9.女装せずに、男らしさを磨く
◇◇◇
アレンは、社交界の付き合いや家の仕事がないときは、筋肉を鍛え、素振りをし、型を練習することを日課にしていた。腕前は騎士団に入れるほどだが、目的はそれではない。素振りを終わらせたアレンは、半袖のシャツから出ている腕を曲げて力こぶを作る。細い二の腕には小山が一つ。
「全然筋肉ついてないし!」
子供の頃からの師匠である筋骨隆々な元騎士に憧れ、彼から筋肉の作り方を教わるも、何年実践しても腕は太くならない。腹筋は辛うじて割れたが、胸板は薄いままだった。
(もっと成長してからかな……俺まだ背は伸びてるし、いけるよな。たぶん)
同年代と比べると頭一つ分低く華奢で顔立ちも幼いが、アレンは将来にかけていた。天使の妹も「お兄ちゃんは、将来かっこよくなるから今は可愛くても大丈夫!」と優しい言葉をかけてくれているので、前向きに考えられている。
次は打ち込みでもするかと、打ち込み台がある方へ体の向きを変えた時、侍女が歩いてくるのが見えた。彼女は主に客の取次を担当しており、その後ろにいる客にアレンは露骨に嫌な顔をした。目が合った彼は、にかっと笑って軽く手を挙げる。
「よっ、アレン。遊びに来たぜ~」
「すぐ帰れ、フレッド」
「つれないこと言うなよ~」と、冷たい態度も気にせず近づいて来たのは、フレッド・ガードナー。伯爵家の次男でアレンに言わせれば腐れ縁の男友達だ。黒髪は全体的に短く切りそろえ、前髪は上げているため精悍な顔つきがよく分かる。オレンジ色の瞳は獲物を狙っているように光っていた。そして会うたびに女顔をからかうので、アレンに邪険に扱われているのだが本人は全く懲りていない。
「今日も精がが出るね~。今度騎士団に遊びに来いよ」
「絶対嫌」
近づいてきたフレッドの腰には騎士団の紋章が入った剣がぶら下がっている。騎士服ではないので、今日は非番なのだろう。
「あ~、女の子に間違われるもんな!」
「うるさい! 来たならちょっとつきあえよ」
「いいぜ。負けても泣くなよ」
フレッドが遊びに来た時は、手合わせをしたり、遠乗りをしたりして遊ぶことが多い。子供の頃から騎士ごっこに興じていた二人であり実力も互角であったが、フレッドが騎士団に入ってからはアレンの負けが続いていた。
そして思う存分体を動かし、浴室で汗を流した後は、ワインを片手に談笑する。それが二人の付き合い方だった。
開け放たれた窓から吹き込む春の風が、湿り気が残る髪を乾かしてくれる。窓辺に置かれた広めの四角いテーブルには、お酒に合う料理やチーズ、ナッツ、果物類が置かれていた。気楽な席なので、給仕係は呼べば出てきてもらうことにしている。
フレッドはワイングラスに注がれた赤ワインをぐいっと飲み、ナッツを齧る。少し荒っぽい飲み方がよく似合う男だ。
「やっぱ自分の領のワインが一番だぜ」
「フレッドのとこのは甘めでおいしいし、飲みやすくていい」
それに対して、アレンは上品に一口ずつ飲んでいた。騎士団で鍛えられているフレッドと違い、酒量は多くないのでペースもゆっくりだ。
「今日は、ミアちゃんの社交界デビューが近いから、女の子が飲みやすい甘くて口当たりのいいワインも持ってきたぜ。お前も好みのな」
フレッドの領地はワインが名産であり、毎回お土産に飲む用と合わせて数本持ってくるので、オルコット家のワインセラーは豊富な量が貯蔵されている。もともとオルコット家も商会の伝手を使って世界各国のワインを集めているので、地下にあるワインセラーは圧巻だった。
「今、さりげなく俺の好みが女っぽいって言ったよな」
アレンは不機嫌な顔になって睨むが、いかんせん大きめの垂れ目では迫力に欠ける。フレッドは自分でワインをグラスに注ぐと、グラスを持ち上げ喉の奥で笑う。
「だって、その通りだろ? 甘党じゃんか。お子様舌め」
「うるせーよ。好きなもの食べて何が悪い。お前の肉に南国から取り寄せた激辛ソースをかけてやろうか?」
つきあいが長いフレッドはアレンが甘党であることも知っており、持ってくるアレン用のワインは全て甘口だ。そしてその都度からかう。
「それはやめろ。俺の舌と胃が焼け死ぬわ! けど、そのソースは面白そうだから後で買う」
ゴクゴクとワインを喉に滑らせ、フォークで肉を突き刺したフレッドは、人の悪い笑みを浮かべており、アレンは嫌なものを見たと顔を歪める。
「新人で遊ぶ気だろ」
「もちろ~ん。今年も活きがいいのが入ってきたからさ。ちょっと鍛えてあげたくて」
「可哀そうに……。後輩に嫌われろ」
昔から何かにつけ人をからかい、困らせるのが大好きなフレッドであり、被害に遭うのはアレンか騎士団の後輩たちだ。お酒が入って目が据わっているアレンの脳内では、今まで受けてきた数々の嫌がらせが駆け巡る。
落とし穴にはめられて高笑いされ、かくれんぼでは見つけ役を放棄され、見つけてもらえない不安から泣き出しそうになったところを見られていた。大きくなれば王都に不慣れなアレンにあることないことを吹き込んで恥をかかされと、散々な目に遭ってきた。だが最も許せないのは、それらではない。
「残念でした~。俺、けっこう後輩に慕われるんだぜ。この間も、新入団員との飲み会で披露したお前との話が好評でよ」
「またあの話をしたのか! 俺の許可もなく!?」
すでに騎士団の中では、フレッドと友人アレンの話は酒の席の定番となっている。数々のアレンが可哀そうで面白い話も笑いを誘うのだが、一番盛り上がる話は二人の出会い。
「そ、初めて会った時に、あまりにも可愛いんで結婚を申し込んだら、男だったってやつな! 他にもいろいろ話したぜ。初めて王都で遊んだ時のとか!」
二人の出会いは7歳の頃、親同士のお茶会で引き合わされた。そしてアレンは男の服装をしていたにも関わらず、「一目惚れです!」と手を握られて告白されたのだった。薄々周りの反応からも、顔立ちが女っぽいことを気にしていたアレンは、それが最後の一撃となり大声をあげて泣いたのである。
「おまっ! いい加減にしろよな! べらべらと話すせいで、夜会で騎士団のやつらからの視線が生ぬるいんだぞ!」
「俺のおかげで知名度が上がってるんだから、むしろ感謝しろよな!」
いい感じに酔って気分がよくなっているフレッドは、歯を見せて親指を立てる。アレンはその指をへし折りたくなった。
「そんな上がり方いらんわ!」
ケラケラと笑うフレッドは、「そういや」と話題を変える。
「ミアちゃん、少しずつ社交の場に出てるんだって? お前、過保護になりすぎてないよな」
フレッドはミアとの付き合いも長く、よく三人で遊んだ仲だ。フレッドに妹はいないので、ミアを自分の妹のように可愛がっている。痛いところを突かれたアレンは、視線を落として一口ワインを飲んだ。
「虫を払いすぎて、父親にエスコート役をダリスに代えられた……」
噴き出したフレッドはチーズをつまみ、ぐびぐびワインを飲み干す。思ったとおりで、愉快そうだ。
「案の定やらかしてんな。まぁ、ダリスさんがいるなら大丈夫か。ミアちゃん、お前と一緒で面食いなとこあるからさ、悪い男にひっかかりそうで心配なんだよなぁ」
その言葉にアレンの心臓が跳ね、すっと酔いが醒める。さすが腐れ縁、二人のことをよく知っていた。脳裏に昨日の女慣れした男が浮かび、グラスを持つ手に力が入る。
「……そんなことになったら、俺が全力でミアを守る」
「おー、怖い怖い。こりゃ、ミアちゃんが結婚できるのは当分先だな」
やがて、話題は近衛騎士の話に変わり、フレッドの愉快な話に腹を抱えて笑った。酒も進み、解散したのは夜遅く。
そして、軽い二日酔いの状態で目覚めた翌朝。行動が早い女たらしから「密かに会えないか」と手紙が届いており、アレンの頭はさらに痛むのだった。




