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その手を離さないで

作者: しょーた


 私の家は、小さな島では有名であった。良い意味ではない。母は昼間から父ではない男と酒を飲み歩き家にいないし、父は仕事もしないで家で酒ばかり飲んでいた。

 

 小さい頃の私は、なんとなく自分の家の異常さに気がついていた。しかし、その事に気がついても私は文句をいったり表情を変えたりすることはなかった。これは私がなにかをしたところで、この問題が解決されることはないと考えたばかりではない。むしろ、私が文句や表情に出すことによって、他人が私の家の話を嬉しそうに語るのがいやだったのである。そういうわけで、私は日常の会話で、父、母という言葉かでてくるのを極端に恐れていた。


 島の者は、こんな両親のいる私にいくらか同情してくれた。しかし、心のうちでは私のような底辺の家族があるのをどこかで安心しているようでもあった。なかにはあからさまに私の顔を指差しながら、「こいつの家よりはましや」と笑って言うものもいた。こんなことを言われても、なにも言い返せず黙って、拳を握って我慢することしかできなかった。それは私が、両親がまともな人間になるという願いをすでに諦めていたからかもしれない。 


 それでも私は、他の家族というものが気になった。島にある小さな港には、本島を結ぶ連絡船が行き来している。島民は日用品を本島に買いに行く。従ってここに来る人間は自然と多くなった。私は船からおりてくる人、乗る人、そんな家族を根気よく物色した。一人でも良いから、私のような人間をみつけて安心がしたかったからである。だから、私の眼には一人で歩いているものやその人の服装など入らない。また、子供を連れていない大人などは有れども無きが如くである。しかし、片親の者はいても私のような者は一人もいなかった。その見当たらないのが度重なって、私の心は不快になっていった。たまたま私が知り合いと出会い話し合っていて、思わず幸せそうな家族を見ているばかりで、目の前の知り合いがいなくなっているのに気がつかず相槌をうっていたのもまったくこの不快のせいである。


 また、私は歴史の偉人のなかに自分と同じような境遇のものを探して、せめて少しばかりの心の糧にしようと思ったことがある。けれども、二宮金次郎や豊臣秀吉の家庭環境が悪かったなどはどの本を見ても書いてはいなかった。私は奥州の伊達政宗が母親に毒殺されそうになったとテレビで見たとき、そのまま死んでいればどれだけ自分の心は救われただろうかと思った。


 私がこういう風に消極的に苦心しながらも、一方でまた積極的に父と母の気を惹く方法を試みたことはわざわざ言うまでもない。勉強を頑張ったときもあった。あるいは学校で問題児となって友達をわけもなく殴り倒したこともあった。しかし、父も母も私の悪事を学校から知らされても、なにも言わなかった。


 ところがある年の秋、私は母に連れられ、本島にあるK温泉に行くことになった。本島に到着すると、見知らぬ赤ら顔の男に出逢った。これは後で知らされたのだが、その男は母の客であった。


 私はいつものように自分と同じような家族を探しながら、港にあるバス停に母と知らない男と三人で立っていた。男は気軽な調子で話をしていた。もちろん私は、男がどういう理由で母といるのか気にはなったが、九歳の私に知る術はなかった。


 母は、いつも以上に私に話かけてきた。私は母の考えに裏があると感じながら、それをうわまわるほど嬉しくなっていた。いままでどのようにして両親に気に入られようかと、思案していた私はなにも策を労せずとも母に優しくしてもらう、あの子供の特権を感じていたのだ。


 そうして母は一つ私にお願いをした。その願いというのは、母と男を二人きりにするという極めて簡単なことであった。



 温泉街は観光客で一杯であった。近くにさびれた公園があった。私はそこで時間を潰すことにした。それでも、子供が一人でいると他の観光客に怪しまれる可能性があった。そこで、わたしはなるべく公園のベンチには座らず、遊具や木の陰に隠れたりした。これで通りすぎる人々は、私が行くあてもなく公園にずっといるなど思わないであろう。


 しばらくすると、陽が暮れた。


 私は苦笑した。これが母の望んでいたことなのである。私は爪が食い込むほど拳を握り、歯を食いしばった。


 私が旅館に帰ると、母と男は浴衣に着替えて食事をしていた。母の髪は少しぬれていた。私は何事もなかったかのように席につき食事をとった。母はやりすぎたと思ったのか、気の毒そうな顔をしてちらちら私の顔色をうかがっていた。


「あんたこれも食べな。ほら、母さんの分もあげる」


 私は「ありがとう」という言葉が喉につかえてでなかった。だから首を縦にふることで、その指示を受けようとした。しかし、公園で人目を忍びながら過ごしたことを思い出すと、思うように首が動かなかった。そこで私は、上目遣いで母を見て、腹を立てたように「うん」とだけ答えた。


 しばらくして、母は私に眠るように勧めた。いわば、私は最後まで邪魔物なのである。赤ら顔の男は酒に酔って、赤い顔をより赤くして、ニヤニヤ笑いながら独り言のように言った。


「小さいときはいっぱい寝ないかん。大人もいっぱい寝るもんやしな」


 いまでも私は、にやけた赤ら顔の言葉を思い出すと腹がたってくる。もちろん、男だけが悪いわけでなく、母も充分悪いのだ。それは理解していても、自分を蔑ろにする他人を許すほどの余裕など私にはない。


 私は無理に二人に笑顔を作り、食べかけのご飯をそのままにして違う部屋に入った。部屋はやけに広く感じた。


 いつの間にか眠っていた。私は奇妙な声で眼が覚めた。それは、隣の部屋からした。


「きこえちゃう」と声の主は言った。


 私は眉を八の字にさせて、布団をかぶった。早く朝が来てほしい。私は心の底で願った。


 願いが通じたのか、つぎに眼が覚めたときには朝であった。母と男はなにごともなかったかのように朝食をとっていた。私は二人の顔をきまり悪そうにおずおずと覗いてみた。


 あの変に優しかった母は嘘のように不機嫌になり、箸を重そうに口の中へ運ぶのがやっとのようであった。男は朝食を急いで終えると服を着替えて部屋からでていった。


 私は母と二人きりになれることが嬉しかった。昨日のように母に話しかけてもらえると思ったからである。だが、母のやつれた顔を見て、私はその願いを諦めた。 


 しかし、その日はまだこれだけで終わりそうにはなかった。


 私と母は、温泉街からバスに乗って、山道をぐるぐると駆けおり、町を通りすぎて、本島の港に帰ってきた。が、母の機嫌は一度もなおることはなく、私と話す気配すらなかった。バスをおりて船を待った。次の連絡船は三十分後で、早すぎたのか私達のほかに人はいなかった。その日は朝から天気がよく、海から吹く風が気持ちよかった。私はうとうとした気分になった。すると、私の右手をそっと握る手があった。私は母の顔を盗み見ると、母は声を殺して泣いていた。私は握られた手にそっと力をこめた。


 二、三日たつと母はいつも通りに戻った。昼間から男とでかけて家に帰ってこなかった。それと同時に、父も少しずつ帰ってこなくなっていった。母と父は、久しぶりに帰ってくると、きまってどちらも酔っぱらっていて、母は私に罵詈雑言を吐いて平手打ちをし、父は私をかまわず殴りつけた。そして、父と母は家のなかで頻繁に喧嘩をした。


 私は始め、これは二人が酔っぱらっているからと解釈した。しかし、どうもこの解釈では説明がつかないことが多かった。もちろん、二人が怒るのは酔っぱらっているのと多少は関係があるに違いない。けれども、酔っぱらうにしても以前と様子が少し違う。どうしようもない親が、少し酷くなったくらいでと言われればそれまでであるが、そこにはまだなにかあるように見えた。


「前はあのように殴られたりしなかった」


 私は海の景色を見るのを止め、目頭を押さえながら時々こう呟いた。そうして、目の前にある青い空と静かな海に自分の右手を浮かべながら、あの母に握られた手の感触を思いだしつつも、「あんなのは忘れないといけない」と塞ぎこんだ。そのときの私は、遺憾ながらどうして忘れなければならないのかという問いに、答える明が欠けていた。


 人間の心には矛盾した二つの感情がある。もちろん、誰でも己の幸せを望むものである。ところが、どうにかしてその幸せを一度だけ、あるいは偶然手にいれると、今度はなんとなくその幸せが忘れられなくなってくる。少し誇張していえば、どんなことをしてもその幸せを手にいれたくなってくる。しかし、いつまでもその幸せが手に入らないでいると、その現状を不幸だと思いこんでしまうのである。私が不快に思ったのは、もしかすると私の感じていることが、私の弱さによって誇張されていると思ったからである。


 そこで私は日ごとに機嫌が悪くなった。しかし、そういった表情は両親の前にはださなかった。その代わり私は大人たちを憎んだ。とくに母といた赤ら顔の男は、想像のなかで幾度も殺した。


 やがて私は、母と手を繋いだ思い出さえも鬱陶しくなってきた。


 すると、ある夜のことである。陽が暮れてから急に風がでてきたのか、窓を叩く音が寝室にいる私の耳に入ってきた。そのうえ、その日の夜はよく冷えたので、寝つこうとしてもなかなか寝つけない。そうして、布団のなかでまじまじしていると、突然電話がなった。こんな夜更けに誰だろうか。どうやら、電話は止まる気配はない。私は肩をたかくしながら、電話をとった。


「もしもし、私、○×病院の者ですが」


 そのとき私は、母の死を知ったのである。



 翌朝、本島から親戚という人がやって来て母の始末をした。いつまでたっても父は家に帰ってこなかった。


 母のことが終わると、私は親戚の人に引き取られた。彼らはどちらも高齢で、私を孫のように可愛がってくれた。私はその人の手に引かれて、島にある小さな港を歩いた。


 ほとんど忘れようとしていた感覚が、ふたたび私に帰ってきたのはこの時である。


 私は彼らの手を少し強く握った。私の手を引いている彼らは、私の父や母ではなかった。しかし、私は彼らに父や母の面影をみつけてしまった。そうして、それと同時に晴れ晴れした心がどこからか帰ってくるのを感じた。


 私にとって父と母はもういなかった、もしかしたらずっと前からいなかったのかもしれない。だけど、泣きながら私の手を握った母は、母としていつまでも私の心のなかで生き続けるのだ。


 秋風に髪をゆらしながら、私は二人の手の温もりを感じつつも、こんなことをいつまでも考えていた。




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