というか鈍痛だけで済んだ不幸中の幸いに感謝しつつ、仰向けに倒れたメロディの耳に聞こえて来たのはそんな台詞。心底意味が分からない、みたいなニュアンスがほぼ十割で、真っ白い天井を見上げ続けるのも馬鹿馬鹿しくなったメロディは花束を胸に抱えたままむくりと上半身を起こした。

視界の端で、一応は助け起こそうとしたらしい相手の身体がびくりと強張る。それには一切構わずに、一人で勝手に立ち上がった彼女は服の埃を簡単に払ってからくるりと静かに半回転した。

縦に長い、としか形容出来ない長身を中途半端に折り曲げた姿勢で固まっている相手に向かって頭を下げて、違和感の残る喉を震わせメロディは硬質な声を紡ぐ。


「お見苦しいところをお見せしました。大変申し訳ありません―――――急ぎ仕事に戻りますのでこれにて失礼致します、坊ちゃん」

「え、あ。ちょっとま」


この混乱を逃す手はないので当然ながら彼女は待たない。しっかりと下げていた頭を上げると同時に踵を返して今度こそ全力で逃げ出した華奢な背中はすぐに遠退き廊下を曲がって完全に消え、あとには呆然とした背の高い男と騒ぎを聞き付けて様子を見に来たこの邸の主だけが残された。


「キャルム、貴方………またメロディにちょっかいをかけて嫌われポイントを稼いじゃったの………? なんというか本当に………人付き合いがダメダメというか素材は良いのに残念な孫ねえ………」

「は? はァ? うるさいですよお婆様。嫌われてない。そんなことない。僕は! 彼女に! 嫌われてない!」


身長こそ育ちに育ってしまって成人男性に迫るどころか軽く凌ぎそうな上背を誇るが、実年齢はまだ十六歳で中身はもっと幼いかもしれない孫を見遣る老婦人には困惑と呆れの色が濃い。雰囲気と面持ちは穏やかなままに容赦のない駄目出しをしてくる祖母に、キャルム・ドニエは抗議の体で大変情けない悲鳴を上げた。

その顔があまりに必死かつ悲愴さに塗れていたものだから、邸の主はそれ以上何も言えずに息を吐く―――――孫の初恋があまりにも望み薄過ぎて可哀想、とは、流石に口には出せなかった。


ポンコツ愉快(部外者だから言える)

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