番外編3 苦みの強い、大人の甘さ
ライアンがカミラと婚約させられ、一年が経った頃。ライアンは基本的にオルコット家で生活しているが、半ば連れ去られる形でヘルハンズ家にて過ごすことも多くなっていた。今日は王家の夜会に二人で参加した後、すっと別の馬車で自分の家に帰ろうとしたライアンだったが、カミラに捕えられてのヘルハンズ家だ。
不本意ながら馴染んでしまったヘルハンズ家の自室で、ライアンは疲れた体を寝椅子に横たえていた。今日の夜会は油断できない相手が多く、悪意のある視線にも晒されていたので鬱々としている。頭の中で今日令嬢たちから仕入れた情報を整理していると、間隔の短いノックが聞こえたので、面倒くさそうな顔をドアへと向けた。ノックの仕方と時間帯で相手は誰か分かっている。
「ライアン、一杯どうだ?」
ドレスから胸元にフリルが入ったシャツとズボン姿に戻ったカミラが、ワインの瓶を片手に入って来ていた。
「……今日は十分一緒にいただろ。一人にしてくれ」
嫌そうな顔のライアンは迎える気もゼロだが、カミラは気にせず近づいてく。寝椅子の側にはサイドテーブルがあり、寝椅子の左手には揃いの一人掛け用のソファーもある。カミラは食器が飾られている棚からワイングラスを二つ取り出すと、カミラ専用の席となりつつあるソファーに腰を下ろした。
「つれないことを言うなよ、婚約者殿。今日はお疲れだろうと思って、労いに来たというのに」
カミラがワインを注いでいると、ライアンはうんざりした顔で起き上がる。
「本当に労ってくれるなら、家に帰して」
「おや、私がそちらに行く方がよかったかな?」
「それだと何も変わらない」
カミラがワインを注ぎ終わり、ビンを置くと同時にライアンはグラスを取って乾杯もせずに煽る。やけ酒のような飲み方だった。
勝手な行動も慣れたもので、カミラは微笑を浮かべながら自分も一口飲む。香りが高く、渋みがある大人のワインだ。
「それで、今日はどうだった?」
「あぁ、他国の密偵を見つけたのと、官僚の不正につながってそうな情報をいくつかってとこかな」
「上々。さすがはライアン」
婚約をしても令嬢たちがライアンの周りにひしめくのはあまり変わらなかった。中にはカミラに変わってという腹積もりで近づく者もいるが、そういう者ほど有益な情報を持っていることが多いので、ライアンは婚約者という立場を存分に使って振舞っていた。
「情報も集まってきたし、父上のと合わせたら捕縛できるかもよ」
グラスを回して中のワインに目を落としているライアンは、仕事の顔だ。婚約してから、カミラの予想に反してライアンは諜報の仕事を着実にこなしていた。もともとオルコット家のために情報を仕入れてもいたので、性に合っているのだろう。
「そうか、ならば褒美をやらねばな」
「疲れたから家に帰して」
カミラはふむふむと聞き入れ長い足を組み、にまりと口角を上げる。
「そうか、疲れたライアンには私の胸を貸してやろう」
「……は?」
胸を張り、豊満な果実を強調するカミラと、目が点になるライアン。カミラはワイン一杯で酔うはずもないが、酔っ払いが絡むような視線をライアンへ向ける。
「揉んでよし、頬を埋めてもよしの優れものだぞ。癒されると隊の者にも評判だ」
心身の疲れにひと肌の柔らかさ。その効果はいかに。
「はっ!? お前、隊の男たちにさせてないだろうな!?」
珍しく顔を引きつらせ、声を荒立たせたライアンをカミラは笑い飛ばす。
「案ずるな、ライアン以外の男は願い下げだ」
その言葉で、嫉妬したような言い方になったと気づいたライアンは、キッと睨んでグラスのワインを飲み干した。そこにカミラが次を注ぐ。
「そういう意味じゃないからな! 隊の規律が乱れるという意味だ!」
「そうかそうか。心配してくれて嬉しいぞ」
「だから違うって!」
ムキになっているライアンに対して、楽しそうに肩を震わせて笑うカミラ。
「それに、この胸を試したのは王妃様とルーチェ嬢だけだから、そこも心配しなくていいぞ」
「ルー!? 何やってんのっ!?」
王妃と並んで出てきた妹の名前に、ライアンは目を剥いた。気管にワインが入ってむせる。その様子をカミラは「かわいいやつめ」と微笑ましく見つめていた。なお、女性の親衛隊隊員にはハグまでが許可されている。
ライアンは咳が治まると、恨みがましい目をカミラに向けて吐き捨てる。
「絶対、僕がオルコット家を継いで、諸々準備できたら離婚してやる」
「なるほど、一応結婚はしてくれるんだな」
「うるさい! 形だけだからな! 愛なんか一欠けらもない!」
指をさして言い放つライアンに対し、カミラは肘おきで頬杖をついて怒声を心地よく聞いていた。
「かまわんさ。お前の愛は薄いからな。そこらの女に配っている中身のない愛より、こうやって心置きなく物を言い合える関係のほうが、貴重だとは思わんか?」
愛情深い視線を投げかけるカミラと、虚を突かれた顔をしているライアン。だが、ライアンは言葉の意味を理解すると、怒りで顔を赤くし寝椅子に置かれていたクッションをカミラに投げつけた。
「もう出てけ!」
ライアンの中でこうやって素を出せ、暴言を吐けるのは家族しかいない。
クッションを難なくキャッチしたカミラは、尻尾を踏んでしまったと退散を決める。この先は不毛な言い合いになることが目に見えているため、まだ残っているワインの瓶を手に立ち上がった。
「そうは言いつつ、この胸に抱かれたくなったら、いつでも夜這いに来てもいいからな」
空いた手を胸に当て、煽るように口端を上げるカミラにライアンは怒声を放った。
「お前は淑女としての恥じらいを持て!」
どこ吹く風で手を振って出ていくカミラと、さらに疲労を感じるライアン。それが、今の互いのちょうどいい距離で、ライアンは息を吐きだすと寝椅子に寝転がった。胸の中に巣くっていた鬱積した気持ちを、怒りで発散したからか少しすっきりしている。
「……腹が立つ」
体と頬が熱いのは酒と怒りのせいにして、ライアンは目をつぶるのだった。
カミラとライアンの甘々な日々……。
だめだ。ライアンがツンデレにしかならないし、カミラは変な方向で男前だぁ。




